252.「落涙」
わたしもシンクレールも、そしてトリクシィでさえ黙り込んでいた。
団長の判断次第でこちらが取るべき方法も変わってくる。心臓がどくどくと脈打ち、手のひらにはじんわりと汗を感じた。
団長はじっとわたしを見つめ、腕を組んでいる。こうしてまじまじと見ると、本当に彼の目付きは鷹に似ていた。眼光の威圧的な鋭さと、奥底までも見通すような聡明さ。その両方が彼の瞳に溢れている。
こうして視線にさらされていると、どこか落ち着かない気分になる。試されているような、それでいてすべて見抜かれているような、そんな具合。
やがて団長は、す、っと息を吸った。
「悪いが、そう易々と請け合うわけにはいかない。君も理解しているだろう? 謁見なんて滅多に出来るものじゃない」
「けれど、本当に大事な報告なんです」
なんとか慌てないよう、冷静に返した。しかし団長は短く首を横に振る。
「なら、それを具体的に話すのが筋だろう。――なにも伝えられない、しかし謁見はしたい。その事情は理解するが、騎士団長として動くに足る動機にはならん。俺とて厳しいことは言いたくはないが……職権を振りかざす以上、今の言葉ではとてもじゃないが頼みは聞けんよ。それは近衛兵も同じだろう」
正論だ。元騎士ナンバー4だからといって、全部パスして真偽師に直行出来ると考えたのが甘かった。
こうして冷静になってみると、王都に入ってから急激に焦りが噴き出したように思えてならない。あと一歩だからこそ、もっと慎重になる必要がある。
どうすればいい?
近衛兵に話を通すのは、団長も言った通り困難だ。かといって近衛兵相手に真相をぶちまけるなんて、あまりに無謀な賭けに思える。良くて門前払い、悪くて拘留だ。いずれにしても真偽師までの道は遠のいてしまう。
なら、なんとかこの場で団長を説得するか?
……いや、それも無理だ。職務に関しては鉄のごとく堅い人なのだ。
いっそこの場を一旦離れて、策を練り直そうか……。
駄目だ、それも得策ではない。トリクシィに聞かれた以上、あまりのんびりしている余裕はないだろう。それこそ、明日には騎士団中に噂が広まっているに違いない。彼女の口の堅さなんて期待出来ないのだから。
なんとかこの場で、一歩でも前に進む必要がある。そして、そのために負うリスクは途轍もなく大きく思えた。
――が、その他の選択肢に比べればずっとマシだ。
シンクレール、トリクシィ、そして団長。順繰りに見回し、決意を固めた。
「シンクレール、音吸い絹は使える?」
「あ、ああ……使えるけど」
「お願い、わたしと団長とあなたと――はぁ……トリクシィを囲って頂戴」
さすがにこの場で彼女を弾くわけにはいかない。
シンクレールが片手を天に向けてひと掻きすると、薄い魔力の布が現れた。それはゆっくりとわたしたちを覆う。これで立ち聴きされる心配はなくなった。
「これからお話しすることは、絶対に口外無用でお願いします。トリクシィも約束して。さっきの失礼は謝るから、お願い」
屈辱をこらえて、ぺこりと頭を下げて見せる。すると、耳障りなクスクス笑いが聴こえた。
「そんな、大袈裟よクロエさん。あたくし、これっぽっちも怒ってないわよ。ちょっぴり傷ついたけど、全部許してるわ。仲直りね、うふふ」
これっぽっちもそう思っていないくせに良い人の振りをするトリクシィが腹立たしい。けれど、いつまでも彼女に頓着している暇はないのだ。
シンクレール、トリクシィ、団長。この三人だけだ。謁見前にリスクを負うのは今回限り――。
「まずは、ニコルと結婚してからのことを話します」
そう切り出すと、トリクシィが口元に手を当てて「あらまあ」とニコニコ笑った。「素敵なお話になりそうね」
「……トリクシィ。お願いだから話をさせて頂戴。あなたが思ってるような素敵なストーリーじゃないのよ、残念ながら」
「分かったわ。あたくし、大人しくしています。どうぞ、お話しになって?」
言って、トリクシィは先を話すよう手で促した。わざとらしい仕草だったが、いちいち気に留めていたら時間がどんどん削られていく。ただでさえ陽が暮れているというのに……。
魔物が出没する時間までまだ余裕はあったが、そう長く団長が付き合ってくれるとも限らない。
なるべくスムーズに、だ。
「ニコルとともに魔王の城へ行ったことはご存知ですか、団長」
「ああ、聞いている」と彼は厳粛な口調で返した。
なら前提は充分だ。呼吸を整え、覚悟を決める。
「魔王の城には、魔王がいました。それも――生きている状態で」
瞬間、団長の目が見開かれた。
「ニコルくんが討ち漏らしたのか!?」
そんなまさか、とでも言いたげな様子である。
ニコルに対する団長の評価は正しい。彼は決して討ち漏らさないだろう。――討つ気があったなら。
「いいえ、団長。ニコルは討ち漏らしていません。状況はもっと悪いんですよ。ニコルは――魔王と手を組んで王都を滅ぼすつもりだと、わたしに語りました」
団長は絶句し、トリクシィは空色の瞳で鋭くこちらを睨んでいた。シンクレールはというと、口をぽかんと開けて手を震わせている。皆が、わたしの知らない反応を見せていた。
「ニコルは、魔王に擬態させるために嫁を取ったと、そう語ったんです。もちろん抵抗しましたが……歯が立ちませんでした。そして殺される間際、彼が気まぐれを起こしたのか、強力な転移魔術をかけられたんです。そして遠くの地から遥々、危機を伝えるために旅してきました」
『最果て』から来たことは伏せておくことにした。そうじゃないと、別の意味で面倒なことが起きる。真偽師相手にも、この戦法で挑むつもりだ。
団長は長らく目を閉じていた。トリクシィはというと、無表情に中空を見つめている。シンクレールは物思いに沈むように俯いていた。
「……いかがでしょう。隠しておきたかったのは、謁見前に余計な混乱を招かないためです。これだけの内容でも、謁見の理由になりませんか?」
団長は額を手のひらで拭い、息を吐いた。
「確かに、理由としては申し分ない。だが……あまりに信じがたいな。クロエ、君を疑っているわけじゃない。君が無意味な嘘をつかない人間だということはよく知っているからな。ただ、内容が内容だ。あまりに飛躍している。特に、『気まぐれ』から君を泳がせた意味も合理的ではない」
そう言われると困る。確かに、ニコルの行動は合理的ではないのだ。しかし、事実なのだから仕方がない。
団長はさらに続けた。
「それに、君の言葉通りだと勇者一行も目的を共有する敵ということになる。そうすると『王の盾』も――」
『王の盾』スヴェル。王の側近であり、勇者一行のひとり。彼は今も王のそばで護衛をしているに違いない。守護者の振りをして。
「奴の様子に変わったことなんてなかったし、別段王都に異変もない。不合理としか思えないな」
『王の盾』がなにも動いていない?
すると、彼はニコルと結託しているわけではないのだろうか。それとも機を窺っているのか、あるいは暗躍しているのか……。
返事に迷っていると、トリクシィが立ち上がった。
思わず彼女を見て――ぞわり、と肌が粟立つ。
彼女の瞳は潤んでいた。
「クロエさん……あたくし、哀しいわ。そんな酷い嘘をつくなんて。ニコルさんと馬が合わなくて帰ってきたのなら、あたくしもアレコレ言うつもりはないの。ただ……嗚呼……がっかりだわ。クロエさん――あなたはきっと『黒の血族』の手に落ちたのね。そうやって王都に混乱を持ち込んで、あまつさえ勇者様を敵に仕立てようとしている……」
「そんなこと――」
あるわけないじゃないか、と続けようとしたが遮られた。
トリクシィの言葉と、その頬を伝った涙によって。
「あたくし、はじめから気付いていたのよ。クロエさん、あなた……血族の臭いがするわ。怪しいと思ってたら、こんなお話をするだなんて……。あたくし、哀しいけど確信したのよ。あなたは血族の手先なのね」
『毒食の魔女』の姿が頭をよぎる。確かに彼女と一緒にいたのは事実だが、そもそも臭いで感じ取れるものだろうか。
トリクシィは反論を許す気がないようで、日傘をこちらに向ける。
彼女の顎を伝った涙が床に跳ね、そして――日傘に魔力が溢れた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて
・『騎士団長』→王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。初出は『6.「魔術師(仮)」』
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊。
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて




