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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第九話「王都グレキランス」
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251.「物騒な噂と騎士団長」

 遠慮(えんりょ)がちにドアが開かれる音がして「あのぅ……」とか(ぼそ)い声が聴こえた。受付の女性だろう。


 顔を見られるわけにはいかなかったので決して振り向かなかった。


「どうしたんだい?」とシンクレールがたずねると、女性は「団長さんがお戻りになられました」と呟いた。


「ありがとう。すぐに(うかが)うと伝えてくれ」


「あ、はい……」


 女性の声は、緊張からか震えていた。きっと、立ち上がったまま受付の顔を真っ直ぐ見つめるトリクシィのせいだろう。彼女の悪評は騎士団で働く事務員も知っているはずだ。


 ドアが閉められ、乱れがちな足音が去っていく。


「さて、団長のところへ行かなくちゃ」と言って、シンクレールはこちらにマントを手渡した。それを身につけ、フードを目深(まぶか)(かぶ)る。


 トリクシィを一瞥(いちべつ)すると、こちらの一挙手一投足まで見逃すまいとする(ねば)っこい視線にぶつかった。


「あら、どちらに行くのかしら、クロエさん。お話は途中じゃなくって?」


「あんまりゆっくりしていられないのよ。また今度ね」


「あらあら、冷たいのねえ……。シンクレールさんも一緒に行くのかしら? あなたは団長さんに会うようだけど、クロエさんも同じなの?」


 トリクシィは一歩踏み出し、シンクレールに顔を寄せた。威圧的な仕草(しぐさ)である。シンクレールが不用意なことを口走る前に先手を打たなきゃ――。


 口を開きかけた瞬間、トリクシィの言葉が飛んだ。「今はシンクレールさんに聞いているのよ。クロエさんはおしとやか(・・・・・)になさったらいかが?」


 黙れ、と言いたいのだろう。言葉を選んでいるようではあるが、その苛立(いらだ)ちは明らかだ。けれど、こうしてトリクシィの馬鹿げた問答(もんどう)に付き合って時間を浪費するわけにはいかない。


「トリクシィ。時間がないって言ったでしょ」


「恐い顔しないで、クロエさん。せっかくの美人なのに……」そう言うと、トリクシィはさも今気付いたといった調子で、手をパンと叩いて顔を(ほころ)ばせた。「なら、こうしましょう。あたくしも同伴(どうはん)しますわ。団長さんのところへ行かれるのでしょう? ねえ、クロエさん。想像していただけるかしら? 騎士団をやめた元メンバーと、現在のナンバー4が秘密を共有していて、これから団長さんの部屋に行こうとしている。もちろん、なにか恐いことが起こるだなんて思ってないわ。あたくし、クロエさんを信頼していてよ。けれど……客観的に考えるとあたくしが一緒に行くべき状況に見えるわ。それとも、一緒にいられたら困るのかしら? シンクレールさんは良くてあたくしが駄目な理由ってどんなものかしら?」


 トリクシィは長々と、身振り手振りを(まじ)えて語った。どうやら振り切れそうにない。彼女が一度決めたことを他人の言葉で曲げるとは思えなかった。それに、真面目に説得しようとするとこっちの怒りが沸点(ふってん)を超えてしまう。


 仕方ない。


「勝手にするといいわ。行きましょう、シンクレール」


 ドアへと足を踏み出すと、トリクシィの声がした。まるで背を()うような、ぞっとするほど冷たい声音。


「嫌われてしまったようね。哀しいわ。……涙が出そう(・・・・・)


 びくり、と無意識に身体が震える。思わず振り向くと、トリクシィは(やわ)らいだ笑みを見せた。そして小首を(かし)げる。「冗談よ。うふふ、ごめんなさいねえ」


 無言で部屋を出ると、あとからシンクレールとトリクシィがついてきた。歩きつつ、悪寒(おかん)を振り払う。


 トリクシィは戦場で敵を(ほうむ)るとき、必ず涙を見せる。そして、それ以外の場面では決して泣かないのだ。それを()して落涙(らくるい)のトリクシィと呼ばれているのだが、(ひそ)かに(ささや)かれている噂があった。彼女が涙を見せるとき、必ず容赦(ようしゃ)ない殺戮(さつりく)がおこなわれる。戦場以外で彼女が(なみだ)したとしたら、どうなるか。きっと誰かが犠牲になる、と。


 実際にその場面に遭遇(そうぐう)した者はいなかったが、トリクシィの様子を見る限り、誇張(こちょう)された噂とも思えなかった。


 もし彼女が涙を見せれば、殺されるのはわたしだろうか。そう簡単にやられるつもりはなかったし、いくらなんでも軽率(けいそつ)(やいば)を振るうなんてトリクシィといえどもしないだろう。


 ただ……先ほどの氷のように冷たい声は、確実に威嚇(いかく)(はら)んでいた。これ以上()めた真似(まね)をすると本気で排除する。そんな威圧……。


 シンクレールもトリクシィも、無言で歩き続けた。その沈黙も不気味である。見習いの訓練場を()ねた中庭を横目に、回廊(かいろう)を進む。騎士団本部の最奥部に騎士団長の部屋があるのだ。


 団長室にたどり着き、足を止めた。職人の厚意(こうい)とはいえ、相変わらず仰々(ぎょうぎょう)しいドアだ。全体に(たか)の顔が一羽分、立体的に描かれており、それを割るような観音開(かんのんびら)きになっている。


 シンクレールが前に出て扉をノックした。


 中から「どうぞ」と低い声が響く。こんな状況にもかかわらず、懐かしいと思ってしまった。


「失礼いたします」とシンクレールは断って、扉を開いた。


 鷹だらけの部屋。そう言って間違いはない。鷹の顔を描いた赤い絨毯(じゅうたん)に、鷹の銅像。鷹をかたどった柱時計。正面の書き物机には、いかにも勇猛(ゆうもう)な鷹が掘られている。天井のシャンデリアにさえ、小さな鷹の飾りが取り付けられていた。木目調のシックな壁には、鷹の頭の剥製(はくせい)まである。


 書き物机の先には鎧姿の騎士団長がおり、紙面(しめん)に目を落としていた。きっと手紙だろう。忙しい身分であるにもかかわらず、彼は騎士団への感謝の手紙に必ず目を通すのだ。


 机には彼の魔具である二本の剣が置かれていた。それぞれの()の部分に鷹の横顔が彫られている。


 団長がこちらを一瞥(いちべつ)する――と、彼は手紙を机に置いたまま立ち上がった。銀の鎧が照明を反射して輝く。団長の顔には、驚きと微笑が浮かんでいた。


「誰かと思ったら、久しぶりじゃないかクロエ! 突然来るとは思わなかったぞ。さあ、座ってくれ。シンクレールとトリクシィもだ」


 言って、団長はソファを手で示した。


 彼の驚きは想定していた通りである。勇者の花嫁が突然帰ってきたら当然驚くだろう。二人掛けのソファが一対(いっつい)だけだったので、わたしとシンクレールでひとつ、団長とトリクシィでひとつ、といった配置に分かれた。トリクシィの隣は嫌だが、斜向(はすむ)かいもなかなか気分が悪い。そもそも彼女と同席すること自体が決して愉快にはならない。その顔に張り付いた微笑の裏には、わたしへの猜疑心(さいぎしん)加虐心(かぎゃくしん)が渦巻いていることだろう。


「いつ王都に戻ったんだ?」と団長は(ほが)らかにたずねる。トリクシィとは違って、なんの(ふく)みもない純粋な疑問だ。


「先ほど戻りました。少し用事がありまして……」


「まさか……」と団長は腕組みして、じっとこちらを見つめる。「ニコルくんと仲違(なかたが)いでもしたんじゃなかろうね?」


 近い。けれど、それを口にするわけにはいかない。あくまでも団長からは、謁見(えっけん)機会(きかい)が得られればいいのだ。


 ニッコリと笑って見せる。「いえ、仲良しですよ。すっごく」


 殺し合いをするくらいには仲良しだろう。


「なら、用事というのは?」と団長は首を(かし)げた。彼の隣でニコニコと微笑むトリクシィが邪魔で仕方ない。


 彼女とシンクレールを交互に見つめ、困り笑いを演じた。


「ちょっと内密な話ですので、お二人は席を外してもらえると助かるんですが……」


 団長は快諾(かいだく)すると思ったのだが、意外なことに、眉間(みけん)(しわ)を寄せた。なにが問題だと言うのだろう。


 彼の逡巡(しゅんじゅん)を感じ取ったのか、すかさずトリクシィが口を開いた。


「団長さん。今のクロエさんは騎士団員ではないわ。外部の方と二人きりにするなんて出来ません。騎士団のメンバーが護衛として立ち会うのが(すじ)だと思うの。――ごめんなさいね、クロエさんを疑ってるわけじゃないのよ。あくまでも、例外は良くないんじゃないかと思っただけなの。それに――あたくし、口は(かた)いつもりよ」


 だったらシンクレールだけを残してトリクシィは消えてくれ。


 そう言いかけたが、()み込んだ。きっとトリクシィはのらりくらりとかわすだろう。それでこちらの立場が不利にならないとも限らない。


 団長次第だ。


 彼はしばし目を閉じて、それからゆっくりと(まぶた)を開いた。


「トリクシィの言う通りだ。例外を作るわけにはいかない。クロエには申し訳ないが、理解してくれ。なに、ここでの話はすべて内密にする。トリクシィとシンクレールも、決して口外するな」


「もちろんですよ、団長さん」と嬉しそうに返すトリクシィと、ゆっくりと(うなず)くシンクレール。


 厄介な状況だが、こうなっては仕方がない。


承知(しょうち)しました。では、口外しないという約束で……」


 トリクシィの存在を頭から追い払い、言葉を続けた。


「王様にご報告があって、遥々(はるばる)王都まで戻りました。今すぐにでもお(しら)せすべき(たぐい)の話です。加えて、わたしが王都にいることも()せていなければなりません。……近衛兵(このえへい)を通していたら時間がかかるでしょうし、いらぬ嫌疑(けんぎ)も受けます。わたしが王都に戻ったことも知れてしまうでしょう……。そこで、団長にお願いしたいことがあるのです。――王様と謁見(えっけん)する機会(きかい)を、早急に(・・・)作っていただけないでしょうか?」


 深々と頭を下げ「もちろん、真偽師(トラスター)を通していただいて結構ですので」と付け加えた。


 部屋に広がった沈黙は、重く、そして長かった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて


・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙(じゅうりん)する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて


・『騎士団長』→王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。


・『近衛兵(このえへい)』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊。


・『真偽師(トラスター)』→魔術を(もち)いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を(にな)う重要な役職。王への謁見(えっけん)前には必ず真偽師(トラスター)から真偽の判定をもらわねばならない。初出は『6.「魔術師(仮)」』


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。

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