249.「4、4、3」
馬車が停まると、シンクレールは鞄をがさごそと漁り始めた。茶色の頑丈そうな革鞄である。
今回の魔物調査のために買ったのだろう、傷ひとつなく色褪せてもいなかった。
ちょっぴり浮足立ってしまった彼の気持ちはよく分かる。騎士が王都の外に遠征するなんてことは今までなかったのだ。もちろん任務の一環ではあるけれど、旅行気分にもなるだろう。けれどそのための鞄を買うなんて、随分と張り切っちゃって……。
シンクレールは「あったあった」と嬉しそうに言い、わたしの目の前にフード付きのマントを広げてみせた。
鮮やかな緑色である。
「顔を見られるとまずいだろ? 僕の持ち物で悪いけど――あんまり使ってないから多分大丈夫だと思うけど、もし君が不快でなければ……」
気にしないに決まってるのに、言い訳みたいに言葉を付け加える彼が面白かった。相変わらず、シンクレールはシンクレールだ。
「ありがとう。じゃあ、借りるわね」
「あ、うん……」とシンクレールはなぜか頬を赤らめた。気にし過ぎだ。
マントの前を留めてフードを被る。そもそもが男物なので、かなり目深だ。
「どう?」
聞くと、彼は口ごもりながらぽつりと言う。「似合ってるよ」
「違う違う」思わず笑ってしまった。「バレないかどうかってこと」
「あっ!」と叫んでさらに顔を赤くするシンクレールがなんだか心配だった。この調子で騎士団ナンバー4としてやっていけるのだろうか。わたしが騎士団を離れてから一ヶ月以上経っているはずだが、彼の様子を見る限り不安しか生まれない。
彼は慌てて「大丈夫、それなら誰か分からないよ」と言ってくれたが、はたしてどうなのか……。
「それじゃ、行きましょう」
「う、うん」
馬車を降りると、懐かしい景観が広がっていた。
精緻に敷き詰められた石畳。鋼鉄製の門の上部には、厳めしい眼が描かれている。鷹の瞳だ。
しばしば鷹にたとえられる騎士団長に対する尊敬と崇拝から、騎士団本部には鷹にちなんだモチーフが多数存在する。団長本人は質素倹約を信条としているらしいが、住民からの厚意は決して断らない。本部に増えていく鷹のモチーフは、騎士団および団長に対する信頼と感謝の証だと言い換えてもいい。
門を開くと玄関まで道が続いており、その左右には短く刈り込まれた芝が広がっていた。シンクレールはこちらに目配せをして、鷹の描かれた玄関扉を開く。エントランスの風景から廊下の隅々まで見たかったのだが、俯いて顔を隠した。懐かしさゆえに油断して、なにもかも台無しにしてしまうわけにはいかない。
シンクレールが受付の事務員と話す声がする。思えばこのシステムも、ありがたいものである。騎士たちは見習いであっても雑用をすることはない。騎士は騎士としての任務に従事し、それ以外の時間は鍛錬と休息にあてるべし、という団長の考えから、騎士団本部および駐屯施設には事務員が必ずいる。彼ら彼女らに雑用を任せ、自分たちはひたすら魔物との戦闘に集中出来るというわけだ。
「彼女は団長と面会予定の客人です。ちょっとわけがあって……。団長が戻ったら教えてください」と告げ、シンクレールは歩き出した。
彼のあとに続いて、エントランスを抜ける。
「団長は留守らしいね。残念。ただ、もうじき帰ってくるかもしれないってさ。ほかに客人もいないようだし、しばらく僕の部屋で待とう」
頷いて見せると、彼は微笑んだ。
何度か騎士とすれ違ったが、特に怪しまれずに済んだのは幸運である。ちらりと顔を盗み見たのだが、どの騎士も序列外の見習いであった。それも当然である。本部は見習い騎士の訓練施設を兼ねており、実力の認められた者は王都内の各駐屯施設に送られるのだ。
もしひと桁ナンバーと出くわせば――相手によっては――わたしの正体も、このサーベルが魔具であることも見抜かれてしまうだろう。
廊下を抜け、何度か角を曲がって『4』のプレートが付いた部屋の前にたどり着いた。
たとえ駐屯施設にいても、ひと桁ナンバーの騎士は本部に私室を与えられる。ろくに戻らなかったけど、なんだか懐かしい。
そういえば、今やナンバー4の部屋はシンクレールのものなのだ。不思議な縁である。
彼はこちらを向いて、なんだか申し訳なさそうな顔をしてみせた。やっぱり、彼は気にし過ぎだ。
「あなたが勝ち取った部屋なんだから、堂々として」
笑い混じりにそう言うと、シンクレールは「ああ、うん……」とやや沈んだ声で答えた。こちらに気後れしているのか、それともなにか別の理由があるのだろうか。よく分からないけど……。
「そこまで汚れてないはずだけど、殺風景なのは気にしないでね――」
そう言って開かれた扉の先は、彼の言葉とはまったくそぐわない様相をしていた。
清潔な白のベッド。テーブルに椅子四脚。そしてソファがひとつ。ここまでは、どこにでもある一般的な部屋である。それ以外の部分が妙だった。
窓際に置かれた植木鉢と、そこから放射状に葉の伸びた植物。テーブルには純白のクロスがかけられ、その上には花模様のティーポットがひとつ。その隣に置かれた籠にはいかにも清潔そうな布巾がかけられており、ちらりとティーカップが覗いていた。そちらもポットと揃いの花模様である。
そして――ふんわりと花の香りがした。
まるで客が来ることを予想していたかのような部屋である。思わずシンクレールを見ると、彼はぽかんと口を開けていた。そして「なんだこれ」と呟き、しげしげとポットやらクロスやらに触れて首を傾げる。
「完璧な部屋ね。お客さんでも来てたのかしら?」
「いや、そんなはずは……。なんでこんなことに……」
魔物調査の遠征から帰ってきたら、部屋が整っていた。誰か入っていたに違いない。
「心当たりはないの?」
シンクレールが首を振る。
刹那――ドアが静かに開かれた。
純白の丈長なワンピース。袖口と裾、そして胸元にあしらわれたレースが目にうるさい。騎士であるにもかかわらず桃色のヒールを履き、腰には窮屈そうな水色のコルセットをつけ、おまけにきらきらと光を反射する上質な白の手袋までしている。肩までの髪は深い蒼色、下がり眉に空色の瞳。
手にした日傘にはたっぷりのレースと、そして――たっぷりの魔力が宿っていた。
騎士団ナンバー3、トリクシィ。最悪だ。
一番会いたくない奴が、なんでここに。
「ごきげんよう、シンクレール。そちらの方はお客様かしら?」
すました声で言うと、彼女はツカツカと歩を進め、椅子に腰を下ろした。シンクレールはあからさまに動揺しながらも、もごもごと声を出す。「ト、トリクシィ。どうして君がここに……」
「留守中にお部屋を掃除してあげたのよ。パートナーですもの……ふふふ。おかけになったら?」
勧められたままに椅子に腰を下ろすシンクレールが哀れだった。仕方なくわたしも、彼の隣に座る。トリクシィとは向かい合わせの位置……とはいえ彼女の隣に座るなんてごめんだ。
俯いて、バレませんように、と祈る。
この部屋の様相はトリクシィの仕業であるらしい。シンクレールの留守中に好き放題やっていたというわけか。このクロスもポットも食器類も、すべて彼女の趣味なのだろう。押しつけがましいことこの上ない。
彼女は愉快そうに口元に手を当てて「うふふ」と笑うと、わたしを見つめた。その表情は微笑みというより、薄ら笑いにしか見えない。
「お久しぶりね、クロエさん」
ああ、やっぱり気付かれていた。
こうなったら、もう仕方ない。フードを取り、マントをシンクレールに返した。
「これ、ありがとう」
おどおどと受け取る彼から目を離し、トリクシィを見据えた。
「久しぶりね、トリクシィ。元気だった?」
「ええ、おかげさまで。――ねえ、シンクレールさん」彼女が呼びかけると、シンクレールはぴくりと身体を震わした。「お茶にしましょうか。あなたのお湯で淹れたお紅茶は素晴らしい味だもの。きっとクロエさんも気に入ると思うわ」
シンクレールが無言でティーポットを空けると、なかにはすでに茶葉が入っているのが見えた。帰還した彼に淹れさせるために用意しておいたのだろう。
シンクレールの手のひらに魔力が集中し、やがて熱湯となって注がれた。
「よく蒸らしてから飲みましょうね。嗚呼、素敵! こうして昔の仲間と再会して、とっておきのお紅茶を飲めるだなんて!」
「ええ、本当に」
あまり彼女を刺激しないようにしよう。ただでさえ予想外の遭遇なのだから。
不意にトリクシィは口元に手を当てて、びっくりしたように目を丸くした。
「まあ大変! シンクレールさん、あたくし、自分の部屋にお茶菓子を忘れてきてしまったわ。とっても美味しいクッキーなの。シンクレールさんと一緒に食べようと思っていたのに、あたくしって駄目ね……。銀器に乗った茶色のクッキーよ。テーブルの上に乗せたままだわ」
一瞬の沈黙が流れ、シンクレールがおずおずと立ち上がった。
「取って来るよ」
「まあ! なんて優しいんでしょう! 嗚呼、シンクレール。あなたって本当に素敵な方ね」
最低だ。腹が立って仕方がない。
テーブルの下で、拳を握りしめた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。詳しくは『92.「水中の風花」』にて
・『騎士団長』→王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。




