246.「深紅は如何なる未来を辿るのか」
耳を疑った。
『毒食の魔女』が『黒の血族』――つまり、魔王の類親者?
だとしたら、今すぐにでも倒すべき人類の敵のはず。魔女だって、自分がそのように見られることを知らずに言ったわけではないだろう。
サーベルに手をかけようか否か……。
迷った腕は結局膝の上に落ち着いた。勝てないことは分かっているし、なにより、シンプルに敵だと即断してしまうのはどうも違うように思えたのだ。
相容れない存在であることは間違いない。けれどそれは一般論だ。彼女の人格や行為、そして昨晩受けた恩義を蔑ろにしていい理由にはならない。
そんな葛藤を見抜いたのか、魔女は薄っすらと笑みを浮かべた。
「こらえたねェ。少しはマシになってきたじゃないか、お嬢ちゃん」
「……詳しく説明して。あなたが『黒の血族』ならわたしとは――いえ、人間とは敵同士のはずよ。どうして邸に招いたり、ノックスに魔術を教えたりしてくれたの?」
彼女の言葉が嘘じゃないのなら、どこまでも腑に落ちない。敵に塩を送るような真似を平然とやってのけるだけの理由がどこにあるというのだ。
「理由なんて簡単さァ。あたしが珍しい物好きなだけ……。その子が今すぐあたしの手に入らないのなら、せめて生き延びる方法だけでも教えてやろうと思っただけだよ。つまり、気まぐれさねェ」
気まぐれ。
その言葉は、結局のところどうにだって転び得たことを示しているのではないだろうか。たとえば、また別の気まぐれでわたしたちを襲撃することだって当然ありうるのだ。
そんな危惧を払拭するように、魔女は付け加えた。
「そうは言っても、あんたたちを破滅させるような気はないさァ。今も、これからも。はじめに言ったろう? あたしは誰の味方でもないし、誰の敵になるつもりもない。その意味では『黒の血族』だろうとそうでなかろうと大差ないよ。……それに、『黒の血族』ってのは半分だけの話さァ」
半分?
それはつまり……どういうことだろう。
「半分ってなんだい? ハーフだとでも?」とアリスは挑むような目付きでたずねた。そんな彼女に、魔女は軽く頷いて見せる。
「そうさァ。あたしの血は半分人間で、半分は奴らのものさねェ」
人と、血族のハーフ。それが意味するところを考えてゾッとした。
やはり、王都の常識では計れないことが各地で起こっているというわけだろう。少なくとも、王都でそのようなことが起きれば追放では済まない。即極刑に処されるだろう。それも、一族全員が。
ハーフの存在そのものは一旦納得するほかない。
それよりも聞いておくべきことがある。「あなたの言う未来を視る力っていうのは、『黒の血族』の力なのかしら?」
「おや、鋭いじゃないかァ。お嬢ちゃんの言う通り、未来視は血族の力だろうねェ。はっきりはしないけどさァ……」
はっきりしない、とはどういうことだろう。首を傾げて見せると、魔女は呆れつつも補足した。
「血族にはそれぞれ特殊な力があるのさァ。黒の血を武器に変えたり、擬似的な魔術として使ったり……まァ、様々だねェ。それがあたしの場合、たまたま未来視だったというだけのことだよ。それも、実に半端な力さァ」
「半端な力?」
こちらの疑問に答えるためか、魔女は左手を前にかざした。するとグラスはそのままにワインだけが宙に浮く。
「このワインが未来だと思えばいい……。たとえば、或る未来があるとする。それは天井からグラスまでひと筋に続いているとしよう」
天井部分からグラスまで、一本の糸のようにワインが固定された。彼女にとって液体は図や絵に最適な材料なのだろう。それだけ自由に液体を移動させられる魔力を持つ者だけの特権だ。
「グラスに至る前の段階で、あたしはグラスにワインが注がれることを知っているのさ。視えている、といえるねェ」糸状のワインが天井付近まで縮んでいく。「たとえば、グラスにどうしても入れたくないとき、あたしの取れる行動はひとつだけさァ。予定通りの未来から外れた行動をしたりさせたりすればいい。そうすれば、ワインはグラスに注がれないかもしれない」
ワインが直角に曲がり、それから真下へと徐々に伸びていく。このまま真っ直ぐ伸びるとなると、彼女の言った通り、ワインはグラスに注がれない運命をたどるだろう。
「未来視の厄介なところはねェ、たったひとつの未来しか視えないことなのさァ。たとえば、未来の青写真が変われば、まったく別の結末が視えたりもする。それはあたしが介入してはじめて分岐するのさァ。そして――どれだけ介入しても変わらないことだって充分にありうる」
グラスの手前でワインは軌道を修正し、グラス内へのルートをたどった。
「未来は当然、こんなにシンプルじゃない。条件を少し複雑にすると……あたしはワインをブドウの皿に注ぎたいと考えている。それが駄目なら、ワイングラスに注ぎたい。最悪なのはテーブルにこぼれることさ。……で、なにもなければワインはグラスに注がれる未来だとしよう。あたしはどうしても大皿に入れたいから、介入をする。ところが分岐した未来は、テーブルにぶちまけられる方向に動いてしまう。慌ててあたしはさらなる介入をする。けれど、結末は変わらない。躍起になってテコ入れしようとしたところ――」
天井付近から伸びるワインの糸は、複雑な蛇行を繰り返し、やがて魔女の顔の前で静止した。
「――予想外の事態に出くわしたりする。想定される最悪のケースを軽々と跳び越えるような、底の底が現れたりするのさァ。さっきまであたしは、テーブルにぶちまけられるのが最悪だと思っていたけれど、顔にワインを浴びるのはそれ以上のケースだ。こんなことになるなんて思ってなかった。……そんなことが山ほどあるのが未来なのさァ。そして、それが視えるというのは決して良いことじゃない。しかも『黒の血族』に関する未来はぼやけて視えないしねェ」
魔女の言う通りなら、彼女が介入さえしなければ未来はあるべき結末をたどるのだろう。事前に分岐が視られない以上、どうしても変えたい未来が視えたとして、それを変えるために行動するのは非常に大きなリスクを負う。彼女の言った通り、想定外の不幸が待ちかまえていたり……。つまり、そのことを説明したかったのだろう。
「それで、わたしの未来もノックスの未来も『黒の血族』に関する以上、分からないということなのね?」
魔女は軽く首を振って否定した。
「半分間違ってるさァ。まったく分からないわけじゃない。あくまでぼやけているだけ。霧の先にある絵を見るようなもので、近付かないとはっきりしない。……今の段階で言えるのは、どう頑張っても明るく幸せな未来は待っていないってことさァ。それと――」
魔女はノックスを一瞥し、俯きがちに首を横に振った。「いや、なんでもない。口が過ぎたねェ。まったく……」
なにを言いかけたのか追求しようとしたが、彼女の背後に控えるウィンストンの鋭い眼光に射られた。これ以上は触れるべからず、ということだろう。
「分かったわ。……最後にひとつだけいいかしら」
「なんだい」
一度、長いまばたきをしてから魔女を見据える。
彼女の本心や狙いについて、わたしが判断出来る点は少ないかもしれない。今のところは敵と思えなかったが、ニコルの指示を受けている可能性だってあるのだ。ただ……そこまで疑うつもりはない。これまでの魔女の態度を見る限り、そんな素振りは少しもなかった。
けれど、はっきりさせておきたいことがある。
「あなたは、ノックスの未来を変えようとしたの?」
彼女は暫く目を伏せ、やがてわたしと視線を交差させた。その瞳は、どこか憂いを含んでいるように見える。
「そうだよ。ただ、あんまり変わらなかったねェ」
その答えがすべてだった。
どう変えたいだとか、これ以上介入するつもりがあるのかだとか、そこまでの言葉を引き出せればと期待したものの、魔女はそれきり、その話題には触れなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。




