245.「応接間 ~遵守事項~」
朝陽がゲストルームの窓越しに射し込んでいた。大理石の床が光を反射し、豪壮な輝きを見せている。
「これで大丈夫でしょう。傷はすぐに治ります」
ウィンストンはノックスの治療を済ますと、そう言い残して去っていった。すっと背筋を伸ばして立ち去るその姿は、実に執事らしい。そんな彼に、ノックスは「ありがとう」と投げかけたが、振り返ってわずかに頷いただけだった。
ノックスはグールに裂かれた箇所を、きっちりと包帯で覆われていた。痛ましい姿ではあったが、彼はなんとなく誇らしげな様子である。
ひと晩を切り抜ける。それも、ちゃんと敵と対峙して。ノックスが撃退したグールは片手で数えられるほどだろうが、確実に彼の成長へと繋がっているだろう。
そしてわたしも、魔女の言葉で目が覚めた。いつか訪れる決定的な瞬間のために、彼の実力を伸ばさなければならない。死なせてもいけないし、過度に甘やかしてもいけない。敵――つまり、ニコルと魔王へと至る道をたどるのならば、文字通り決死の覚悟と行動が必要なのだ。それを直視出来ていなかったわたしは、なんて弱腰だったんだろう。
グールの大群との夜間戦闘を終えると、魔女は一旦邸へ戻るよう勧めた。断ろうかとも思ったが、ノックスもわたしも疲労している。それに、まだヨハンの二重歩行者が捕らえられたままである以上、拒絶するわけにはいかなかった。そして邸のゲストルームでノックスの治療がおこなわれたというわけである。
ノックスはベッドに腰掛けて外の日差しに目を細めている。
ひと回り大人になった――というよりも、彼の強い意志に気付けなかっただけなのだろう。彼はもう、悲劇を浴びて虚しく周囲に左右されるだけの存在ではない。自らの意志で選択し、その責任だって取る覚悟を持っている。今朝の傷がその証拠だ。
「ノックス」
呼びかけると、彼はこちらに顔を向けて心持ち首を傾げた。その仕草は相変わらずで、やっぱりいじらしい。
言うべきことは決まっている。彼の意志に報いなければならない。
「これからもよろしく。一緒に頑張っていきましょう」
すると彼はぎこちない笑みを浮かべて、「うん」と小さく答えた。
やがて飛び跳ねるような、愉しげな靴音が聴こえた。それはどんどんこちらへと近付き、ドアの前で止まる。そしてなんの遠慮もなくドアを開け放ったのはやはりメイド――ジェニーだった。
「オヤブンがお呼びにゃ~。昨日の応接間に来るにゃ。早くしないとブドウがなくなっちゃうにゃ!」
そう残して、ジェニーはトトトト、と駆け去っていった。場違いな感じは否めなかったが、どこか憎めない人間性である。彼女のような存在がいれば、魔女の邸も退屈しないだろう。
「それじゃ、行こっか」
「うん」
応接間には相変わらず華美な服装と高慢な態度を隠さない魔女と、口元に手を当てて押し黙るヨハン。そしてテーブルに盛られた和音ブドウをブチブチ鳴らすアリスがソファに腰掛けていた。昨日と同様に、ウィンストンは魔女の後ろで静かに佇み、ジェニーは入り口付近でそわそわと身体を揺らしていた。
わたしとノックスはアリスとヨハンの間に腰を下ろす。優に五人はかけられるソファで助かった。魔女の隣に座るのはさすがに気が引ける。
「さァて、揃ったねェ」
魔女は静かに口火を切り、和音ブドウを口に運んだ。小気味の良い音が鳴り、アリスが張り合うようにブチッと鳴らす。
「お嬢ちゃんも好きに食べていいからねェ。……もう敵じゃないって分かったろう? まァ、味方でもないけどさァ」
確かに、昨晩の彼女を敵と呼ぶことは出来ない。彼女はノックスの覚悟を肯定し、必要な心構えを教えてくれた。
間接的に、身をもって。
「そうね。あなたはきっと敵じゃない。けれど、いつまでも邸にいるわけにはいかないことは理解してくれるわよね?」
王都は近く、危機はすぐそこまで迫っている。もしかしたら手遅れかもしれないのだ……。
けれども魔女は、左手をひらひらと振って短く笑った。呆れ笑いに近いような、そんな響きが部屋に広がる。
「分かってるさァ、そんなこと。お嬢ちゃんの目的についてはどうこう言うつもりはないし、そもそも『黒の血族』に関する未来は視えないからねェ。どうなるかなんて知りやしない。けどねェ、一日や二日のんびりしたところで変わりやしないよ」
「その根拠は?」とヨハンがすかさず口を挟んだ。二重歩行者が戻っていないからか、やけにとげとげしい不満げな口調である。
魔女はというと、彼の声を聴くや否や眉間に皴を寄せ、いかにも不機嫌そうに答えた。
「根拠なんて教えないさァ、ペテン師。それを聴くだけの資格があんたにあるとは思えないねェ。あたしは嘘つきが一番嫌いだって言ったろう? あんたがこれ以上ひと言でも口を利くようなら二重歩行者は帰ってこないと覚悟しなァ」
ヨハンがこうも嫌われているのは、彼の過去が原因だろうか。
たとえば、ダフニーで彼が仕出かした卑劣なおこないは確かに見過ごせない。それと比較するわけではないが、彼に助けられた事実を抜きにして判断するのはどうもフェアではないように思える。少なくとも、わたしは彼を擁護したいくらいの気持ちにはなっていた。
とはいえ、魔女に余計な言葉を返すのは得策ではない。ヨハンも黙りこくって彼女を睨むばかりである。そのまま大人しくしていてくれれば穏便に済むだろう。
「さて、本題に入ろうかァ」魔女は足を組み替え、目を伏せた。それがどうしてか寂しげな様子に見えたので意外である。
「その子には三つ、守るべきことがある。ひとつは、防御魔術を含めたすべての魔術にさらさないこと。もうひとつは、誰からも魔術を教わらないこと」
その二つに関してはあくまで確認でしかない。すでに把握している。彼の体質上、魔術には一層デリケートになる必要があるのだ。そのことをノックスに直接伝えることが出来ないのは歯痒かったが、致し方ない。
アリスは体質についてすでに聞かされているのか、無言で頷いた。
魔女はノックスに視線を移し、諭すように語りかける。「最後にひとつ。あたしが教えた『魔術のコツ』だけを繰り返しな。それでいくらかマシにはなるよ」
ノックスはしっかりと一度、頷いて見せた。彼がなにを教わったのかは分からないけど、魔球を出せるようになった以上、魔女の授けた『コツ』とやらが間違っているとは思えなかった。
「それだけ理解すればいい。あたしからはもう話すことはないよ」
言って、魔女はブドウを摘まんだ。綺麗な音を出して果実を口にする彼女は、やはり、どこか寂しげな様子である。
最後にひとつ、こちらから聞いておきたいことがあった。
『毒食の魔女』の成り立ちだ。
「ひとつ、教えてほしいことがあるんだけど……」
魔女はほんのわずかに眉を持ち上げ、こちらを見つめた。「なんだい? 言ってごらんよ。物事によっては答えてやるかもねェ」
彼女がいかにして、王都でも類を見ないような常軌を逸した魔術を会得するに至ったのか。そして、未来視についても有耶無耶なままにしておきたくない。
すべての疑問を込めて、魔女に投げかけた。
「あなたは一体……何者なの?」
沈黙が部屋を満たし、空気が張り詰めた。答えに窮した沈黙でも、答えるつもりのない沈黙でもなさそうである。じっくりとタイミングを計るような、そんな静けさが流れていた。
ジェニーは露骨に目を白黒させ、ウィンストンさえ長いまばたきをひとつした。張り詰めているのは却って彼らのほうかもしれない。特にウィンストンが顕著だが……平然と佇んでいるように見えて、いつでも構えを取れるよう殺気立った気配を匂わせているのだから。
やがて魔女はゆっくりと口を開いた。その唇が蠢く。
彼女の喉から漏れ出した言葉は、わたしの思考を奪い去った。
「あたしはねェ、あんたの憎む『黒の血族』さァ」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身魔術。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『ダフニー』→クロエが転移させられた町。ネロとハルの住居がある。詳しくは『11.「夕暮れの骸骨」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて




