241.「豊かで物騒な食卓」
ゲストルームは応接間に引けを取らない豪華さだった。滑らかな木肌のドレッサーに、同じ素材のテーブルや本棚。純白のベッドが二つ。壁には大樹を描いた風景画。絨毯は鱗のような模様が放射状に広がっている。
窓際の花瓶に活けられたハナニラは、今しも摘んだばかりといった具合に活き活きとしていた。
レース地のカーテンを通して射し込む茜色の陽光。椅子に腰かけて景色を眺めると、なんだか感傷的な気分になった。
時間は駆け足で過ぎ去っていくのに、わたしはぐずぐずと悩みながら、ほんの少しずつしか進めていない。『最果て』からの距離に比べれば、王都は目と鼻の先。やむを得ない事情とはいえ、ここでの足止めは歯痒かった。
今頃ニコルはどれだけの知略をめぐらしているだろう。そしてわたしは、どれだけ強くなっただろうか。
ノックスはテーブル越しにわたしの向かい側に座り、うたた寝している。昨晩、夜通しグールと戦っていたのなら眠くもなるだろう。いくら朝に睡眠を取っても、彼くらいの年齢ならいくらでも眠れる。
ノックスのおだやかな寝息を聴きながら、これからのことについて考えた。
先ほど決めた通り、ノックスは一緒に連れて行く。なにがあろうとも。これは彼の決断であり、同時にわたしの選択でもある。きっと後悔はつきまとうだろう。それでも……。
陽が落ちるまで、わたしはノックスの寝姿を見守っていた。
食堂に入ると、すでにヨハンがいた。アリスの姿もあったが、首に包帯を巻いている。きっとウィンストンが処置したのだろう。
彼女はいかにも不機嫌そうに、眉間に皺を寄せていた。細長いテーブルの上座には『毒食の魔女』が座り、退屈そうに爪を眺めている。
わたしが席に着くと、魔女はよく通る声で「邸に人間を招待するのはいつぶりだろうねェ……。ご馳走を用意したから、たっぷり楽しんでおくれェ。なに、毒なんて入っちゃいないからさァ」と告げた。
彼女が言い終えると同時に、ウィンストンとジェニーがそれぞれ盆を手に現れた。ウィンストンは機械的に、ジェニーはどこか忙しなく、様々な料理を運んでくる。
香草で燻した豚肉、彩り豊かなサラダ。魚のすり身を団子にした物はふわふわと口当たりが良く、スープは薄口ながらも落ち着く味だった。
そして極めつけは、食後に運ばれたデザートの飴細工である。ハナニラをモチーフにした半透明の飴は、口にするのも躊躇われるられる美しさだった。結局その甘さに舌鼓を打ったのだけれど……。
魔女が片手で器用に食事をする様は、慣れきった雰囲気があった。仕草も余裕たっぷりで、優雅さすらある。片腕をなくしてから久しいのだろう。
食事を終えても魔女は一向に席を立とうとしなかった。まるで、話があることを見透かしているように。
「あの……」と切り出そうとすると、魔女はじっとわたしを見つめた。ようやく口を開いたか、とでも言いそうな含み笑いを浮かべていたが、目付きは鋭い。
なにもかも承知なのだろう。それでも言葉を待っているあたり、律儀なのか矜持があるのか分からない。
「素敵なお食事、ありがとうございます」
ぺこりと会釈して見せると、魔女は「客人なんて滅多に来ないからねェ。ただの気まぐれだよ」と呟いた。
顔を上げ、再び彼女と目を合わせる。いよいよ本題だ。大人しく退いてくれればいいが……。
「もてなしてくれて悪いんだけど……ノックスは連れて行くわ」
ぴん、と空気が張り詰める。魔女は微動だにせず相変わらずの微笑を浮べていたが、雰囲気は明らかに変わっていた。それも、おだやかでない方向に。
「お嬢ちゃん」と、魔女の唇が静かに揺らめく。「あんた、自分がなにを言ってるのか分かってるのかい?」
ぞっとするような低い声だった。冷たく、そして容赦のなさを感じさせる声音。けれど、こちらも退くつもりはない。わたしの隣でノックスは身を硬くしていた。
「危険は全部承知してる。ノックスも覚悟してるわ。だから、彼の意志を尊重するの。もちろん、わたし自身も全力で鍛え――」
「黙りな」
魔女の瞳は、虚ろに濁っていた。機嫌の悪さを示すにはあまりにも露骨な眼光である。
「グダグダと甘いことばかり言って誤魔化すんじゃないよ。つまり、そいつが死んでもかまわない。そういうことだろう? 意志を尊重するだって? 馬鹿言うんじゃないよ。情にほだされてぐらぐらと揺れた挙句、自分にとって楽なほうを選んだんだろう?」
「ちが――!」
「違わないさァ。そいつに『捨てられた』って思われるのが恐いだけだろう? 優しいお嬢さんであり続けたい欲が透けてるよ。あんた、本当は自分が可愛いだけなのさァ。――ん? また血を吹いて倒れたいのかい? 馬鹿娘」
アリスはまたしても銃口を魔女に向けていた。どうしてアリスがムキになる必要があるのだろう。魔女を説得しなきゃならないのに、ろくに言葉を返せないわたしが一番情けないのに。
アリスは引き金を指の腹で撫で、吐き捨てるように言った。「あんた、言葉が過ぎるよ」
一触即発の雰囲気である。なんとしてでも止めなければ――。
「アリス、魔銃を納めて頂戴。ここで殺されるのがあなたの目的じゃないでしょう?」
食堂に鳴り響くほど大きな舌打ちがして、アリスは魔銃を下ろした。そうだ。彼女の目的はルイーザの打倒である。こんなところですべてをご破算にしたくはないだろう。頭に血が昇っているとはいえ、魔女に敵わないことくらい彼女はよく理解しているはずだ。
「馬鹿げた茶番だねェ……。で、お嬢ちゃん。あんたのエゴにそいつを付き合わせて破滅させるのがお望みってことでいいのかい?」
そんなつもりはない。けど、魔女はあえて露骨で醜い言葉を使っているだけだ。それに、エゴが完全にないかと言えば嘘になる。
わたしはノックスに同情しているし、彼はわたしに依存しつつあるかもしれない。そんな勝手な感情をすべて直視して、それでも決めたのだ。もう揺らがない。
「そうよ。わたしのエゴにノックスを付き合わせるの。けれど、絶対に破滅させない。あなたがどんな想定をしているか知らないけど、言ったわよね? ノックスがわたしと一緒に旅する未来は視通せない、って。どんなに難しい道でも歩んで見せる」
沈黙が下りた。誰ひとり口を開く者はいない。さすがのジェニーも、口を真一文字に結んで黙っている。
重苦しい空気の只中で、魔女は長いため息をついた。
「くだらない。本当に。まるでおままごとだねェ。……そこまで言うんなら、認めさせてみなよ。ちょうど夜が来る。そいつが夜明けに自力で立っていられたら認めてやるよ」
「それって……魔物と戦えってこと?」
「ああ、そうさァ。ただし、条件はつけさせてもらうよ。じゃないとお嬢ちゃんが守りきっちまうからねェ」
挑発的な目付きで魔女は言う。未来が視えているのなら、そんなことをする必要はないんじゃないかとも思ったが黙っていた。彼女の思惑が把握しきれない以上、迂闊なことを言うわけにはいかない。
「条件は二つ。お仲間の加勢はなし。ただし、お嬢ちゃんはそいつと一緒に戦ってもいい。もうひとつの条件は、その子の半径五メートル以内に入らないこと。いいかい?」
思わず肩の力が抜けた。
そんなことでいいのか。てっきり、ノックスひとりに戦わせるような無謀を口にするのかと思った。
「分かったわ」
「なら、決まりだね。……ああ、そうそう。もし条件を破ったら、その子もお嬢ちゃんも殺すからねェ」
軽い口調ではあったが、嘘には聴こえなかった。そもそも嘘が嫌いと公言する彼女がハッタリを言うとは思えない。
「もしそうなったら、私だって黙ってないですよ」とヨハンが口を挟んだ。彼の目はやけに真剣で、挑むように魔女に注がれている。
魔女はなにも言葉を返さず、ヨハンと視線を交わしていた。
沈黙を破ったのは、意外にもノックスだった。「それでいい」
「なら、決まりだねェ。夜までしっかり休むといいさ」
立ち上がり、去っていく魔女の背を目で追った。
彼女には一体どれほど確かな未来が視えているのだろう。そして、それをどうするつもりなのだろう。
彼女の黒のロングコートが、廊下の闇に吸い込まれるように消えていった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。




