240.「それでも一緒に」
叫んだことを恥じるようにノックスは俯いた。
なんだかその様子が、徐々に感情表現に慣れつつあるように思えて逆に安心してしまう。これまでの無表情と比べると、ずっと多彩な姿を見せてくれるノックスに喜びさえ感じた。
「ひと晩考えるといいさァ。そいつがちゃんとグール相手に立ち回れるか見極めるといいよ。それと、あたしのことも好きに判断するといい。こっちはどうなろうとかまわないさァ。面白い玩具を見つけたから遊んでやろうと思っただけだしねェ……」
『言葉を選ばない』と先ほど言った通り、魔女はあまりに露骨なことを言ってのける。わたしを焚き付けて面白がっているように思えたが、それでも彼女を全否定することは出来なかった。
ノックスの魔球。拙いながらも彼が生み出した魔術。魔女の力は認めるほかない。ただ、ノックスを預けるかどうかはやはり別問題だ。
「ウィンストン。ゲストルームまで案内してやりなァ。乱暴で馬鹿な奴だろうと、優しさと甘さをはき違えた間抜けだろうと、吐き気のするほど邪で不潔な悪党だろうと、客人は客人だ。……お嬢ちゃんはその子と一緒の部屋がいいだろう。ペテン師には一室あてがいな」
散々な言われようだ。魔女は返事などおかまいなしにヒールを鳴らして部屋を去っていった。大皿に盛られた和音ブドウはいつの間にか半分ほど消えている。ほとんど魔女が平らげたのだ。
「ご案内いたします。さあ、こちらへ」とウィンストンは出入り口を手で示した。その仕草は淀みなく、執事然としている。
腰を上げると、カカカカカッとやかましい靴音が響いた。ウィンストンの眉間に一瞬だけ皺が寄る。
「オヤブン! 銅像捨てて来たにゃ! お掃除完了にゃ! にゃはは、は?」
入り口に姿を現したジェニーの笑顔はすぐに消えた。彼女は上背のあるウィンストンに、さながら猫のごとく首の後ろを掴まれたのである。
「失礼。これを捨ててきますので、しばしお待ちください」
一礼して部屋を去ろうとするウィンストンに、ジェニーは掴まれたままバタバタと暴れた。
「やめるにゃ! 裏切り者! 殺し屋! スパイ! ヒゲ! やめるにゃ~!」
彼女の声が遠ざかっていき、やがて消えた。騒々しいメイドである。不安と心配と責任に圧し潰されそうな状況を軽々と跳び越える彼女の明るさを、なんだか羨ましく思った。きっとジェニーは重大な問題だってすぐに決めてしまえるだろう。それこそ直感で。そして後を引くこともなさそうだ。
本当に、羨ましい。
「坊ちゃん、元気にしてましたか?」とヨハンは弱々しくたずねた。さすがの彼も、魔女にあれだけこき下ろされれば落胆するのだろう。彼なら対等に渡り合えるかも、と思っていたのだが……実際に会ってみると『毒食の魔女』相手にフェアに立ち回れる人間がいるとは思えなかった。
ノックスが短く頷くと、ヨハンはぎこちなく笑った。「そりゃあ良かった。ときに、先ほどの魔球は見事でしたよ。魔術師になる日も近いですね」
するとノックスは短く首を横に振り、「まだ全然……」とだけ答えた。
彼の想定がどの程度なのかは分からないが、今の実力で満足しているわけではないようだ。となると、今後も魔術の腕を磨くことを考えているのだろう。
魔女の言葉が呪いのように、頭に鳴り響いた。
――『下手な連中に魔術なんて教わった日には、それを体得する前に破裂しちまうよ』。
『毒食の魔女』ほどの人間がどれだけいるのかは分からない。そもそも、正確な彼女の実力は未知である。顔色ひとつ変えずにやってのけた数々の魔術だけでも充分すごいが、まだまだ底を見せていない気がした。
彼女に匹敵する魔術師じゃないとノックスを安全に育てられないというのなら、もはや選択肢はないように思えてしまう。
「坊ちゃんは……クロエお嬢さんと一緒に旅をしたいと思っていますか?」
ヨハンは直球で彼に確認する。ノックスはというと、迷いなく頷いた。彼の意志は固いようだ。ただ、問題はそればかりではない。彼の生き死にが関わっているとなれば、残酷な決断だって必要になる。
「たとえどんなに危険な目に遭おうとも、ついていきたいですか?」
「うん」
「死ぬかもしれないですよ?」
どきん、と心臓が跳ねた。ヨハンもヨハンで、どうしてまた言葉を選ばずストレートに聞くのだろう。脅しにしても質が悪い。ところがノックスは、きっぱりと頷いた。
「それでもいい」
彼が真剣に悩んで決めたのか、それとも情に流されているだけなのか……。きっと後者なのだろうけど、それを簡単に否定してしまう気にはなれない。
「少し、厳しいことを言います」とヨハンは前置きを入れて、ノックスを鋭く見やった。「今の坊ちゃんではクロエお嬢さんの荷物にしかなりません。ここで魔術の修行をして、それから一緒に旅するというのでは駄目ですか?」
それはあんまりひどく言いすぎているのでは、と口を挟もうとして、ぐっ、とこらえた。
先ほど魔女に甘さを指摘されたばかりだ。彼女の言うように、きっとわたしは優しさと甘さを混同してしまっている。『最果て』の道中では彼に情を移さないよう気をつけていたのに、ハルキゲニアの一件以降はあやふやになってしまった。
ノックスは拳を、きゅっ、と握って俯いた。それから絞り出すような声が部屋に広がる。「頑張るから……連れて行って……」
ヨハンのため息が聴こえた。とてもじゃないが説得出来そうにない、といった諦め混じりのため息。
わたしはというと、そこまで彼に口走らせてしまったこの状況が悔しくてならなかった。
目をつむり、どうすべきかを自分自身に問いかける。返ってくる言葉なんてなにひとつないのに。
もし、彼が本気なら。
――優しく抱擁するのは、多分違う。
「ノックス」
呼びかけると、彼は顔を上げた。目と目が交差する。彼の瞳に映ったわたしの顔は、普段よりも厳しく見えた。
「もしあなたが本気なら、一緒に連れて行く。ただ……覚悟して。あなたが思ってる以上に、苦しくて、哀しくて、辛い目に遭うかもしれない。そのとき後悔しても遅いのよ」
「それでも……!」一瞬声を荒げ、それから彼は大声を出した自分を恥じ入るように目を伏せた。「一緒に行きたい」
そこまで決めているなら、わたしだって本気にならなきゃ駄目だ。彼がひとりで魔物と渡り合えるように。そして、防御魔術なしに戦えるように。なにより、質の悪い魔術師の攻撃魔術を受けないように。体術なら教えても問題ないはずだ。
「分かった。じゃあ、一緒に行きましょう」
つう、と彼の目からひと筋の涙が溢れ出た。嗚咽もなく、表情も崩れていない。
自然に流れた純粋な雫。きっとそうだ。
廊下のほうからまたもカカカカカッと靴音が響く。
「逃げ切ったにゃ! にゃはは! 執事気取りめ! にゃはは、は?」
ジェニーは涙をこぼすノックスと、ただただ佇むわたしと、それからがっくりと肩を落とすヨハンを順番に見つめ「にゃにゃにゃ! 気まずいにゃ~!」と残して消えていった。どこまでも落ち着きない奴である。
「彼女は一体何者なんですかね?」とヨハンは呆れ笑いを漏らす。
「さあ」とつられて笑うと、ノックスはごしごしと袖口で涙を拭い、ぎこちない笑顔を見せた。
今度は硬質な靴音が響き、ウィンストンが姿を現した。
「お待たせしました。すぐにご案内しましょう。……ところで、うちの馬鹿猫を見ませんでしたか?」
「さっき慌てて出て行ったわよ。忙しない人ね」
「まったく、困ったものです。……失礼いたしました。それでは、こちらへどうぞ」
わたしたちはウィンストンのあとに続いて、応接間を出た。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて




