235.「毒食の魔女」
邸内は外観以上に豪勢な造りだった。
大理石のフロアは白と黒の格子柄で、吹き抜けの天井に吊り下げられた多灯式のシャンデリアが放つ煌びやかな光を反射している。二階の柵は蔦草をモチーフにした曲線的な造りで、柱には縦縞が入っていた。
壁も天井も白を基調としていたが、扉は重厚な濃いブラウンで、ノブの部分だけ金色に輝き、存在を主張している。城の一室と言われても疑わないくらいの家だった。
執事はツカツカと靴音を鳴らして歩き、右側の扉を開け放った。彼に続いてジェニーがぎこちなく歩く。
「おしとやか、おしとやか」という呟きがときどき耳に入った。きっと魔女や執事から注意されているのだろう。確かに、これまでのジェニーを見る限り、おしとやかとはほど遠い印象である。
扉の先は廊下になっており、金縁の額に入れられた風景画や、ローブ姿の女性を模った石膏像なんかが等間隔に並べてあった。趣味が良いとは思えないが、内装にマッチした飾りではあるだろう。
やがて執事は、廊下の途中にあったドアを開いた。
「こちらが応接間です。じき主人が参りますので、ソファにかけてお待ちください」
示されるままに部屋へ入ると、これまた華美な内装である。大理石の床はそのままに、巨大なソファが一対と、その間に質の良い木製のローテーブル。なにやら前衛的なシルエットの銅像に、背の高い柱時計。テーブルの上には白磁の大皿と、縦長の花瓶に活けられた花――ハナニラ。花瓶は半透明の深い蒼で、ハナニラの純白の花弁としっとりマッチしている。
ソファに腰かけると、心地のよい反発感と、包むような柔らかさを感じた。布張りでこれほど上質な座り心地のソファなんてはじめてである。ヨハンはわたしの右隣にぐったりと身を投げ出し、アリスは左にドスンと腰を下ろした。
ジェニーはいつの間にやら盆を手にしており、「うぇるかむにゃ~」と言って深紅の液体が入ったグラスをそれぞれテーブルに置いた。
……どう見てもワインである。わたしのだけ色が薄い気がしたが、どうせ口をつけるつもりはない。人攫いの邸で迂闊なことなんて――。
「いいねぇ。食堂で呑んだのよりも味が深い。舌に合うよ」
アリスは早速グラスを半分ほど空にしていた。……危機感のない奴。それとも、開き直っているだけなのだろうか。
ヨハンはしきりに深呼吸を繰り返し、目を白黒させていた。彼も彼で大変な状況である。昨晩から半身が監禁されているとなれば魔力の消費は膨大なものだろう。それこそ、枯渇してしまうほどに……。
ジェニーはニコニコと籠から和音ブドウを何房か取り、大皿に載せていった。そしてまた「うぇるかむにゃ~」と口にする。
執事はというと、気が付くと消えていた。二重歩行者を解除したのか、それとも気付かれないようにそっと去って行ったのかは分からない。いずれにせよ、重要なのはひとつだ。じき主人が――つまり『毒食の魔女』が来ると彼は言った。
ノックスを攫った張本人にようやく会える。どんなに強大な力を持っていようとも、一歩も引くつもりはない。
柱時計の音がカチカチと静寂を彩る。それに合わせるように、ジェニーが身体を左右に揺らしていた。じっとしていられない性格なのか。落ち着きのなさは、丘での跳躍劇で把握済みである。
ふと心配になってヨハンを見ると、彼は相変わらずぐったりと背もたれに身体を預けていたが、視線は確かなように見えた。応接間の入口へと、じっとり注がれた眼差し。警戒心の表れだろう。
「にぁあぁぁ」
間の抜けた声とともに、ジェニーが大あくびをして見せた。まったく、どこまで軽薄なんだ。その緊張感のなさは無責任と言い換えてもいいかもしれない。あの執事とはあまりに対照的な存在である。
アリスはわたしの横で、熱心に和音ブドウをブチブチ鳴らしていた。一向に上達していないようである。
「よく平気で飲んだり食べたりできるわね」
「毒を盛るつもりなら招待なんてしないさ」とアリスは和音ブドウを摘み続ける。
「確かにそうかもしれないけど……」
なんというか、無警戒すぎやしないだろうか。魔女のご機嫌を取りに来たわけではないが、下手な真似をしてノックスに危害が加わるのは避けたい。そんなわたしの心配なんてアリスには知らぬ存ぜぬだけど……。
やがて、廊下から二人分の靴音が聴こえてきた。硬質な革靴の響きは執事のものだろう。もうひとつは――魔女の足音に違いない。音から察するにヒールを履いている。歩調はゆっくりで、余裕が窺えた。
そして靴音は扉のそばまで迫り、音の主が姿を現した。
胸元の開けた細身の赤いスリットドレスから覗く脚はすらりと長く、宝石の散りばめられた深い蒼のハイヒールを履いている。襟元に質の良いファーをあしらった黒いロングコートを肩にかけ、わたしたちの向かいのソファまで歩く姿はなんとも優雅だった。良く手入れのされているであろう銀髪は、胸元までの巻き髪である。首には光源を反射して煌めく豪勢なネックレス。両耳にも宝石付きのピアスをつけている。
気になる点がいくつかあった。
まず――右腕がない。コートに隠れているので仔細には確認出来なかったが、おそらくは肘の手前までしかないだろう。
次に、魔力である。眩暈のするような膨大な魔力を想定していたのだが、視る限り彼女の身体には普通の魔術師レベルの魔力しか溢れていない。隠蔽されているとも考えられるが、別の可能性もある。たとえば夜間の防御魔術や、周囲の目から邸を隠す魔術にかなりの力を消費しているケースだ。『鏡の森』で出会ったグレガーも、大規模な魔術を仕掛けるあまり攻撃に関してはさっぱりだった。もしそうなら、たとえ戦闘になったとしても有利に立ち回れる。
魔女は向かいのソファに腰を下ろし、脚を組んだ。そうして左手をその脚に添える。たくさんの指輪を嵌めた手だ。粒の大きい宝石が眩い。その爪は深紅に染まっている。王都でも富裕な女性は爪を染めて得意気になっていたことを思い出す。なんと言ったっけ……そう、確か、ネイルアートだ。目の前の魔女も、それを施していた。
紫色の眼が、わたしたちを順繰りに見つめる。
年齢についてはなんとも把握が難しいが、少なくともわたしやアリスより年嵩だろう。皺こそないものの、成熟した雰囲気があった。
見る限り、成金趣味の魔術師としか思えない。
魔女の座ったソファの後ろでは、執事が屹立している。
魔女がなにか言うまでは、こちらは黙っているほうがいいだろう。アリスもさすがにブドウを食べるのをやめて彼女を眺めている。
不意に、魔女の口が開かれた。真っ赤な唇が艶めかしく蠢く。
「呼び出して悪かったねェ。急ぎのところだったのに。……どうしても話があったからねェ」
しっとりと、けれど粘っこい声。自然と身構えてしまう。
話とはなんなのか、と思うより先に引っかかりがあった。『急ぎのところ』と彼女は言ったが、どうしてそんな台詞を口に出来るのだろう。わたしたちが王都を目指していることを知られているとは思えないが……。
「あなたが、イフェイオンを守る魔女なの?」
問いかけると、魔女はニヤリと、不敵に笑んだ。
「そうさァ。『隻腕の魔女』。『悪食』。『如何物食い』なんて呼ばれたこともあったねェ。まったく、酷い名前を付けるもんだよ。今は『毒食の魔女』って呼び名が多いかなァ。あんたがたも気軽に呼ぶといいよ、『毒食』ってさァ」
魔女の紫の瞳が、妖しく輝いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。
・『グレガー』→かつて騎士団のナンバー2だった男。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。詳しくは『205.「目覚めと不死」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身魔術。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』




