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231.「窪地の蓋」

 部屋に戻ると、荷物を置くのもそこそこに浴室へと向かった。


 浴室付きの個室だなんて、随分(ずいぶん)贅沢(ぜいたく)である。部屋自体はベッドひとつに机があるだけのささやかなものだったが充分だ。


 そして――当然のごとく湯が出る。王都の外とはいえ、近郊(きんこう)の文化水準(すいじゅん)はやはり高い。浴槽(よくそう)に湯を張って身体を(ひた)すと、無意識に声が漏れた。


 つるりとした白の天井を見上げ、ノックスのことを頭に浮かべる。召使(めしつか)いの男はノックスに食事と寝床(ねどこ)を与えると言っていたが、怪しいものだ。食堂で出会った中年男の言葉では、『毒食(どくじき)の魔女』は(なさ)容赦(ようしゃ)を持たず、そして功利的(こうりてき)である。召使いの言葉が守られるとも限らない。いずれにせよ、明日の朝を待たなければならないのだけれど。


 別れぎわ中年男から聞いたのだが、魔女の(やしき)はどうも妙であるらしい。丘を越えた先をどれだけ探してもそれらしい場所はないという話だ。けれども、魔女宅のメンテナンスのために(まね)かれた大工(だいく)によると、丘を越えてすぐの場所に豪邸(ごうてい)が建っていた、と。


 間違いなく魔術が(から)んでいる。その(やしき)をわたしが自力で見つけられるかというと自信がない。魔力の察知(さっち)にかけては自負(じふ)があったのだが、『最果て』での経験から、それもあてにならないと知ったのだ。世界はわたしが考えていたよりもずっと広い。ビクターのような悪魔もいれば、ハルやスパルナのような存在もいる。


 それにしても、どうしてノックスが(さら)われたのだろう。彼以外が魔術師や魔具使いだと把握(はあく)されていたからだろうか。今のところ、ヨハンでさえノックスが連れていかれた理由は分からないらしい。ただ、こちらに要求があってあえてそうしたのかもしれない、とも彼は語った。井戸から出たときに魔女の魔術にかかったとすれば、それより前から目をつけられていたと考えるのが自然だ、と。


 なにを要求されようとも、ノックスは絶対に取り戻さなければならない。ハルキゲニアで別れなかったのは彼の望みだったけど、わたしだってそれに同意したのだ。守り抜く責任がある。せめて、王都までは。


 口には出していないけど、実はひとつ決めていることがある。許されるなら、王都で彼を保護してもらいたい。そして彼自身が望むなら、魔術訓練校へ入れたってかまわない。なんにせよ、今のノックスを連れてニコルや魔王と対峙(たいじ)するのはあまりに危険だった。


 湯から上がり、ハルキゲニアで購入した服に着替えた。長袖(ながそで)のインナーに、空色(そらいろ)のぴったりしたズボン。


 そしてポケットの沢山ついた、(たけ)の短いジャケットに袖を通す。へそ出しのインナーと合わせれば(さま)になるのだろうけど、さすがに恥ずかしい。


 ノックの音が聴こえたので、扉を開いた。そこに立っていたのはアリスである。彼女も湯上(ゆあが)りなのか、肌が上気(じょうき)していた。


「酔い()ましに散歩でも行こうと思うんだけど、付き合いなよ」


 アリスが言葉通りに誘っているとは思えなかった。こんな状況で決闘をするとも考えられない。となると、おおかた予想はついた。


「いいわ。ヨハンも誘う?」


 するとアリスは肩を(すく)めて首を横に振った。


「フラれたよ。あいつ、酒に弱いのかねぇ。随分(ずいぶん)青白い顔をしてたよ」


「さあ……そういえばお酒を()んでるところははじめて見たかも」


「フフフ……人の弱点を知るのは(たの)しいねぇ」


 まったく、良い性格をしている。普段は飄々(ひょうひょう)としている彼がダウンしているのなら、それはそれで気分が良いけども。


 宿の外に出ると、ゆるゆると風が吹いていた。湯上りの身体を気持ち良く冷ましていく。外の人通りはほとんど()えていた。もう遅い時間ではある。(あか)りのついた家屋のほうが少ない。顔を真っ赤にした酔っ払いが街路でゴロ寝しているのがせいぜいだ。


「ほんと、平和な場所ね」


「騎士様には物足りないかい? あたしが刺激をあげようかぁ?」


「こんな平和な場所で物騒(ぶっそう)なことしないでほしいわ」


 そんなことを話しながら丘へと歩いて行く。口には出さないが、目的は共有しているはずだ。


 そろそろ魔物が出現してもおかしくない時間帯である。魔女がどのような人間なのか把握するためにも、夜間の戦闘を見ておきたい。明日、面倒なこと(・・・・・)にならないとも限らないのだ。


 町外れまで進むと、和音(わおん)ブドウの木々が()えているのを見つけた。その枝には、まだ収穫時(しゅうかくどき)ではない小さなブドウが()っている。


 和音ブドウを口にするアリスを思い出して、ついつい()き出してしまった。


「……お嬢ちゃん。ろくでもないことを思い出すんじゃないよ」


 あ、こっちの考えてることが見通されてる。


「ごめんごめん。あんなアリスは意外だったから」


「なにが意外なのさ。誰だってはじめては失敗するものさ」


「なんでもそつなく(・・・・)こなしちゃいそうなイメージがあるから。――乱暴だけど」


「ひと(こと)余計だよ。撃たれたいのかい?」


「アリス、魔銃(まじゅう)をしまって頂戴(ちょうだい)。本当に撃たれたら――いえ、魔銃はそのままにしておいて」


 魔物の気配(けはい)がする。馴染(なじ)み深い気配……グールだ。一体、二体、とそれは加速度的に増えていく。ちょうど丘の先に出現したようだった。


 ここは魔物の多い土地なのだろうか。それとも、ヨハンやアリスの魔力に寄せられて普段よりも多く現れているのか……。


 なんとも判断がつかないが、グールはたった数秒で二(けた)以上の数になっている。姿こそ見えないものの、丘の先で群れているのは明らかだった。


「出たんだね?」とアリスが鋭い目付きでこちらを見つめる。(うなず)いて見せると、彼女は舌なめずりをした。「魔女様を(おが)んでやろうじゃないか」


 和音(わおん)ブドウの木にぶつからないよう、注意しながら丘をのぼる。町から見たときは急な丘に見えていたが、疾駆(しっく)(さまた)げになるような傾斜(けいしゃ)ではない。


 丘の先のグールはどんどん数を増していく――と、不意に気配が消えた。


「アリス、気配が消えた」


 決してスピードをゆるめず、彼女は(うなず)いた。消えたのではなく、魔女が消したのだ。となると、丘の上まで行けばその姿が確認出来る。もちろん、どんな魔術で対抗しているのかも。


 魔物の数は、先ほどよりも急激なスピードで出現しては消えていった。そのどれもが丘の先で現れ、そして消滅している。


 おかしい。


 通常、魔物の出現地点はこれほど(かたよ)らないはずだ。妙なことに、丘の()る地点を除いて一切魔物が現れていない。


 ヨハンが『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』で使用した魔術――案山子(スケアクロウ)を使ったとしてもこんなに上手くいくはずがないのだ。そもそも案山子(スケアクロウ)は魔物を引き寄せる魔術であって、魔物の出現地点まで操作することは出来ないはず。一定の場所に魔物を現すような魔術なんて聞いたことがない。どの本にもそんな記述はなかった。


「おかしいわ。魔物の出現場所が(かたよ)りすぎてる」


「へぇ。じゃあ、魔女がなにかしてるんだねぇ」


 アリスの言う通りだろう。自然にこうならない以上、魔女の力が影響していると見るべきだ。


 やがて和音(わおん)ブドウの木々が途絶(とだ)えた。町から見たときは、どの丘も中腹(ちゅうふく)までしか木々が()えていなかったはずである。つまり、間もなく頂上に着くというわけだ。


 もし、魔女に姿を見られたらどうしよう。――いや、そのときはそのときだ。召使(めしつか)いの男と()わした約束に、夜間(やかん)出歩いてはいけないなんて言葉はなかった。魔物の気配がしたから加勢に来たとでも言えばいい。


 もうじき丘を越えられる。


 刹那(せつな)――頭上に衝撃が走り、目の前で白い火花が散った。思わずしゃがみ込んで、気を落ち着かせる。


 丘の先が見えるか見えないか、といった地点。そこでなにか(・・・)に頭をぶつけたのだ。


 横を向くと、アリスもわたしと同様に頭を押さえている。その表情は憎悪(ぞうお)に満ちていたけれど。


 そっと頭上に手を伸ばすと、丘の頂点にあたる位置で、指先がなにかに触れた。それは硬く、目に見えない。


「防御魔術……?」


 手で触れると、透明な天井が続いているのが分かった。しかし、魔力は感じられない。隠蔽(いんぺい)しているのだとしたら、上質なんてもんじゃない。こうして目の前で見て、触れて、それでも魔力を感じられないなんて異様だ。


「防御魔術以外のなんだってんだい。信じられないけど、魔術以外でこんなことは出来ないよ」とアリスは(うめ)くように言った。


 確かにそうだ。魔術を抜きにしてこんなことは出来ない。


毒食(どくじき)の魔女』の夜間防衛。確かにこれなら、町になんの被害も出すことはないだろう。振り向くと、広大な窪地(くぼち)の真ん中に、町が広がっていた。


 この窪地全体に(ふた)をするように防御魔術を張りめぐらす。確かに、完全な方法である。理論上はベストだ。――莫大(ばくだい)な魔力を消費するという点を無視すれば。


 魔力消費を度外視(どがいし)した魔術の蓋は、こちらの存在の小ささを直視させるような、暴力的な説得力を持っていた。

◆改稿

・2018/05/19 ルビ修正。


◆参照

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて


・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)朝月夜(あさづくよ)」』にて


・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。


・『案山子スケアクロウ』→魔物引き寄せの魔術。自身の肉体を中心に、魔力のハリボテを作って引き寄せる。


・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。


・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて


・『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』


・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて

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