228.「空を駆けるメイド」
ロープを上りきると、爽やかな夜の風が肌を撫でた。胸いっぱいに吸い込む空気は新鮮で、ほんのり草の匂いが感じられる。空に昇った楕円形の月が大地を白く照らしていた。
「町外れの井戸ですかね」
ヨハンがぽつりと呟いた。畑を挟んで少し先には石造りの家屋が建ち並んでいる。
井戸の周囲に張りめぐらされた柵を乗り越え、神経を研ぎ澄ました。アリスやノックス、そしてヨハンが柵を越える音や、彼らの衣擦れが聴こえる。あとは吹き去る風の音のみ。魔物の気配はない。
「まだ夜の入り口なんでしょうねぇ」
「ええ。魔物も出ていないし、そのための警備もまだみたいね」
ここが王都からどれだけ離れているのかは分からないが、自警団くらいはあるだろう。彼らに協力して王都の情報を得られれば一番だ。
アリスとノックスとヨハン。それぞれの顔を順番に見つめて口を開いた。
「わたしたちが『最果て』から来たことは絶対に言わないで頂戴。不利になることはあっても、有利にはならないから」
決して帰還出来ないとされている『岩蜘蛛の巣』を抜けてきたとなると大問題だ。たとえ罪人でなくとも、それに近い扱いを受けるかもしれない。それに、これからニコルのことを王に報告しなければならないのだ。直前で不審がられるような真似はしたくない。
「慎重だねぇ。ガタガタ言ってくる奴がいれば黙らせりゃいいのさ」とアリスは軽々と言ってのけ、ノックスに視線を移した。「坊やもそう思うよねぇ」
唐突に無茶な話を振られたノックスは、なんとも曖昧に首を傾げた。まったく、アリスめ。
「ノックスを困らせないで。簡単に黙らせられる相手ならそれでいいけど、現実は違うのよ。わたしよりもずっと強くて鋭い人がいるの、王都には」
「そりゃあ愉しみだねぇ」
彼女が本気で言っているのか冗談なのか分からない。王都に入って早々に事件を起こされては困る。
呆れ顔でアリスを眺めると、彼女は眉を上げて「冗談さ」と呟いた。
「『最果て』のことを伏せるなら、どうしましょうか。旅人と言えば納得してくれますかねぇ」
心持ち首を傾げてヨハンがたずねる。
「王都を訪れる旅人は多くないけど……そうね、それ以外に方法はないわ。それに、わたしの正体はすぐバレるかもしれないし……」
勇者の花嫁。それがどれだけ伝わっているか分からないが、少なくとも騎士団や近衛兵、魔具訓練校の関係者にはすぐ看破されてしまうだろう。
「魔王の城から王様へ会いに遥々旅してきたことにしましょう。あなたたちは道中で一緒に魔物と戦ってくれた仲間ってことでいいかしら?」
「なんだっていいさ。どうせ嘘だしねぇ」とアリスは鼻で笑う。
ヨハンはぼんやりと月を見上げて「かまいませんよ」とだけ呟いた。
「なら決まりね。とりあえず宿を探しましょう。そこで王都のことが聞ければ一番いいわ」
情報はもちろんだが、水を浴びたくて仕方なかった。ずっと洞窟にいたせいか、身体のあちこちが埃っぽい感じがする。
三人も異論はないようだった。
町はぐるりと、ゆるやかな丘に囲まれているようだった。巨大な窪地と言っていいだろう。丘の中腹まではぽつぽつとまばらに木々が伸びているが、頂点付近はつるりと一本の木も生えていない。
町はというと、ハルキゲニアの市民街区ほど精緻ではないが石畳が敷き詰められてあり、建ち並ぶ家屋は石材で造られた二階建てである。通りに面して幅広な窓が取り付けられていた。三角屋根のところにも窓があるあたり、屋根裏部屋もあるのだろう。どの家も画一的なデザインであり、町の景観自体は非常に整っている。
食事処や呉服屋、はたまた店名だけ書かれた内実不明の看板が通りに面した二階から吊るされていた。時間が悪いのか、どの店も閉まっている。
コツコツと、四人分の靴音がひっそりした街路に響き渡る。住民がひとりも表に出ていないのが妙だ。どの家屋も窓は閉め切ってあり、カーテンがぴったりと引いてある。
まるで町全体が眠っているようだ。
「静か過ぎるねぇ……」とアリスが囁く。どこか警戒しているような声色。
「そうよね……。普通、家の中から物音くらい聴こえてもいいのに……」
どうしてこんなにも静かなのだろう。無人と言われても疑わないくらいの静寂である。
「もしかすると、魔術かもしれないですね」と、ヨハンがぽつりとこぼす。
これが本当に魔術なら、魔術師が近くにいるのではなかろうか……。
やがて広場に出た。中心に巨木が植わっている、ささやかな場所である。四方に街路が伸びており、それぞれの道が真っ直ぐ丘へと続いている。
空を見上げると、月は出ているものの魔物の気配は感じない。ということは、まだ日が暮れてから長い時間は経っていないということだ。家からは灯りひとつ漏れていない。本当にすべての住民が消えてしまったのでは……。
不意に、足音がした。
カツカツと、石畳を叩く靴の音。遠くで鳴っているはずなのにやけに大きく聴こえるのは、それだけ静寂に覆われているということなのだろう。
街路の先から人が歩いてくる。シルエットから鑑みるに、細身の女性だ。
次第にその姿がはっきりしてくる。
夜に溶けるような黒のワンピース。袖口から伸びる腕は夜目にも白い。腰にはシンプルなエプロンを締めており、膝上までの靴下は白黒の縞模様である。下にはパニエを履いているらしく、ワンピースの下部は豊かに広がっていた。
内巻きのショートヘアで、丸い目をしている。吸い込まれそうな黄色の瞳……。多分、わたしと同じか少し下くらいの年齢だろう。ハルよりもずっと派手で洒落たメイド姿である。
静かな街路に、刃と鞘が擦れる音が響く――。わたしが思わずサーベルを抜いたのには理由があった。
こちらに向かって来る彼女の靴に、妙な魔力がまとわりついている。隠蔽しきれなかった魔力と考えるにはあまりに露骨だ。
おそらく魔具だろう。靴の魔具なんてあまり聞かないが、存在してもおかしくない。
「止まりなよ、お嬢ちゃん」
素早く魔銃を抜き去ると、アリスは銃口を向けた。照準は彼女の顔――。
その瞬間のことである。メイド姿の女性が消えたかと思うと、一陣の風が吹き抜けた。
「――ッ!」
アリスの舌打ちが聴こえ、次いでヨハンが息を吸う音がした。
振り向いて、愕然とした。ノックスの姿がない。
心臓がどくりと高鳴る。
「お嬢さん、上です!」
ヨハンの声で上空を見上げると、空中を駆けていくメイドと、小脇に抱えられたノックスがいた。
「ノックス――!」
考えるより先に身体が動いていた。家屋まで走り、跳び上がって窓の桟に手をかける。そして勢いのまま屋根へと上り、さらに跳び上がった。
「届け――!」
奴の足へ刃を振るう――が、サーベルは空を切った。
宙を駆けつつこちらを見下ろす彼女と目が合う――。
彼女になんの目的があるのか分からないが、このまま行かせるわけにはいかない。息を長く深く吐き出した。
そしてサーベルを、ぐっと引く。投擲してもかわされるかもしれない。けれど、今のわたしに出来るのは――。
刹那、発砲音が響き渡った。と、奴はくるりと振り返り、空を裂くような鋭い蹴撃を繰り出す。彼女が履いた靴型魔具と、アリスの弾丸がぶつかって火花を上げた。
すべて、一瞬のことだった。アリスの銃弾に反応し、足で弾くなんて……。
弾丸は彼女の魔具を破壊するには至らなかったようである。鋭い音とともに弾かれ、明後日の方向へと消えていっただけだ。
二度目の発砲音が響く頃には、メイド姿は空の高みへと消えつつあった。投擲なんて届くはずがなく、アリスの魔弾だって簡単に避けられてしまう距離……。
そして――二人の姿は見えなくなった。
屋根に膝を突き、呆然と空を見上げる。
三人。
魔術師二人に、騎士がひとり。それだけのメンバーがいたにもかかわらずノックスを連れ去られてしまった。
あのメイドが現れた瞬間から警戒はしていたし、靴の魔具にもすぐ気が付いたのに。
それなのに……。
「お嬢さん……まだ終わっていません」
街路を見下ろすと、ヨハンがやけに真剣な顔で唇に人さし指を当てた。
◆改稿
・2018/05/19 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『魔具訓練校』→王都グレキランスの騎士団予科。魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。訓練内容に関しては『92.「水中の風花」』参照




