幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」
王立図書館の扉を開けると、クロエは無意識に笑みをこぼした。
充満する紙の匂い、静かな雰囲気。待ち受けるのは、何年かかっても到底読み切れるとは思えないほど膨大な書物たち。紐解けど紐解けど学ぶべき知識は底知れず、理解が追い付かないこともしばしばである。そんな逆境じみた状況が、クロエには却って嬉しく思えた。この図書館にある書物をすべて制覇したなら、きっと一人前になれる。そんな無根拠な予感に心を励まされる。
魔具訓練校が終わったその足で来たので、さすがに疲れてはいた。しかしながら、来ずにはいられない。
幼馴染の姿を思い浮かべ、クロエはきゅっと口元を引きしめる。――が、すぐにゆるゆると笑顔になってしまった。司書の姿を見つけて、思わず嬉しくなってしまったのである。
「司書さん、こんにちは」
「あら、クロエ。今日もお勉強?」
「うん」
「偉いのね。今日はなにを読むの?」
「ええと」
クロエが考え込むと、司書は教育者然とした微笑みを浮かべた。
「この魔術書なんてどうかしら」と司書が一冊の本を差し出すと、クロエは嬉々として受け取った。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
ぺこり、と司書に頭を下げて、クロエは図書館の奥を目指す。二階の奥まった勉強机。そこが彼女のお気に入りの場所だった。誰にも邪魔されず、そして一番静かな場所。
目的地にたどり着くと、彼女は目を閉じて深呼吸をした。書物を開く前――知識に触れる前に心を整えるため。
「よし」
クロエの小さな呟きと、ページをめくる音が浮かんで溶けた。
【魔球】
攻撃魔術の初歩。
魔力の塊を放出する。練度によって威力や速度が大きく変化する。
ほかの魔術と組み合わせて独自の効力を持たせることが可能。その自由度は高く、ゆえに術者の実力やアイデアに左右される側面が強い。
【爆裂魔球】
魔球に爆裂魔術をブレンドしたもの。爆裂魔術に関しては後述。
着弾時に爆発する場合と、術者が任意のタイミングで爆発させる場合と、大きく二つに区分出来る。おおむね威力は高く、そのぶん要求される魔力量や練度も高い。
術者によっては、大きさまでコントロールすることが可能。
【爆裂魔術】
攻撃魔術の分類のひとつ。上記『爆裂魔球』は爆裂魔術の一種。
対象に魔力を注ぎ込み、爆発させる用法がほとんど。多くの魔術がそうであるように、無機物に施すよりも有機物――特に人間相手に施すほうが要求される魔力量や練度も高い。
無機物に施して爆弾として使用することも出来れば、対象の相手に魔力を注いで爆発させることも可能。応用的な方法として、防御魔術と組み合わせることにより自身にも施すことが出来る。
【防御魔術】
特定の攻撃を弾いたり減退させる魔術を指す。種類は広範に渡り、名前がついていないものもしばしば存在する。
たとえば魔物除けの防御魔術として、半円形の防御壁で自身を覆い、多くの魔物が苦手とされる火炎の魔術をブレンドしたりなど。
防御対象に触れた物を反射させる魔術なども防御魔術に分類される。
【局所魔壁】
防御魔術の一種。分厚いガラスのような防御壁を作り出す。練度にもよるが、基本的には硬度が高く、滅多に破壊されることはない。局所的に魔力を集中させるものなので、規模の大きいものでも縦横二メートル程度の壁が限度とされている。
【羽根布団】
防御魔術の一種。有効範囲に入った物の威力を減退させる。仕組みとしては、密度の高い魔力の膜で自身を覆い、その抵抗によって攻撃などの速度と威力を減らす。
基本的には上記のような用法だが、落下時の緩衝材として使うことも出来るので、アイデア次第で用途は様々。
【修復】
魔術で顕現させたものに魔力を注ぎなおして修復する魔術。防御魔術や、魔力によって作り出した武器の修繕に対して使用する場合がほとんど。魔具を含め、無機物を直すことは不可能。
【硬化魔術】
その名のごとく、対象の硬度を上げる魔術。自身の身体に施すことも出来れば、他人や無機物に対しても使用可能。
自身に対して使用した硬化魔術は身体強化魔術に分類され、他者や無機物に対して施した場合は防御魔術として区別される。
【転置魔術】
展開済みの魔術の位置をずらす魔術。固定された魔術に対して使用することが可能。たとえば、防御魔術をずらすなどの用法。
【天の階段】
空中歩行の魔術。足裏に任意のタイミングで魔力を凝固させて足場とする仕組み。高度が上がれば上がるほど魔力消費も大きくなる。
【交信魔術】
他者と交信する魔術を指す。対象の耳に一方通行で情報を送る【耳打ち】などが交信魔術にあたる。双方向で交信するものは魔力の消費が大きい。
【視覚共有】
任意の相手に、視界を提供する魔術。相手側との魔術的な意志疎通が必要なので使用のハードルが高い。一方の視界を受け取っているからといって、本来あるべき視界が上塗りされるわけではない。視界の情報を受け取るので、慣れていないと混乱する。
【拡散魔術】
特定の物や魔術を拡散させる魔術。光源に対して施せば、小さな灯りでも真昼のように明るくなる。後述の【麻痺波】も拡散魔術の一種。
【麻痺魔術】
肉体に麻痺を施す魔術。通常はやや痺れる程度から、局所的に動きを奪うほど。無機物に施して罠に使うことも可能。
【麻痺波】
拡散魔術と麻痺魔術のブレンド。拡散させることによって、本来麻痺魔術が持つ威力も下がる。
【盲点】
対象を意識から抜け落ちるようにさせる魔術。姿を消せるわけでもなく、人間相手に施しても成立はしないとされている。
たとえば、複数個放出した魔球のうち一個だけを認識されないようにすることが可能。
【疑似餌】
魔物が魔力に引き寄せられる特性を利用した魔術。対象の身体に魔力を注ぎ込み、魔物の意識をそちらに向ける。
魔力を持たない一般人がかけられた場合は、流れ込む魔力に意識が追い付かず酩酊に近い状態を味わう。
【案山子】
疑似餌同様、魔物引き寄せの魔術。自身の肉体を中心に、魔力のハリボテを作って引き寄せる。
【死霊術】
かつて命があったものを再び動かす魔術。魔力を預けることによって自律させる。後述の【人形術】とは違って自由に操ることは出来ないので、基本的には預けた魔力に行動制限や命令を組み込み、想定した動きを取らせる。
【人形術】
無機物を操作する魔術。複雑な機構のものに関しては不可能とされている。
【反響する小部屋】
対象の脳内に、特定の音を反響させるだけの魔術。音楽を反響させる娯楽的な魔術とされている。
使用方法によっては暗示の作用を含ませ、後述の【洗脳魔術】として扱うことも可能。
【騒音魔術】
対象の頭に騒音を鳴らす魔術。反響する小部屋の亜種。
【洗脳魔術】
魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術。
【錯覚魔術】
洗脳魔術の一種。記憶や印象の摩り込みをする魔術。術者の魔力への依存度が高く、対象の精神状態も関係するので効果のほどを定義することが困難。
【忘却魔術】
洗脳魔術の一種。短期記憶を喪失させる。長期記憶に関しては記憶の根が深いので忘却は困難。きっかけ次第で思い出せる程度、というのが一般的。
【治癒魔術】
傷を癒す魔術。効果のほどは術者に依存するものの、基本的に効果は低い。かすり傷の止血程度でも上等とされている。
【隠密魔術】
魔術の分類のひとつ。隠密行動に特化した魔術を指す。
【隠蔽魔術】
隠密魔術の一種。魔力を包み込むようにして隠す。術者の能力次第で、隠蔽の程度に差が出る。相手の察知能力次第で見破られることも。
【二重歩行者】
隠密魔術の一種。分身を作成する。分身が得た情報は術者にも認識可能。基本的には特定の命令を組み込んで動かす用法。練度によっては、状況に応じて分身を自由に操作することが可能。
【変装魔術】
隠密魔術の一種。姿かたちを魔力の膜によって作り出す。魔術師には見抜かれてしまうが、一般人には別人に見える。
【音吸い絹】
隠密魔術の一種。覆った対象の音を、外に漏れないようにする魔術。
【転移魔術】
物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。
【光の翼】
翼を得ることによって飛翔する魔術。会得した者が少ないので、判明している情報にも限りがある。五体とは別の感覚を得るので操作は非常に困難らしい。
【魔術解除】
その名の通り、魔術を消滅させる魔術。
――。
名前を呼ばれた気がして、クロエは顔を上げた。書物に集中していたので、それがどこから聴こえたのか、誰のものなのかもはっきりとしない。
辺りを見回すと、ちょうど司書が向かってくるのがクロエの目に映った。
「勉強熱心なのはいいけど、ほどほどにね。そろそろ帰る時間じゃないの?」と司書は微笑む。
「うん、じゃあ、今日はここまでにする」
「クロエは素直ね。続きはまた今度にすればいいわ」
「また明日来る」
クロエが言うと、司書はクスクスと愉快そうに笑った。
「本当に図書館が好きなのね」
「うん」頷いて、クロエは力強く続けた。「だって、追いつきたい人がいるんだもん。じゃあ、またね――」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『魔具訓練校』→王都グレキランスの騎士団予科。魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。訓練内容に関しては『92.「水中の風花」』参照
・『王立図書館』→王都にある図書館。クロエが好んで通っていた場所。




