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224.「骸骨男に背負われて」

 ヨハンの足取りに迷いはないようだった。アラクネが根城(ねじろ)としていた広間から空洞へと戻り、淡々(たんたん)と歩いていく。ふらつくこともない。


「疲れたら休憩してよ……」


「もちろんです。今のところは問題ないのでご心配なく。お嬢さんもお疲れでしょうから、眠ってもかまいませんよ」


 眠れるわけがない。情けなさと恥ずかしさとで死んでしまいたいくらいだ。ヨハンに背負われる日が来るだなんて……。


「お心遣(こころづか)いどうも……。ところで、どこが正しい道なのか知ってるの?」


「いいえ。知りません」とヨハンは平然と答える。


 なんだそれ。こうして真っ直ぐ空洞を進んでいるものだからてっきり知っているのかと思った。闇雲(やみくも)に歩くくらいならわたしの回復を待ってくれてもいいんじゃないか。


「ただ」と彼は言い()える。「アテならあります」


「アテ?」


「ええ。先ほど子蜘蛛を引き寄せて空洞に戻ったとき、小人の足跡を見つけました。遺留物(いりゅうぶつ)の回収以外の目的で彼らがここを訪れるとは思えません。つまり――」


「上まで続いてるってことね」


「ご名答」


 確かに有効な手がかりだ。足跡をたどっていけば小人へと行き着くだろう。彼らも洞窟全体を根城にしているわけではないはずだ。どこかに住処(すみか)となる場所があるに違いない。


 やがて前方に横穴が見えた。わたしを背負ったヨハンでも通り抜けられそうなサイズの穴である。よかった――いや、よかったのか? もっとずっと小さい穴だったら、一旦(いったん)わたしを下ろして回復を待つプランになったんじゃないか?


「おあつらえ向きの穴で助かりましたよ。もう少し小さかったらお嬢さんを引きずって進むしかないですからね」


「……幸運ね」


 引きずられるのはさすがに勘弁(かんべん)してほしい。だったらヨハンに背負われる恥辱(ちじょく)を耐えるほうがマシだ。


 穴の内部はゆるやかな傾斜(けいしゃ)になっていた。どうも螺旋状(らせんじょう)に道が続いているようである。自然に出来たとは思えない。


「装備の回収のために小人が掘ったんでしょうかね」


「地道なことするのね」


 人間サイズの穴であることも、やはり回収目的としか思えない。武器によっては小穴では持ち帰れないだろうし、(よろい)も同様だ。(のこ)された物はなにもかも(かて)にしようとする彼らの意志が垣間(かいま)見える。


 洞窟(どうくつ)で生きていくには、こういうしたたかさが必要なのかもしれない。


「そういえば、小人たちはなにを食べて生きてるのかしら」


 彼らの生活習慣については未知の分野である。こうして洞窟に住んでいるとなれば、当然食事は気になるところだ。


「さあ。岩蜘蛛(いわぐも)じゃないですか?」


 想像して、気分が悪くなった。独特な食文化は否定すべきものではないけれど、やはり自分の常識と照らし合わせてしまう。岩蜘蛛に栄養価があるとも思えないし。


「岩山で()れる作物(さくもつ)もあったはずよ」


「へえ。知りませんでした。なんだか身体に悪そうですね」


 不健康そのもののヨハンが言えることではない。


「洞窟に生えるキノコもあるし、標高の高い山にしかない植物もあるわ」


「たくましい生命ですなぁ。それにしても、お嬢さんがいれば本を開く必要がないですね」


「どうせ歩く図書館ですよー……」


 ()ねた演技をして見せると、クツクツとヨハンが笑った。彼の背を通して愉快(ゆかい)な振動が伝わる。


「そこまでは言いませんが、確かに、(まと)を射てますなぁ。実態(じったい)を知らないのもまさに……」


 実態を知らないと言われると心外(しんがい)だが、否定は出来ない。『魔の(みち)』で草胞子(くさほうし)を見抜けなかったし、アラクネのことだってほとんど知識はなかった。書物をいくら読んでも未知は存在する。『最果て』の旅で散々思い知ったことだ。


 王都の常識は全土に通用するものではない。頭では理解していても、実際その状況に直面してはじめて得られる教訓だった。


「井の中の(かわず)ね」


「ええ、井の中のカエルくんです」


「ふふ、井の中のケロくんね」


 そういえば、ケロくんは上手くやっているだろうか。魔術師養成機関のための講師をすると聞いていたが、どうなっていることやら……。


 でも、彼のことだ。魔術師を育てられるかどうかは別にしても、生徒に愛されるだろう。フォルムも愛らしいし。


 ケロくんを皮切りに、ハルキゲニアのことに想いを()せた。


 ドレンテはきっと正しい政治をしているだろう。散々煮え湯を飲まされてきたんだ。なにが都市のためになるかは理解しているはず。


 スパルナは、シェリーとともに牧歌的(ぼっかてき)な生活をしているだろうか。彼のことだから真面目に生きてはいるだろうけど、少し心配だ。


 タソガレ盗賊団はどうなっているのだろう。結局ウォルターとジャックがどうなったのかまでは知らないのだ。


 一方で、アカツキ盗賊団に関しては安心していた。きっと上手くやっている。そしてハルとネロも、きっと大丈夫だ。


 思えば、多くの人と関わってきた。街をまたぎ、しがらみを超えて……。今までの生活からは考えられない。


 そして今、こうして『最果て』で出会った厄介者に背負われている。歩くリズムは一定で、どことなく配慮(はいりょ)が感じられた。契約で繋がった一時的な関係なんかじゃなくて、彼が本当の仲間なら……。


 やがて(まぶた)を開けているのがつらくなった。暗闇が訪れると、それに誘われるように意識も薄くなっていく。まどろみに引かれて思考が切れ切れになり、やがて途絶(とだ)えた。




「なにが正しいのか、自分で判断しろ」


 騎士団長の言葉が頭に響き渡る。


 (あた)りはなにもない荒野がずっと続いていた。まるでなにもかも滅んだあとの世界……。


 その荒野を、わたしはひたすら歩いている。目的はあった気がしたけれど、忘れてしまった。どうしてこんな場所にいるんだろう。風もなく、なんの匂いもしない。歩いている事実と、ぼんやりとした思考だけがすべてだった。


 ふと後ろを振り向くと、異様な風景が広がっていた。建ち並ぶ家屋は倒壊寸前で、敷石(しきいし)には致命的な亀裂(きれつ)が走り、街路樹は痛ましく折られている……。そして、人の気配はまったくない。


 懐かしい。


 不意に心に浮かんだ言葉に、我が事ながら疑問を感じた。どうして懐かしいだなんて思うのだろう。


 割れた街路を歩きながら、ああ、と思い(いた)った。けれども、不思議と焦りはない。なぜなら、もう終わってしまった場所であることが理解出来たから。


 ここは、王都だ。滅ぼされたあとの王都。


 (はる)か先に見える王城は、まるで瓦礫(がれき)の山だった。かろうじて残った尖塔(せんとう)が数本。あとは徹底的に破壊され、残骸(ざんがい)が小山を(きず)いている。


 どうしてこんなことになったんだっけ。


 ああ、そうだ。


 ニコルが全部壊したんだ。


「なにが正しいのか、君が判断するんだ」


 唐突(とうとつ)に聴こえたその声は、ニコルのものだった。




 目を開けると、橙色(だいだいいろ)(あか)りが見えた。そして、自分がヨハンに背負われていることを思い出す。呼吸は荒く、鼓動は激しかった。


「悪い夢でも見ましたか?」


 怪訝(けげん)そうなヨハンの呟きが聴こえた。


「……なんでもない」


「ならいいですけど……なにかあったらすぐ言ってくださいね」


 彼の配慮(はいりょ)が心に()みる。けれどこれはわたし自身の問題で、決着させるのもわたしだ。


 どうしてあんな悪夢を見たんだろう。やっぱり焦っているのかもしれない。必要なこととはいえ、王都を目指す旅は迂回(うかい)だらけだった。もしかすると、再び目にした王都は夢のなかの景色のように、破壊しつくされた場所に変わり()てているかもしれない。


 なにもかも手遅れだったら、どうしよう。考えたって仕方がないことは分かっていたけれど、どうしても頭に浮かんでしまう。


 守りたかったものがすでに消えていたら……。そのときは、どうやって生きていくのか。


 夢のなかで聴いた騎士団長やニコルの声を思い出す。必要なのは、自分の判断だ。


 そのとき(・・・・)否応(いやおう)なくやってくるだろう。前触(まえぶれ)れもなく、唐突(とうとつ)に。それに直面して、自分で何事かを判断する。それだけの強さが今のわたしにあるだろうか。


「おや」


 ヨハンの声がして、思考を中断した。空洞にたどり着いたのである。けれども、(あか)りの照らす範囲に小人の姿はなかった。


「どうですか、お嬢さん。身体は動きますか?」


 言われて腕に力を込めると、(しび)れが収まっていることに気が付いた。


 ヨハンの背から降りると、少しふらついたが問題はない。


「大丈夫みたい……ここまでありがとう」


「なに、助け合いですから」


 そう返したヨハンの表情には、いつもの、不穏(ふおん)で信用ならない微笑が浮かんでいた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『魔の(みち)』→『吶喊(とっかん)湿原』、『毒瑠璃(どくるり)の洞窟』、『大虚穴(おおうろあな)』からなる、ハルキゲニアと外部と結ぶ秘密の経路。詳しくは『第四話「魔の径」』にて


・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。


・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて


・『草胞子(くさほうし)』→雑草に化けた菌類。良く見ればキノコ的な肉厚さを持つ。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』にて


・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照


・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダーであり、アリスの父。詳しくは『107.「トラスという男」』にて


・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて


・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。人懐っこく、気さく。詳しくは『94.「灰色の片翼」』『98.「グッド・バイ」』にて


・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照


・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に()けている。シルクハットの魔具『奇術帽(コピーハット)』で戦う。本名はジャックであり、『タソガレ盗賊団』元リーダー。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』『幕間.「Side Jack~正義の在り処~」』にて


・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師(ネクロマンサー)。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。


・『騎士団長』→王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて


・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「(くびき)を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて


・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にある。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて

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