215.「小人を追って」
人ひとりが身を屈めてなんとか通り抜けられる程度の狭い穴。その先から音は聴こえた。
かつん、と再び物音がする。続いて、衣擦れまで聴こえた。
ヨハンとわたしは穴を見つめて、短く頷きを交わした。多分、同じことを考えているのだろう。つまり――穴の先に小人がいるのではないか、と。もし彼らが人語を操ることが出来れば、王都側への抜け道を知っているかもしれない。
振り向いて、アリスとノックスを手招きした。
「一体なにを見つけ――」
咄嗟に人さし指を唇につけると、察してくれたのかアリスは言葉を切った。もし小人に逃げられてしまったら勘を頼りに進まなければならない。なんとしてでも彼らとコンタクトを取らなければ。
「なんだってのよ」とアリスは囁く。おそらく小人には届かない声量であろう。
「この先に小人がいるの。もしかしたら正しい道を知ってるかもしれない」
すると、アリスの眉が興味深げに持ち上げられた。
「そりゃいい。さっさと追いかけようじゃないか」
もちろんそのつもりだ。けれども、まともに進めるような道じゃない。中腰でようやく入れるような穴である。ヨハンは特に――。
「行きますよ」
ヨハンはそう囁いて、するすると穴に入っていった。器用に膝を折り、背を丸める彼はなんとも奇怪な生き物のようである。骸骨男おそるべし……。
「あたしが最後尾になるから、お嬢ちゃんは先に行きな」
アリスの言葉に、素直に頷く。言うまでもなく一番危険なのは最後尾だったが、この場合は彼女が適任だ。中腰で歩くしかないような空間でサーベルを扱うことなんて不可能である。アリスの魔銃なら、たとえ背後から何者かが迫って来たとしても撃退可能だ。
ヨハンの後を追って穴へ入った。順番としては、ヨハン、わたし、ノックス、アリスである。小穴は一層空気が悪かったが、危機的なほどではない。ノックスのことは心配だが、ひとりで小部屋に置いていくわけにはいかなかった。
それにしても、ヨハンの丸まった背中は見事に背骨が浮き出て怪物じみている。その、見るからに不健康な身体をどうにかしてほしいものだ。心配しているのではなく、見ているこちらがげんなりとしてしまうから。
四人分の足音と衣擦れは、否応なく小穴に響き渡っていた。足を忍ばせていることさえ分かるような具合に。
それでも穴の先からは、小人のものらしきペタペタという足音や、気まぐれに小石を蹴る微かな音が続いていた。警戒されていないのか、こちらの物音が届いていないのか、それとも――。
小人に関して語られた書物は異様に少ない。ちんまりとした身長と、ずんぐりとした体形。それくらいの情報しかなかった。習慣も性質も謎に包まれている。
もし、と考える。
もし彼らが残忍で狡猾な種族だったら、どうだろう。わたしたちを身の自由のきかない小穴に導いて、罠にかけようとしていたら――。
考えたくない想像だ。今ここでなにか起こったとしたら、どれだけ対応出来るだろう……。すぐさま小人を追ったのは軽率過ぎたのではないか、なんて思ってしまう。
とはいえ、闇雲に進むわけにはいかなかった。可能性を探りつつ、リスクを承知で足を踏み出す決断も、ときには必要である。ノックスを巻き込むかたちになってしまったのがなんとも苦しいけど。
先を行くヨハンのほうから灯りがこぼれてくる。ランプの油だってどれくらい持つか分からない。
ああ、駄目だ。今さらどうにもならないことばかり考えたってしょうがないのに。少しは気分を上向けないと、薄暗い危機感に圧し潰されてしまう。ポジティブに、ポジティブに……。
ふと、異変に気が付いた。小人の立てていたであろう物音が消えている。辺りに響くのはわたしたちの引きずるような靴音と、呼吸音。衣擦れ。サーベルの鞘が岩に当たるカリカリという音……。
ヨハンはきっと気が付いているだろう。それでも足を止めるわけにはいかない。今さら引き返すだなんて、体力と時間を無駄にするだけだ。
不意に、突きあげるような震動に襲われた。頭に瞬間的な痛みが走り、目の前にバチバチと火花が散る。天井に頭をぶつけたのだ。
痛みに気を取られている場合ではない。ノックスとアリスは――。
振り向いたわたしが捉えたのは、下へと消える二人の姿だった。なんとか伸ばした指先が空を掴む。ノックスとアリスがいた場所に、大きな亀裂が走っていた。
思わず亀裂を覗き込むと、二度目の振動と轟音が訪れた。そしてみるみるうちに亀裂は塞がり、ほんの拳程度の傷痕を残して震動が収まる。
「ノックス!! アリス!!」
小人のことなど忘れて叫んだ。声は小穴にこだまして消えていく。汗が吹き出し、心臓が痛いほど強く鼓動していた。
「お嬢さん、状況を教えてください」
「さっきの地震で出来た亀裂にノックスとアリスが呑まれて、亀裂も閉じて……ちょっと待って――」
微かな声が聴こえ、無理やり身体を捻った。そしてわずかに残った亀裂に耳をつける。
――声がした。アリスのものだ。
両手を筒状にして亀裂へと押し付けると、思い切り叫んだ。
「ノックス!! アリス!!」
こちらの声が届いたのか、アリスの返事が微かにした。「……こっちは大丈夫だよ。坊やも生きてる。お嬢ちゃんは無事かい――」
良かった。
ほっと胸を撫で下ろしたが、この状況をどうすればいいだろう……。ともかく、アリスに返事しなければ。
「こっちも大丈夫!! 二人とも怪我してない!?」
「……大丈夫さ。にしても、大変なことになったねぇ……」
大変どころの話ではない。閉じた亀裂をこじ開けることなんて出来ないし、下手な真似をしたら落盤するかもしれない。
「アリスと話してるんですか?」
ヨハンの声が真後ろから聴こえた。落ち着き払っているわけでもないし、かといって焦りに襲われてもいない口調。強いていうなら、苦々しさがいくらか混じっている声である。
「そうよ……どうしたらいいのか……」
「なら、伝言を頼みます。『小人を見つけてください。私たちもそうしますから。小人を通じて落ち合いましょう。もちろん、安全な道で』」
上手くいくかどうかなんて考えてられなかった。即座に穴へと叫ぶ。
「小人を見つけて!! それで、小人を経由して落ち合いましょう!! 絶対に危険な真似はしないで!!」
アリスの微かな返事が聴こえる。「……分かった。こっちにも道があるから、坊やと一緒に進んでみるさ。お嬢ちゃんも危険な真似はするんじゃないよ」
「分かった!! それじゃあ、後で必ず会いましょう!!」
アリスの高笑いが亀裂の先から漏れ出る。それきり、なにも聴こえなくなった。
身を起こし、息を整える。不幸中の幸いだった。二人とも無事らしいし、なにより、落ちたのがノックスひとりじゃなくて良かった。アリスと一緒なら彼女に守ってもらえる。なんだかんだ優しいんだ、あいつは。
気分を落ち着かせて、ヨハンの背を見つめた。
「算段はあるの?」
答えは知っていたが、問わずにいられない。
「ありませんよ、そんなもの。しかし、この状況ですからね。どんな可能性にも縋るべきでしょう?」
彼の言う通りだ。小人を発見し、彼らとのコミュニケーションを図る。そしてアリスたちも同じ手法で安全な場所に移動し、そこで落ち合う。頭が痛くなるような細く薄い可能性だ。けれども、いつまでもここにとどまってぐずぐずしているわけにはいかない。偶然落ち合える可能性だってあるかもしれないのだ。
細い糸だって、何本も束ねれば人の重みだって支えられる。
「どうしようもない状況は唐突に訪れます。肝心なのは、落ち着いて最善の方法を探ることですよ」
彼の背は相変わらず怪物じみた不健康さで、様にならないことこの上ない。
けれど。
「あなたの言う通りよ。さあ、進みましょう」
今は、再会を信じて進む。後悔ならいつだって出来るのだから。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて




