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214.「人でも魔物でもない生命」

 洞窟は埃っぽく、なんともいえない(にお)いが(ただよ)っていた。()いて表現するなら乾いた汗のような、そんな不快な臭い。洞窟内は人ひとりがやっと通れる程度の細さで、天井もヨハンの身長ぎりぎりの高さである。なんとも狭苦しい。


 鬱蒼(うっそう)とした『鏡の森』を抜け、わたしたちはすぐに洞窟へ足を踏み入れたのである。森から出た以上、どのタイミングで魔物が現れるか分かったものではない。夜明けを待つよりはこのまま進行するのが良いというヨハンの判断だ。


 彼の話によると、わたしが『聖樹宮(せいじゅきゅう)』に(とら)われている間にいくらか眠ったらしい。アリスとヨハンは交代で睡眠をとり、ノックスはわたしの手を握りながら休んだとのことだ。


 精神体ではあったが、わたしだって夢の世界に足を踏み入れている。疲れはそれほど感じていない。


 とはいえこうして洞窟を進んでいると気が張って仕方なかった。先頭のヨハンは――鞄にしまっていたのだろう――ランプを手にし、次にアリス、次にノックス、そして最後尾がわたしという並びで歩いている。振り向くと、背後は漆黒の闇。魔物の気配は感じなかったものの、察知(さっち)感度が下がっているのかもしれないと思うと不安だった。魔物の気配を読む力は、あくまで集中力に依存(いぞん)する。肉体に戻ったばかりの状況で充分に発揮(はっき)出来るかというと怪しいものだ。


 前方を歩くノックスは確かな歩調で進んでいる。不安や恐怖はなさそうに見えるが、どうだろう……。


「……ノックス。怖くない? 大丈夫?」


「大丈夫」と彼はぼそりと返した。このやり取りも洞窟に入ってからもう三度目である。どうにも不安になってしまうのだ。前のほうでアリスのわざとらしいため息が響く。どうせ過保護だなんだと(あき)れているのだろう。


「それにしてもさぁ」とアリスの声が聴こえた。「どうしてグレガーに『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』の進み方を聞かなかったのさ」


 それを言われると困る。


「だ、だって、あのときはそんな余裕なかったのよ。あまりにも色んなことがあり過ぎて……」


 忘れていた、と素直に認めたくない。


「まあいいさ。終わったことをぐちぐち言っても仕方ないしねぇ……。それにしても、洞窟ってのは陰気(いんき)だわ」


毒瑠璃(どくるり)の洞窟』はこれほど狭くはなかった。入り組んでいた箇所(かしょ)はあったけれど。どこか広い場所に出られれば気分も回復するのだが、その分、魔物襲撃の可能性は高まるだろう。今は前方のヨハンとしんがり(・・・・)のわたしが注意していれば問題ない。


 進行方向からゆるやかな風が吹いている。どこかが外と繋がっているに違いない。


「お嬢ちゃん。追放(・・)ってのは、どんなだい?」


 アリスも歩くだけでは退屈なのだろう。話していないと気が(ふさ)ぐ気持ちは理解出来る。


「王都の大罪人なんかを『岩蜘蛛の巣』に(ほう)り込むのよ。実際に見たことはないけど、王都側の入り口はかなり頑丈な扉で(ふさ)がれてるの。開かれるのは追放者を入れるときだけ」


「へえ。残酷なんだねぇ」


「王都の自治を揺るがすような人間のための場所だからよ。二度と戻ってこれない造りになってるらしいけど、詳しいことは書物にも()ってなかったわ」


 対策をされないように、という危機管理の表れだ。洞窟内の情報が知られてしまえば事前に対策を打たれてしまうし、追放者の仲間が救出してしまうかもしれない。実際にそれが可能な場所だとは思えなかったが、リスクを(おさ)えるためだろう。それに、『岩蜘蛛の巣』までは街道を中心として見晴らしの良い斜面が続いている。扉から抜け出した人間がいればすぐに捕まって処刑されるに違いない。


「お嬢さんは本当に本ばかり読んできたんですね」とヨハンが口を挟む。からかえる要素は見逃さない不愉快な奴……。


勤勉(きんべん)なのよ」


 短く返すと、「偉いですねぇ」と()()ない返事が聴こえてきた。まったく……。


 不意に、目の前が開けた。『関所(せきしょ)』内の小部屋くらいの大きさの場所である。ヨハンは壁に向けてランプをかざし、じっくりと観察していた。


 思わずノックスの手を握る。なんとも落ち着かない場所だ。壁にはボコボコと穴が()き、人が通れるサイズのものもいくつか存在する。どの道を進むべきなのか判断出来ない。


「このちっこい穴はなんだろうねぇ」とアリスが不安を(あお)るようなことを口にする。


「きっと岩蜘蛛(いわぐも)よ」


 そう答えると、アリスは小首を(かし)げた。「勤勉で賢いお嬢ちゃんに聞きたいんだけど、岩蜘蛛ってなにさ」


 なんだ、知らないのか。皮肉(ひにく)っぽい煽り口調は気に入らないが、話しておくべきだろう。


「岩の中に住む蜘蛛のことよ。岩石に穴を()けて、そこにコロニーを作って生活しているの。生態としては(あり)に似てるわね。大きい奴でも手のひらに乗るくらいのサイズだし、人間に害はないわ」


「ふぅん。そいつがボコボコ穴を空けてるわけね……」


 おそらくそうだろう。岩蜘蛛の空ける穴は子供の(こぶし)程度のサイズが一般的である。けれども、この小部屋に空いた穴はどれも人の顔くらいの大きさをしていた。すると、岩蜘蛛もかなりの大きさに育っているのだろう。


 岩蜘蛛は主に洞窟に生息する。かなりの雑食らしく、生物も口にするし、巣作りのために掘った岩も食べてしまうとの話だ。だからこそ岩蜘蛛が群生(ぐんせい)しているとされているこの岩山も、あちこちに穴が空いているのである。巣の形を崩さない程度に岩を食すので壊滅的なことにはならないが、自然に崩れて内部の様相(ようそう)が変わることも充分に考えられた。ここからは一層足取りに注意を払わねばなるまい。


「私たちも岩蜘蛛に(なら)って、岩を掘って進みますか?」とヨハン。


 笑えない冗談だ。洞窟が崩れたら生き埋めは(まぬか)れない。「落盤(らくばん)するわよ?」


 ヨハンは肩を(すく)め、壁に向き直った。ふと気になって彼の後ろから壁を覗き込むと、なにやら小さな文字が()り付けてある。


 読めはしないけど、見たことのあるかたちだった。


「これ、もしかして小人文字かしら?」


 ヨハンはこちらを振り(あお)ぎ、(あき)れたように息をついた。「お嬢さんは一体どこまで物知りなんですか……」


 図書館ひとつ分かしら、と答えようとしてやめた。からかう(たね)を与えたくはない。「たまたま知ってるだけよ」


 小人文字を直接目にしたのははじめてである。図書で読んだものが目に前にあると思うと、ちょっぴり興奮した。


 ――世の中には人でも魔物でもない知的生物が存在する。獣人(じゅうじん)なんかがその典型(てんけい)だ。小人もそれにあたる生物である。容姿(ようし)は、子鬼(こおに)をおだやかにしたような具合だ。頭でっかちでずんぐりとした体型なのだが、人間と比較すると身長は三分の一程度しかない。独自の文字文化や服飾文化を持つくらい高度な種族だが、獣人同様、人と関わることは滅多(めった)にないとされている。


「なんて書いてあるか読めますか?」


「いえ、さすがに内容までは分からないわ」


 小人文字の存在は知られているものの、内容まで踏み込むことの出来た論文は存在しない。そもそも、別の(しゅ)と関係を持つことは良しとされていないのだ。


「多分、進むべき道を示しているんでしょうけど……困りましたな」


 後ろでブーツのつま先がコツコツと鳴る音がする。アリスが苛立(いらだ)っているのだろう。ノックスもわたしの横で小人文字を見つめていたが、当然のごとく首を(かし)げていた。


「進んだ道に目印を残しましょうか。それなら戻ったときも分かるでしょ?」


「それもそうですね……。しかしまあ、この洞窟がどのくらい広いかにもよるでしょうなあ」


 ヨハンのため息が響く。彼の落胆(らくたん)も良く理解出来た。もしこの先が迷路のように入り組んでいたら、何日かけても脱出出来ないかもしれない。保存食と水はあるけど、大した量ではない。


 不意に、かつん、と穴のひとつから(かす)かな音が聴こえた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』


・『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』


・『毒瑠璃(どくるり)の洞窟』→毒性の鉱物である毒瑠璃が多く存在する洞窟。詳しくは『102.「毒瑠璃の洞窟」』にて


・『関所(せきしょ)』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。


・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。


・『グレガー』→かつて騎士団のナンバー2だった男。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。詳しくは『205.「目覚めと不死」』にて


・『子鬼』→集団で行動する小型魔物。狂暴。詳しくは『29.「夜をゆく鬼」』にて

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