211.「いかなる思想であろうとも」
グレガーは頷きには、迷いや苦痛が存分に表れていた。その瞳はまだ閉じられたままである。
様々なことを考えているのだろう。彼は王都側からの警告を受けてもなお、不死魔術の研究をやめなかった。待っていたのは当然のごとく追放処分である。絶望の渦中で目にした森は、彼が諦めきれなかった不死を叶えてくれる場所だった。
他人を犠牲にしてまで維持したかった不死の夢。そこまでのこだわりなんて到底理解出来なかった。しかし、グレガーはビクターとは違う。規模の問題ではない。ここまで話してきて、彼の態度には明確な後ろめたさが感じ取れたのだ。自らが悪と知りながら正当化し、阻む者を蹂躙してまで進もうとするビクターとは決定的に異なっている。
裏を返せば、後ろ暗い感情があるのにもかかわらず続けていたということ。
「……どうして不死にこだわるの?」
気が付くと疑問は言葉になっていた。
「簡単なことだ。……魔術の継承は不完全なのさ。書物や魔術訓練校、あるいは師による教え。この程度でしか魔術を引き継いでいくことが出来ない。その裏で抹消されていった知識がどれだけあったか……。誰にも繋がれずに消え果てたものがどれだけあったか……。そういう一切を、私は嫌悪しているのだよ。王都側が魔術に制限を課すのも腑に落ちん。特定の知しか残らないなんて、残酷じゃないか。……だから私は、自分の方法で知識を温存していくことに決めたのだよ。つまり、死ななければあらゆる知識は――」
言葉を切って、彼は自分の頭をトントンと指で叩いた。「ここに積まれ続ける」
知識の継承だけのために、人を肉体から切り離し、魔力を奪っていたのか。
言葉を返そうと口を開いた瞬間、グレガーは遮った。
「私自身の罪深さは承知している。いつか裁かれるときが来るとは思っていたが……いやはや、突然だったもので抵抗してしまった。悪く思わないでくれ。……約束を破るつもりはない。もう不死魔術はやめにする。森を訪れる人間にも危害は加えない」
随分とあっさりした口調である。表情は諦めに満ちた憂いが浮かんでいた。
「なら、あなたに危害は加えないわ。……けれど、どうしても信用しきれないの。今後ここを訪れる人にまで関係する問題だから……。悪いけど、魔紋を彫った魔樹をいくつか斬らせてもらうわ」
「かまわない」
即座に返ってきた言葉には、こちらを欺くような響きはなかった。グレガーは続けて言う。
「永遠に生きるというのも、案外窮屈だ。本来は理想のために始めたことだったが、ほとほと嫌気がさしてね……。それでもやめることが出来なかったのは、ひとえに、私自身の弱さだろうな。……どんな大義名分を掲げたって、結局一番重いのは死への恐怖だったのだよ。……何度も何度も自分に問いかけてきた言葉がある。お前は知を保管しておくために生きているのか、それとも生きたいがために生きているのか……とね」
答えはいつだって不透明だった。そう付け加えてグレガーは沈黙した。
『聖樹宮』の王を名乗っていた彼の内側には、葛藤が積もっていったのだろう。そうであっても、罪は少しも酌量されないことを彼は知っている。すべて理解した上で、素直に言葉を紡いでいるのだ。完全に敗北を認めて。
「先ほどまでは躍起になって不死魔術にしがみついていたが、それも終わりだ。こうなってしまえば却って清々しい。いかなる思想であろうとも、そこに悪が含まれた時点で終わりが来るのだな」
「さあ……それは分からないわ。けれど、わたしはそうあるべきだと信じてる。それだけのことよ」
どれだけの窮状であろうとも、道義を信じたい。そうでなくてはあまりに苦しいから。
「お姉さんかっこいい」
「素敵なの」
「正義の味方!」
「味方!」
バンシーが一直線に褒めるものだから、思わず頬がゆるんでしまった。
「……ひとつ頼みがある」と言って、グレガーは真っ直ぐこちらを見つめた。その瞳には濁った色合いなんて見られない。
「なにかしら?」
「『聖樹』だけはこのまま残してくれ。この場所はバンシーたちの住処だ」
じっと彼の目を見つめ返す。『聖樹宮』をそのままにするという点に裏はないだろうか、と。たとえば『聖樹』を使って新たな研究を続け、そして犠牲も出続けるといったことが起こらないのか……。
「大丈夫だよ」
答えたのはバンシーだった。それも、わたしを庇ったあの勇敢な子である。彼女はわたしの隣でふわふわと浮かびながら、グレガーを見据えている。「王様がなにかしようとしたら、私がとめる。お姉さんとの約束を忘れたの? って」
なんて牧歌的な警告だろう。けれども彼女の声には芯が通っていた。グレガーが約束を破ることがあれば本気で止める。そんな決意に満ちている。
「私も!」
「私だって!」
「ちゃんととめるもん!」
ほかのバンシーたちも口々に叫ぶ。今まで王様として君臨してきたグレガーが気の毒になるような状況だった。
「……分かった。『聖樹』には手出ししない。代わりに、魔紋が彫りつけてあるほかの魔樹を切り倒すわ」
「ああ、かまわないさ。二言はない。……研究も知識の継承もここで終わりだ。あとどれくらい生きれるかは分からないが、貴女の言う通り慎ましく過ごそう」
憑き物の落ちた表情をしていたが、それでも消沈した様子ではあった。無理もない。これまでの存在理由を剥奪されたのだから。
少し情が出てきたのだろうか。気が付くと彼が哀れに思えてきた。無論、洗脳魔術は欠片も施されていない。
「……あなたはやり方を間違えただけよ。人に危害を加えてまで続けていいことなんてなにもないわ。ただ、誰にも迷惑がかからずに済むのなら、あれこれ言うつもりはないの。不死の維持方法は絶対に許せないけど、それ以外の部分――たとえば魔紋の発想や、理論通りに魔術を実行出来る技術は無価値なんかじゃないもの」
グレガーは口の端をやや持ち上げて、目を細めた。
「ありがとう……ずっとこの森に住んでいたが、人に褒められたのははじめてだ」
「当然のことよ。騎士団の元ナンバー2は伊達じゃないってことね」
ぴくり、とグレガーの眉が動いた。
「そこまで知っていたか……。貴女の知識には敬服する」
さっきまで「本の虫を越えている」だの言っていたくせに……。まあ、まんざらでもないのだけれど。
「そういえば」とグレガーは続けた。「クロエ……貴女は何者なんだ? 『最果て』側から来た以上そちらの人間だと思いたいが、それにしては王都について詳し過ぎる。かと言って追放者とも思えない。『岩蜘蛛の巣』を抜けたら森に入るほかないからな……」
もっともな疑問である。これまで彼は幾度となく追放者や『最果て』側の人間を見てきたのだろう。そのどれにもわたしの姿はないはず。そんな人間が王都のこと――グレガー自身が騎士をしていた時代の序列まで知っているとなると頭を捻って当然である。
ルイーザのような特例――箒による飛行――までは感知出来ないようだけど。
「わたしは王都の人間よ。ただし、あなたの知らない方法で『最果て』に来たの」
興味深げに身を乗り出したグレガーと、彼に合わせるように前のめりにこちらを見つめるバンシーたち。あんまり見られると恥ずかしいが、仕方ないことだ。グレガーもバンシーも知的好奇心は旺盛なのだろう。
「元々わたしは、あなたと同じく騎士だったのよ。序列はナンバー4。異名は『華のクロエ』」
きゃあきゃあ騒ぐバンシーとは対照的に、グレガーは感心するように口を薄く開いた。まあ、彼の序列に比べれば大したことはない。
それからわたしは、魔王の城で味わった敗北と転移魔術について語った。もちろん、勇者と魔王の結託も包み隠さずに。
語り終えると、グレガーは長い息を吐いて腕を組んだ。
「すると、今は大変な状況ということだな?」
「……信じてくれるの?」
今まで『最果て』でこの話を語っても、半信半疑の反応ばかりだった。けれどもグレガーは「無論、信じる」と真っ直ぐに言葉を返したのである。
王都出身というのも理由のひとつだろうけど、ようやく信頼を得られたことに喜びを感じてならない。
「長らく引きとめて申し訳ない。貴女はすぐに王都へ行くべきだ」
「もちろんよ。……グレガー。あなたの言葉、信用していいかしら?」
彼が不死魔術を捨て去ると誓ったことに関してである。彼は力強く頷き、わたしの背をそっと押した。
「本来の肉体に触れれば、貴女は元に戻れる。さあ、出発しなさい。見送りは――」
彼の言葉を遮るように、わたしを庇ったバンシーが声を上げた。「私が送るわ。お友達のところへ真っ直ぐ連れて行ってあげる」
ほかのバンシーたちは顔を合わせてうずうずとしていたが、やがて決心したのか「気をつけてね」「ばいばい」「ずっとお友達だからね」「お姉さん大好き」と口々に発した。少し涙声になっているものだから、こちらもつられて気持ちが動いてしまう。
けれども、長居は出来ない。果たすべき使命があるのだ。
「それじゃ、さよなら。グレガー、約束は破らないでね」
「無論だ」
迷いのない言葉である。安心して踵を返すと、後ろからグレガーの声が飛んだ。
「クロエ……貴女は王都の歴史を知っているか?」
足を止め、振り返る。地面の『灯り苔』がほんのりと輝いていた。
王都の歴史、か。
答えようと口を開きかけたわたしを、グレガーは遮った。「いや、なんでもない……。お元気で!」
釈然としない感じはあったが、それに気を取られていても仕方ない。わたしは『聖樹宮』の入口へと足を運んだ。隣には親切なバンシー。考えられないような光景ではあったが、決して間違ってはいないはずだ。
バンシーたちの名残惜しそうな声が、遠ざかっていく。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照




