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208.「離反と葛藤と和解と」

 グレガーの喉が上下し、ごくり、と唾を飲み下す音が(かす)かに聴こえた。彼はサーベルの切っ先とわたしの顔を交互に見つめ、口を開きかけては閉じてを繰り返している。


 これまでのグレガーの様子からも明らかだが、『聖樹宮(せいじゅきゅう)』は彼にとって絶対に安全な場所であり、そこに(まね)き入れるのは不死魔術の養分となる人間のみだろう。こうして反撃を受けるのははじめてであり、想定すらもしていなかったと見える。甘い見立てだ。


「いつまでもあなたの狼狽(ろうばい)に付き合ってるつもりなんてないわ。教えてくれないなら身の安全は保障できない――ただそれだけよ」


「聞いてどうする……!」


 やっと口を開いたと思ったら、意味のないことを……。まったく、(あき)れてしまう。


「どうするって……。これだけのことをされたのに黙って済ますなんて出来ないわよ。嘘や沈黙は寿命を縮めることになるってことを理解して頂戴(ちょうだい)


 さらに一歩グレガーに接近と、彼は一歩分後退した。そして無抵抗を示すためか、両手を頭の高さまで上げる。


「……分かった。もう抵抗しない。だから武器をしまってくれ。落ち着かん」


 もとより脅しのつもりだ。大人しく答えるならこちらも無闇(むやみ)(やいば)を見せなくて済む。サーベルを(さや)(おさ)めると、グレガーの深い呼吸音が耳に届いた。


「よし……抵抗はしないが、それは私に限ってだ。――バンシー! 奴を排除(はいじょ)しろ!」


 その言葉と同時に、グレガーはこちらを指さした。


 ……なるほど。魔物の力を借りるというわけか。それなら話が早い。一切の容赦(ようしゃ)を捨て去ってバンシーを両断すれば、彼も自分の立場を理解してくれるだろう。


 ――サーベルを抜く直前で、手が止まった。


 どうにもおかしい。


 グレガーの命令を受けたバンシーは互いに顔を見合わせ、もじもじとしている。人間の仕草に置き換えるならいかにも気乗りしない様子で(あふ)れていたのだが、相手は魔物である。なにかの策略かも――そう思ったが、メリットが見出(みいだ)せない。バンシーたちは攻撃を(しぶ)ることによってこちらの(きょ)を突こうとしているのだろうか。……どうも違うような気がする。


 やがてバンシーたちは眉尻(まゆじり)を下げ、前方に手をかざした。その手のひらに魔球が出現する。


「ごめんね、お姉さん」

「本当はこんなことをしたくないの」

「お友達だと思ってたんだけど」

「こんな私たち、嫌いになったよね」

「ごめんね……」


 不意に、『最果て』で出会った魔物を思い出した。ラーミア三姉妹である。長女オルガと三女イリーナはビクターの実験によって人間に変えられたのだが、まるで心まで人間のそれと判別がつかないくらいだった。その性格と心の動き――人間の姿を得る前からそれを持っていたとすると、目の前のバンシーの言葉も分からないではない。


 今まで魔物に(いだ)いてきた先入観は、もしかして間違っていたのだろうか。


 迷いに気を取られたわたしの前に、ふわりと影が現れた。――それ(・・)はまるでこっちをかばうかのように、両手を広げてバンシーと対峙(たいじ)する。


 わたしをかばったのは、先ほどから協調性のなかった一体のバンシーだった。


 彼女はぽつりと、しかし明確に言葉を(つむ)ぐ。「私はお姉さんの味方をする。だって――」


 言って、ちらとこちらを振り向いた。その瞳に、なぜだか(おだ)やかな色が見える。「――だって、友達だもの」


 そんな離反者に、バンシーは騒ぎ立てた。


「そうだけど!」

「友達だけど!」

「王様に逆らってもいいの!?」


 正直、なにを信じていいのか分からなかった。これ自体が壮大(そうだい)茶番劇(ちゃばんげき)という可能性だってある。けれど――。


 わたしをかばったバンシーの横に立ち、彼女と顔を合わせた。そして、微笑みかける。


「ありがとう……。親切はとっても嬉しいわ。だから、あなたが危険になったらわたしが守ってあげる」


 彼女の瞳に嘘は見出(みいだ)せなかった。ゆえに、魔物であろうとも共闘する。それがわたしの決断だ。


「お姉さん……大好き」と彼女は照れた顔で呟く。こうして真摯(しんし)に言葉を()わしてみると、彼女が魔物であることが心底哀しく胸に突き刺さった。今まで信じ込んでいた価値観を揺るがすようなことが起きているのだから。


 スパルナの存在。そして、オルガとイリーナ。現実は複雑怪奇だ。地盤が崩れることもあるだろう。それでもなお、なにかを選び取らなければならないのなら、わたしは――。


「たくさん、たくさん、ありがとう。本当にお姉さんは優しいね」


 そこまで言われるとさすがにこっちも照れる。それに、感謝されるようなことをたくさんしたわけでもない。なんだかちぐはぐで、けれど真っ直ぐな言葉だった。


 グレガーのそばに浮かぶバンシーたちは、動揺を隠さなかった。顔を見合わせ、「うう」とか「むぅ」とか(うな)っている。


「私も大好きだもん」


 そんな声もぽつりと聴こえた。


「さっさと攻撃しないか! なにを迷ってる! あいつは『聖樹宮(せいじゅきゅう)』を(おびや)かす存在だぞ!! 私たちの平和を揺さぶって粉々に砕いてしまうかもしれないんだぞ!」


 グレガーがバンシーを(あお)いで早口に叫ぶ。


 するとその直後。


「わぁーーーーーーー!!!」


 バンシーたちは口々に叫んで、広場のあちこちに散っていった。枝葉の影や『森ぼんぼり』のうしろ、あるいは『聖樹(せいじゅ)』に隠れてこちらを覗き見ている。


 残ったのはわたしと、勇気ある一体のバンシー。そしてグレガーだけだった。彼はぽかんと口を開けていたが、呆気(あっけ)に取られたのはこちらも同じである。バンシーがあんな行動を取るなんて欠片(かけら)も思わなかった。わたしをかばったのも異様だったが、逡巡(しゅんじゅん)葛藤(かっとう)()まれて逃げ出す魔物なんて聞いたことがない。


 随分(ずいぶん)と奇妙なひと幕ではあったが、風はこちらに吹いている。グレガーを追いつめるなら今だ。


「あなたのおかげよ……ありがとう」とバンシーに(ささや)きかけると、彼女は目を閉じて首を横に振った。


「いいの。お姉さんのためならなんでもしてあげる」


 これは……随分と好かれたものである。異様に人懐(ひとなつ)っこいのか、あるいは、こうして正気を取り戻した人間がはじめてだったからなのかは分からない。


 グレガーに近寄り、サーベルを抜き去った。


「さあ、これでもうあなたの味方はいないわよ。『聖樹宮』の素敵な王様……次はなにを仕出(しで)かすつもりかしら?」


 なにが繰り出されようとも、容赦(ようしゃ)なく叩き(つぶ)すけど――そう思ったが、全部は口にしなかった。その必要さえない。


 グレガーは(ひざ)から崩れ落ち、呆然(ぼうぜん)とこちらを眺めていた。もはや戦意など感じられない。彼がぺたりと座り込んだ地面に、黄緑色の薄明(うすあか)りが(とも)る。


「もう抵抗はしない……全部、全部おしまいだ」


 グレガーは憂鬱な調子でぼそりと呟いた。


「そうね。あなたの答えによっては全部おしまいよ。けれど、場合によってはわたしだって手加減するかもしれないわね。――親切なバンシーさんに(めん)じて」


 言って、隣にふわふわと浮かんでいる彼女と微笑みを()わした。


 ――と、一度は逃げ出したバンシーたちがわらわらとこちらに寄って来るのが見えた。怪しげな呪力や敵意は読み取れない。


「お姉さん」

「ごめんなさい」

「許してほしいの」

「仲直り……」


 一様(いちよう)にしょんぼりした様子なので、(かえ)ってこちらがモヤモヤとしてしまう。別に気にしてなんかいない。それに、本気で彼女たちが襲いかかってきたとしても退(しりぞ)ける自信があった。一度はバンシーたちの策略で崖下までおびき寄せられたが、それ以降は魔紋(まもん)を利用したグレガーの魔術にしてやられたのである。最も厄介なものを封殺(ふうさつ)出来ている以上、こちらが不利になることはない。


 バンシーが上目遣(うわめづか)いでちらちらとこちらを(うかが)うものだから、ちょっと笑ってしまった。


「気にしないで。仲直りしましょう」


 すると彼女たちは目を輝かせ、「ありがとう!」「お姉さん優しい!」「大好き!」なんて口にしながら抱きついて来た。


 さすがに少し警戒心が働いたが、しかし、バンシーが攻撃することはなかった。正真正銘(しょうしんしょうめい)、敵意のない魔物と考えていいかもしれない。


「王様。クロエに全部話してあげて」


 先ほどわたしをかばったバンシーが、グレガーのそばまで寄ってはっきりと口にした。それに同調するように、ほかのバンシーたちも大きく(うなず)く。実に奇妙ではあったが、わたしはバンシーと一緒にグレガーを追いこんでいた。


「……分かった。もう分かったよ。私の負けだ。……まずは先ほどの疑問だったな」


 ようやく堪忍(かんにん)したのか、グレガーはぼそりと、端的(たんてき)に答える。


 それは単純で、けれども異常な言葉だった。


貴女(あなた)は今、精神だけの状態でこの場所にいる」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。


・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『ラーミア』→半人半蛇の魔物。知能の高い種。『86.「魔力の奔流」』に登場


・『オルガ』→ビクターのもとで働く女性。イリーナの姉。冷静で、妹想いの性格。元々は魔物ラーミアだったが、ビクターの実験によって人間にされた。『ラボ』で安らかに亡くなった。詳しくは『158.「待ち人、来たる」』付近参照


・『イリーナ』→ビクターのもとで働く女性。オルガの妹。泣き虫で、お姉ちゃん子。元々は魔物ラーミアだったが、ビクターの実験によって人間にされた。『ラボ』で安らかに亡くなった。詳しくは『158.「待ち人、来たる」』付近参照


・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)朝月夜(あさづくよ)」』にて


・『呪力』→魔物の持つ魔力を便宜的(べんぎてき)に名付けたもの。質的な差異はない。初出は『4.「剣を振るえ」』

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