205.「目覚めと不死」
目覚めると明るい木目が見えた。調度品のない、大樹の小部屋。
夢から覚めて、戻ってきたんだ……現実に。立ち上がると足元がふらついた。一体どのくらいの時間が経過したのやら……。少しばかりの不安が胸に湧く。
小部屋を出ると、仄灯りに照らされた森が広がっていた。王様が『聖樹』と呼んだ大木。その周囲にめぐらされた螺旋階段をぐるぐると降りる。地面では光る苔――『灯り苔』という名で、陽の射さない森の奥にひっそりと群生する植物――がバンシーに叩かれてぽつぽつと黄緑色の光を明滅させていた。バンシーはああやって遊んでいるのだろうか。四六時中、森の奥で……。
木々の枝葉から下がる球状の灯りを横目で眺める。こうして冷静になってみると、『聖樹宮』は非常に穏やかな場所だと分かった。球状の灯り――『森ぼんぼり』も、『ニセホタル』という光を放つ羽虫も、気候や土壌が安定した森にしか現れない。王様が『聖樹宮』と名付けたのも頷ける。
螺旋階段を降り、『灯り苔』を踏むとぼんやりとした輝きが足元に溢れた。こちらに気が付いたのか、バンシーがふわふわと寄って来る。
「おかえり、お姉さん」
「大好きなお姉さん、待ってたの」
「一緒に遊びましょう」
「追いかけっこ」
「かくれんぼ」
「楽しいことならなんでも好きよ」
「さあ、遊びましょう」
こんな言葉に惑わされていたのか。我ながらうんざりする。
どうしようかと考えていると、背後で扉の軋む音が聴こえた。振り返ると、ローブ姿の中性的な男――王様がいた。
「おはようございます、クロエ。夢はいかがでしたか? 素敵だったでしょう?」
自信に溢れた言葉だ。夢の虜になると確信しているのだろう。
確かに、一番好きだった場所に訪れることが出来た。幸福な時間ではなかった、と言えば嘘になる。けれど――。
「ごきげんよう、王様」
真っ直ぐに見つめて言葉を返すと、彼は怪訝そうに眉を持ち上げた。おそらく、眠る前までのわたしと今の様子とが違っているのだろう。夢に入る前からぼんやりと夢心地だったから。彼が口を開くのを待たずに続けた。
「素敵な夢をありがとう。素晴らしい時間を過ごすことが出来たわ」
「……それはなにより」
「けれどわたしは、ここから出ていくことにしたの」
一瞬の沈黙ののち、バンシーがわらわらとわたしのそばを飛行した。
「どうしてそんなこと言うの?」
「一緒に遊びましょうよ」
「私たちのことが嫌いになったの?」
「帰ってもひとりぼっちなのよ?」
辟易してしまう。なんでまた王様は、こんな連中と手を組んでいるのやら。
「わたしは帰ってもひとりじゃない」
そもそも、帰るべき家なんてない。今はまだ旅の途中で、待たせている人がいる。遂げるべき目的だってある。
「思い出したのですか? 自分が何者なのか」
王様の口調は、いまだに探るような慎重さを持っていた。自分が施した魔術の力を確信しているからこそ、正気に戻ったことが信じられないのだろう。
「ええ。おかげさまで」
夢に入ってニコルの名を呼んだ瞬間、なにもかも思い出したのだ。わたしの目的と、今置かれている状況を……。
夢のなかでさえニコルの力を借りるなんて情けなかったが、手段にかまっていられるほどの余裕なんてない。
「ならば、貴女に真実をお伝えしましょう」と王様は返した。「貴女はひとり、この『聖樹宮』に導かれました。バンシーたちが惑わしたのでも、私が呼び込んだのでもありません。強いて言えば森の意思でしょうか。……貴女がここを出ることは不可能です。すでに魂が『聖樹宮』に囚われてしまったのですから」
ひと通り喋ると、王様はいかにも哀れむように眉尻を下げた。「……私は貴女を行かせたくはありません。……いいですか。魂を囚われたまま『聖樹宮』から一歩でも踏み出すと、永久に森に惑わされ続けます。この場所に戻ることも、森を抜けることも叶わない……。だからこそ私は、貴女にとどまっていただきたいのです。我々のよき友人として」
同調するようにバンシーが声を上げる。
「王様の言う通りよ」
「お姉さん、行かないで」
「せっかくお友達になれたのに、寂しい」
「行っちゃ嫌」
「お願い、ここにいて」
「一緒に楽しく暮らしましょう?」
バンシーを一体一体見回すと、みんな美人ではあったが、顔に若干の違いがあった。魔物とはいえ、こうして間近で観察することはなかなかない。
確かにバンシーとは友人関係を結んだ。しかしそれは、夢見心地のわたしだ。彼女らに対する情はまだ心にこびりついてはいたが、盲目的に従うほど愚かな状態ではない。それに――。
「王様――あなた、嘘がお好きなの?」
彼の顔から、すっ、と同情が消える。
「どういうことです?」
「わたしが夢の中でなにもしなかったと思っているのかしら? せっかく大好きな図書館に戻れたんだもの。この状況を打破出来るだけの知識を調べないなんてナンセンスよ」
すると王様は即座に首を横に振った。
「ハッタリでしょう。……分かりますよ。貴女は焦ってらっしゃるだけです」
「あら、焦ってるのは王様のほうじゃなくって?」
彼の眉間に皴が寄る。この余裕を、彼はどう判断するだろうか。
「では、お調べになったことをおっしゃってごらんなさい。たっぷりと時間をあげましょう」
バンシーはわたしから少し距離を取り、ふわふわと浮かんでいる。そこに敵意が感じられないのが不思議だ。あくまでも王様の命令でしか人を襲えないのだろうか。
「いえ、時間は必要ないわ。たったひと言で済むもの。ねえ、グレガーさん?」
王様の目が見開かれる。やっぱりそうか、と確信した。
単純なことだ。ニコルの話によると、王都から追放された洗脳魔術の使い手は三人。そのなかで男はたったひとりだった。
王様は黙ってこちらを見つめている。その目付きは、抑えてはいたが、睨んでいると言っても差しつかえない鋭さだった。まったく、森の王様を演じるなら徹底的にやってほしいものだ。
「グレガーとは何者かね? 聞いたこともない」
「そうね……王都を追放されてからもう何十年も経っているもの。忘れていてもおかしくないわ」
直後、王様は歯を剥き、こちらを指さした。「何十年も経っているだと? そのグレガーとかいう奴が追放されてから途方もない時間が過ぎたのであれば、今頃老人になっているのではないかな? やはり、ハッタリじゃないか」
そう。本来なら老人になっている。
本来なら。
「グレガーが追放された理由を考えれば簡単に導けるわ」
「理由? そんなもの知らん」
王様はいかにも不機嫌そうに言葉を返す。もはや花の冠が皮肉な装飾品に思えてならない。
「グレガーは、ある魔術の研究をおこなっていたのよ。誰もが望む素晴らしい魔術の、ね。……リスクなしに施すことが出来れば問題なかったでしょうけど、その魔術は多くの犠牲が伴うことが判明した。グレガーは王都側から研究をやめるよう命じられたけど、こっそりと続けていたみたいね。それが見つかって追放となりましたとさ」
王様は口元を引きしめたままこちらを睨んでいる。
「その研究というのが――」人さし指を立てて、続けた。「不死魔術よ。グレガー……あなたはその魔術を『鏡の森』で完成させた。理論はすでに出来上がっていて、あとは条件を満たす場所さえ確保出来れば問題ない段階まで、あなたの研究は進んでいたんでしょうね」
不死魔術。グレガーの時代に理論が生まれ、王都の上層部により揉み消しがおこなわれた魔術。わたしが王都にいた頃には、すでに禁止魔術として指定されていた。
「すると、私が不死者だとでも?」
「いいえ、厳密には不死なんて存在しないわ。あくまで肉体の損耗を補うだけの魔術だもの。死を先延ばしにしているだけ。それも、犠牲がなければ成立しない」
「犠牲?」
王様は射殺すような鋭い目付きでたずねる。
「そうよ」と頷いて続けた。「ご存知でしょうけど、理論上、不死魔術には二つの要素が必要になる。まずは自分の肉体に流れる魔力を組み替えること。簡単に言えば、肉体の動きすべてが魔力を必要とする状態に変えるの。筋繊維や脳の信号まで、その一切を魔力の流れと一致させる」
言うなれば、常に身体強化魔術を施している状態である。身体強化は肉体の一部に魔力を集中させて動きを高めたり、肌をコーティングして硬度を上げたりする。
身体能力の向上をせず、魔力と肉体の動きを同化させてしまうのが不死魔術の第一歩である。
「……魔力が弱まれば肉体も弱まり、血を流せば魔力も流れ出す。もちろん、疲労や傷の回復もすべて魔力に担わせる。言うまでもなく、自分の魔力だけなら『普通に生きている状態』とさしたる違いなんて生まれないわ。そこで……他から魔力を吸い上げる必要がある」
王様は沈黙している。わたしの言葉の甘い箇所に切り込もうとしているのだろう。
「グレガー。あなたは人間から魔力のみ取り出す魔術の研究をおこなっていた。それが実を結んだんでしょうね。あなたは『鏡の森』でそれを実行に移し、見事に成功させた……。わたしを捕らえたのも、魔力を奪う目的でしょう?」
バンシーが王様の周囲でふわふわと舞う。その表情はどこか不安そうだった。自分たちの主が追い詰められていることに焦っているのだろうか。
王様――グレガーは眉根を寄せた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『禁止魔術』→使用の禁止された魔術。王都で定められ、王都の周辺地域にのみ浸透しているルール。




