20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」
靴音があちこちから聞こえた。徐々に人の姿が現れ、あっという間にわたしたちは囲まれていた。
どいつもこいつもボサボサの頭に無精ひげ。服装はそれぞれ違っていたが、どれも馭者と似たり寄ったりだった。女性もいくらかいるようだったが、ひげがないだけで印象としては粗野な男たちと大差ない。皆共通して腕に赤いバンダナを巻いていた。おそらくそれが仲間の印なのだろう。
どの顔も十代から二十代前半に見える。こんな若者ばかりの組織で立ちゆくのだろうか。ヨハンを一瞥すると、彼はぼんやりと遠くを見つめていた。
やがて人波が割れ、ひとりの男が前に進み出た。ヨハンほどではないが長身で、道中で飽きるほど見た赤土の色に近い髪を頭頂部のやや後ろで束ねている。眼光は鋭く、鼻や顎はシャープ。どことなく猛禽類を思わせる顔立ちだった。
ぴり、と神経が張りつめる。彼が背負った弓は平凡な武器だったが、腰に提げた矢と矢筒に魔力が感じられた。
――魔具。すぐにそれと分かった。矢と矢筒。平凡な組み合わせの魔具だ。魔具制御局に登録されているだけでもかなりの数にはなる。そのひとつを彼が手にしているとは考えづらかった。地図を見る限り、グレキランスと『最果て』地方とは地理的に断絶されているし、交流があるとも思えない。なら、未登録の粗雑な魔具だろう。
とはいえ丸腰である自分自身のことを考えると、嫌な汗がにじんでくる。
「ヨハンさん、お疲れッス」
男は拍子抜けするほど軽い口調で呼びかけた。そこに敵意は表れていない。
「ああ、ジンさん、どうも」
ジンと呼ばれた男は軽く頷いて応じた。
「この女が、例の?」
「ええ、そうです」
失礼な呼び方をする奴だ。だからこういう連中は好きになれない。
「へえ」と男はまじまじとわたしを見た。「美人じゃん」
……この男の失礼な態度を許そう。状況がどうであれ、賛美の言葉をかけられて嫌な気はしない。確かにルックスについては自負があるが、それを態度に出さない落ち着いた大人の女性なのだ、と心のなかで思いつつも「えへへ、いや、そんな」と口に出してしまった。悪い癖だ。
「名前は?」
「クロエ」
「そう、クロエ。俺はアカツキ盗賊団副団長のジン。よろしくッス」
「あ、はい」
差し出された手を握る。力強い手だったが、その握手には配慮が感じられた。案外、悪い奴ではないのかもしれない。
彼はアカツキ盗賊団と名乗った。孤児を引き取って育てては盗賊として働かせるアウトロー集団。ハルが元々所属していた組織。
この村全体が盗賊団のアジトなのだろうか。大人がひとりも見えないのは、反抗意識からかもしれない。自分を捨てた大人たちの世界とは一線を引く必要があるのだろう。わたしもそうだったから、なんとなく気持ちは分かった。
「さて、俺はこれからあんたらを団長に会わせなきゃならないッス。気難しい人だから、下手なことはしないほうが身のためッスよ、クロエ」
ジンは相変わらず鋭い目つきをしていた。わたしは小さく頷いて見せる。
彼を先頭にわたしとヨハンが続き、その後ろからならず者がぞろぞろとついてくる。
団長と呼ばれるその人はどんな人物なのだろう。月夜の丘で聞いた鞄の声は、若い女性のものだった。淡泊な口振りではあったが、取り入るのは難しくないだろう。気難しい、とジンは言ったがあまり心配はしなかった。
岩山に直接取り付けられた扉からなかに入ると、そこは円形の部屋だった。岩山をそのまま刳り貫いたのだろう。奥には、表の扉よりもがっしりした木製のドアがある。ツン、と嫌な臭いがした。
右奥には革張りのソファが二つ向き合うように配置され、部屋の中央には木製の長テーブルと不揃いな椅子が六脚設置されていた。岩壁にはこれまた木製の棚がひとつ。どの家具も年期物らしく、ところどころに黒ずみや痛みが見られる。壁沿いにランプが数個、テーブルの中央にもランプがひとつ。
酒瓶が剥き出しの地面にいくつか転がっている。それだけで生活態度が想像出来て、げんなりとしてしまった。盗賊の乱れた日々。イメージするのも嫌になる。単に自堕落なだけならいいのだが、と思って奥の扉をじっと見つめる。おそらく、そこに団長とやらがいるのだろう。
ジンは奥の扉をドンドン、ドン、と二回と一回、間隔を空けて叩いた。それから踵を返してソファに腰掛ける。三人ほど優に座れるサイズのソファだった。
「団長が来るまで待つッス。ほら、座って」
彼は向かいのソファを指す。
「それじゃ、失礼して」と呟いてヨハンはいち早く腰を下ろした。わたしは彼からひとり分のスペースを空けて座る。
「ただ待つっていうのも芸がない。なにかご質問は?」
わたしに向けてジンは聞いた。
「……なぜわたしが選ばれたの? 目的が達成できなかった代わりにしては妙だと思うけど。わたしは魔具やハルの代わりにはならないはずよ」
「ハル?」
ジンは首を傾げた。目付きは相変わらずだ。
「アイシャのことですよ。あの村ではハルと呼ばれていました」
ヨハンの説明に、ジンは舌打ちで応えた。苦々しい表情が広がる。「こっちを抜けたつもりかよ。新しい名前まで貰って……クソ」
「ハルの幸せを邪魔しないであげて。ハル自身が選んだ道なんだから。もう報いは受けたはずよ。誰にも批判できない。たとえ昔の仲間であったとしても」
ジンは仰向いて「アー」と唸った。機嫌の悪さが露骨に伝わってくる。彼にどう思われようと、ハルを否定する言葉を許せなかった。たとえ、それで自分が不利になろうとも。
「クロエよお」
仰向いたまま、彼はこちらを睨んだ。
「ムカつくけど、俺の前ではそう言ってもかまわねえ。でも、団長の前では口を慎めよ。あんた殺されるぜ」
軽薄な口調は消えていた。いかにもな、ならず者の脅し文句である。さすがに大人しくしていたほうがいいかもしれない。なにせここは、奴らの胃袋のなかのようなものだ。下手な抵抗は身を滅ぼすだけだろう。
「分かったわ。ごめんなさい」
「うん、それでいいッスよ」
彼の口調が戻ったついでに、わたしはもうひとつ質問を投げた。
「ねえ、矢筒に矢が一本きりだけれど、それで大丈夫なの? 襲われたりしたらきっと足りないでしょう?」
ジンはまたしても仰向いて唸った。言葉を探すときの彼の癖なのかもしれない。
「これ一本で充分なんスよ。理由は言えねえが」
説明になっていない、と思いながらも深入りして彼の機嫌を余計に損ねるわけにはいかない。わたしはとりあえず頷いて見せた。
――!
声にならない悲鳴が響いて、思わず奥の扉に目を向ける。ジンは仰向いたまま白けた目線を扉に向けていた。
それから、重い地鳴りが響いた。一度きり。あとはじっとりと不快な静寂がただよっているばかりだ。
沈黙に耐え切れずに口を開きかけた瞬間、扉が開いた。重く、長く、軋みが鳴る。
扉の向こうから、ジンよりもずっと目付きが悪く、威圧的な表情の女性が現れた。ショートパンツにへそ出しの黒い丸首シャツ。黒髪は短く、ところどころがツンツンと逆立っている。肌は褐色。腕に巻かれた赤いバンダナがよく映える。
その手には、彼女の身長よりも大きい棘付きの金棒が握られていた。それは今しも誰かを叩き潰したように、ぬらぬらと鮮血に濡れている。
「団長、お疲れ様ッス」
「ああ」
それは確かに、鞄から聞こえてきた声だった。淡泊で、気怠い口調。
この少女に取り入らなければならないのか、と思うと気が重くなった。
【改稿】
・2017/12/22 口調及び地の文の調整。ルビの追加。




