196.「魔具制御局」
船に乗ってから一時間ほど経っただろうか。気分は随分と良くなった。吐き気は収まり、不快な酩酊感も消えつつある。
ノックスは船の隅っこで丸くなって寝ていた。その身体に衣類をかけて毛布代わりにしてやったのがほんの少し前のことである。早朝の出発だったせいか、碌に睡眠も取っていないのか、はたまた魔術訓練の疲れから眠ったのか、なんとも言えない。
ヨハンも彼と同様に、船縁に背をもたれてうつらうつらしていた。彼に関しては惰眠を貪っているだけだろう。以前彼は、眠ろうと思えばどこでもいくらでも寝れるなどと嘯いていた。
アリスは熱心に魔銃の手入れをしている様子である。どこまでも戦闘のことしか頭にないのだろう。
しばらく波間を眺めていると、アリスが隣にやってきた。
「ねえ、お嬢ちゃん」
アリスは縁に片肘を突いてこちらを見つめていた。その表情が思いのほか真剣だったので少し身構えてしまう。
「どうしたの?」
アリスは手元の魔銃を見下ろし、そして真面目な口調でたずねた。「グレキランスに魔銃の調整をしてくれるような人間はいるのかい?」
「多分、いるんじゃないかしら」
王都にはありとあらゆる魔具職人が揃っている。魔銃専門の職人は聞いたことがなかったが、メンテナンスくらいならほかの専門外の職人でもやれないことはないだろう。
ただ、問題があった。
「……けれど、調整をしてくれるとは限らないわ。むしろ、『魔具制御局』に告げ口されて独房に入れられるわね。運が悪ければ追放よ」
アリスは怪訝な顔でわたしを見つめた。「『魔具制御局』ってなにさ」
「魔具を統括する機関よ。王都では、あらゆる魔具が登録制になっているの。そのときの所有者はもちろん、誰が造ったかも制御局で管理されているわ。未登録にもかかわらず使用済みの魔具は即刻処分されるし、登録済みでも名簿の情報と異なっていれば基本的に盗品として扱われるの。……つまり、アリスのそれは間違いなく盗品扱いでしょうし、見つかったら裁かれるわね」
彼女の魔銃が王都に登録されていれば、その所有者はルイーザかエリザベートの名義になっているだろう。譲渡を証明する正式な書類がなければ捕縛は免れない。
「なんだいそりゃ。堅苦しい仕組みじゃないか」
彼女の立場なら、そう思うのが妥当である。しかし、だ。
「魔具を使った犯罪の抑止力のために作られた制度と組織よ。彼らが管理をしなければ魔具はすぐに盗まれてしまうし、密売も横行するでしょうね。そうなったら人間同士の争いの種にしかならない。悪党が蔓延らないように抑止するのが制御局の存在理由のひとつよ」
名実ともにそのはずだった。今まで騎士として登録済みの魔具のみを扱ってきたので、彼らを面倒に感じたことなど一度もない。けれども、今は立場が違う。わたしの手にしているサーベルも、見る人が見れば魔具だと判断されるだろう。そうなれば武器は処分され、最悪わたしも制御局のお世話になる可能性がある。注意しなければ。
「それじゃ、あたしは調整をしてもらえやしないってことかい」
「面倒なことになりたくないなら諦めたほうがいいわよ。……ルイーザのことは一旦忘れたほうが身のためね」
彼女が魔銃の調整なんて言い出したのも、ルイーザに対して手も足も出なかった悔しさからだろう。魔銃を強化して根本的な戦力強化を考えているに違いない。それでどうにかなる相手とは到底思えないけど……。
アリスはいかにも不機嫌そうに水平線を眺めていた。「あたしは舐められたままでいるのが大嫌いなのさ」
「そうでしょうね」
ここまでで読み取れたアリスの性格を鑑みると、当たり前のように理解出来る。
「もうひとつ。待つことも大嫌いよ」と付け加えて彼女は舌打ちをひとつした。
「ならモグリの魔具職人に頼むしかないわね。そんな人間が今の王都にいれば、だけど」
「お嬢ちゃんなら、そういう裏の職人を知ってるんじゃないのぉ?」
威圧するような目付きが向けられ、わたしは呆れて首を横に振った。
「これでも元騎士なのよ。自治を脅かすような人間とお近付きになるわけないじゃない」
「そんなら自力でなんとかするわ。別にお嬢ちゃんの力を借りるつもりはないさ。それに、秘密の交渉道具もあるし」
嘘つけ。わたしにコネがありそうなら飛びついてきたくせに。
しかし、交渉道具ときたか。どうせ禄でもない物に決まっている。
「交渉道具? なにそれ」
アリスはわざとらしく首を傾げた。「さあ、なんだろうねぇ」
「答えたくないなら別に追及しないわよ。秘密主義には慣れっこだから」
「そう。助かるわ」
ヨハンといいアリスといい、やたらと秘密を持ちたがるのはなんなのだろう。単なる警戒とも思えない。アリスに関しては今後繰り広げられる決闘を予想して出し惜しんでいるだけだろうけど。
そんな問答をしているうちに、船の速度がゆるやかになった。
「じき到着します」と船頭が大声を出した。それを耳にしてか、ヨハンは大きく伸びをし、ノックスは身を起こして瞼を手の甲でこすった。
続けて船頭は言う。「万が一『鏡の森』で危険な目に遭っても我々は助けに行けませんのでご容赦ください。なにしろ危険な場所ですから……。無論、浜まで出ていただければいくらでもお力になりますが、いかんせんハルキゲニアからだいぶ離れていますので難しいかもしれません……」
「平気よ。いざとなったら彼の交信魔術で助けを求めることが出来るし、そもそもそうならないように全力を尽くすつもりよ」
唐突に指さされたヨハンは目を丸くした。「まあ、やってやれないこともないですが……」
船頭はニコリと微笑んで「なら、ぜひともお呼びつけください」と言った。
ヨハンは頭を掻き、こちらを見つめて困り顔を浮かべる。「あまり過度な期待をされても困りますよ、お嬢さん。私にだって都合というものがありますから」
「都合ねえ……。もちろん尊重するわよ。けど、王都までは助け合うべきじゃないかしら」
ヨハンは肩を竦めてため息をついた。ちょっとわがままを言い過ぎただろうか。
「おや」とヨハンが船の行く先に目を向けて声を上げた。「対岸が見えましたね。そろそろご準備なさったらいかがです?」
準備もなにも、荷物なんて碌にない。強いて言えば心構えくらいだが、それもとっくに出来ている。
対岸から伸びた木製の船着き場が見えた。そこに停め、船を降りるのだろう。
心配事はいくつかあった。ビクターの手記を思い出し、口元を引きしめる。
アリスも同様に対岸を睨んでいた。それがこちらの不安を裏打ちしているようで、余計に気が張り詰める。アリスはハルキゲニアの人間だ。すると、『鏡の森』についても様々な情報を握っているに違いない。その場所の過酷さも、よく言い聞かされていたのだろう。
「ノックス……森に入ったら絶対に離れちゃ駄目だからね」
ノックスはわたしを見上げて、こくりと頷く。彼が素直なことは元々知っていたが、今回は余計に不安だ。
「お嬢ちゃん」と、アリスが対岸に視線を注いだまま呼びかける。「あんたも気をつけな。お嬢ちゃんみたいなのが一番危ないかもしれないからね」
「それってどういう意味?」
「ケインの反響する小部屋に惑わされるようじゃ、到底やっていけないってことさ」
からかうような調子はなかった。本気で言っているのだろう。ケロくんの洗脳に惑わされるような集中力と精神で乗り越えられない場所……。ビクターの手記でも『鏡の森』の異様さが触れられていた。
メアリーが命を落とした理由は、あのビクターであっても不明だったのだ。目に見えない恐ろしさが、その森には潜んでいるのだろう。
対岸の先に広がる鬱蒼とした森林地帯を見つめ、息を呑んだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『グレキランス』→クロエの一旦の目的地。通称『王都』。
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『魔具制御局』→魔具を統括する機関。初出は『6.「魔術師(仮)」』
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『エリザベート』→ハルキゲニアの元女王。高慢で華美な人間。ルイーザの母。詳しくは『174.「ハルキゲニアの女王」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『ケイン』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。通称ケロくん。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『反響する小部屋』→ケロくんの使う洗脳魔術。詳しくは『65.「反響する小部屋」』にて
・『メアリー』→ビクターの妻。既に亡くなっているが、ビクターの実験によって蘇った。意思はないとされている。巨人となるもルイーザに討伐された。詳しくは『153.「鎮魂と祝福、祈りと愛~博士の手記~」』『154.「本当の目的地」』『184.「エンドレス・ナイトメア」』参照




