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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~④黎明~」
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194.「旅立ちの青」

 その晩はあまり眠れなかった。理由はたくさんある。ハルキゲニアとノックスの未来、ルイーザのこと、ニコルのこと、そして、ひとりで旅するこれからのこと。


 挙げればきりがないし、考え尽くしたこともわざわざ引っ張り出して考え直す始末だった。


 そうしてごろごろと数えきれないほどの寝返りを打って、少しばかり眠った。半覚醒の眼が(とら)えたのは早朝六時を指す時計である。


 ベッドを抜け、着替えを済ます。そして(やしき)の主人――富裕街区のとある夫婦の家に世話になっていたのである――に感謝の想いを伝えると、彼は首を振って微笑んだ。それからサンドイッチとカボチャのスープをご馳走になってから邸をあとにした。


 早朝の街路は、清潔な空気に満ちていた。


 海峡(かいきょう)へ続く道は貧民街区にある。ハルキゲニア正門と比較するとうら寂しい場所らしいが、ささやかながら門が取りつけてあるとの話だ。富裕街区から貧民街区まではしばらく歩く必要がある。


 背負った布袋(ぬのぶくろ)のなかには以前ウォルターから受け取った金貨の残りと、『関所(せきしょ)』で牢屋番からもらった水筒。あとはハルキゲニアで購入した着替え数着とナイフ、ハンカチと干し肉である。城での戦いでボロボロになった洋服は、世話になっていた(やしき)の婦人が修繕(しゅうぜん)してくれた。それも、同じ色味(いろみ)の当て布をなるべく目立たないように縫いつける丁寧振りである。本当に頭が上がらない。


 こういうわけで、荷物は布袋ひとつとサーベルのみ。シンプルな旅の始まりである。


 早朝の出発について、ドレンテに話を通してあった。船は魔道具式らしいが、船頭をつけてくれるとのことである。


 富裕街区から市民街区にさしかかる。街路の(よそお)いはいくらか落ち着きを見せ、住宅や商店の(つら)なりも密度が高くなった。このまま貧民街区も直進し、門を抜けてしばらく歩けば船着き場である。


 気がかりなのは、やはりノックスのことだった。昨日ヨハンに伝言を頼んだのだが、結局合意を得るには(いた)っていない。わたしが去ればきっと伝えてくれると思うけど、彼の指摘通り、あまり誠実とはいえないだろう。


 本当は直接会って別れの言葉とともに、彼の今後の生活を示してやらなければならないはずだった。しかし……再会したら多分泣く。わたしが泣く。そして別れの(つら)さを見に刻み、そのままひとりぼっちで旅をしなければならない。それならいっそ、という気持ちでこっそり街をあとにしているのだ。不誠実は承知している。


 噴水広場を横切る際に、時計塔が見えた。文字盤の下、本来ステンドグラスがあった箇所(かしょ)は見事に吹き抜けになってしまっている。アリスの豪快さの結晶だ。そういえば彼女はどうするのだろう。おそらくまた南方(なんぽう)に戻り、用心棒でもやって生きていくのが現実的だ。ハルキゲニアの悲劇を通過して、彼女もまた呪縛から解放されたのである。ルイーザに魔銃を回収されることもなかったし。


 それぞれの人生が、また別の方角へと進んでいくのだ。わたしたちはたまたま交差しただけ。今後(まじ)わらないとも限らないだろうけど、基本的にはこれっきりの関係になるだろう。特にわたしは『最果て』から去るのだ。それも、過酷と言われる道なき道をたどって。


 市民街区と貧民街区を区切る柵の前で、ぺちぺちと自分の頬を叩いた。気を引きしめてかからなければならない。いつまでも後ろ髪を引かれているようじゃ駄目だ。


 やがて道は石畳から砂地へと変わった。いつかはこのヒエラルキーも(おだ)やかになるだろうか。ハルキゲニア自体、貧民街区の住民に投票権を与えないような場所だ。それすらもいつか取り払ってくれれば、と願う。階級意識の問題を解決するのは簡単ではない。深く根差(ねざ)した価値観を()じ曲げるようなものだから。……今後のドレンテに期待するしかないだろう。


 不意に、道の先から数人の男が歩いてきた。よく見るとレジスタンスの顔ぶれである。


「クロエさん!」「おはようございます」「もしや、出発ですか?」「寂しくなるなあ」


 口々に言葉を(つむ)ぐ彼らに微笑みかけた。「そう。あんまりのんびり出来なくてごめんなさい。これからのハルキゲニアはあなたたちにかかっているから、頑張ってね」


「当然ですよ」「クロエさんも、気を付けて」「元気で!」「なにかあったら戻って来ていいんですからね」


 そんな具合に温かい言葉を贈ってくれた。そして、挨拶もそこそこにそれぞれの道へと進んでいく。


 直接的にも、比喩的にも、わたしの道と彼らの道は一時(いっとき)(まじ)わっただけだ。これからは別々の方向へ歩んでいく。ただ、その(まじ)わりのなかで温かい激励(げきれい)や優しい心遣(こころづか)いが交差する。


 王都で騎士をやっていた時代には、決して味わうことの出来なかった感覚だ。これが旅人の感性というやつなのかもしれない。ニコルに感謝する気なんてひと欠片(かけら)もなかったけど、こうして旅をしてきた日々は無駄ではなかったと言える。少なくとも、今は。


 海峡(かいきょう)へと続く裏門はすぐに発見出来た。大きさこそ正門におよばないものの、壁に設置された大扉は目立つ。


 門は開いており、人影があった。大きくて細い影と、小さな影。歩きながらじっと見つめると、その正体が分かった。これは一体、どういう気の回し方なんだ。


 ヨハンが、ノックスを連れて門の先に(たたず)んでいた。困ったな。


「おはようございます、お嬢さん」


 ニヤニヤ笑うヨハンを無視してノックスの前にしゃがみ込む。「おはよう、ノックス」


「おはよう」とノックスはぼそりと答えた。その瞳は真っ直ぐこちらへと向けられている。


 ヨハンは門の横の壁に背をもたせかけて、気のないふうに景色へと視線を(そそ)いだ。


 伝えたいことがあるなら直接言葉にしろ、ということだろう。


「ノックス……わたしが馬車に乗せたばっかりに(つら)い目に()わせてしまって……本当にごめんなさい」


 あのときあの選択をしなければ、彼に余計な不幸を()わせることもなかった。ノックスは今でこそ白シャツに黒のズボンという(よそお)いだが、『アカデミー』と女王の城ではずっと患者服だった。そして幾度(いくど)もビクターの醜悪(しゅうあく)な実験に――。


 ノックスは首を横に振った。そして「ごめんなさい」という呟きが漏れる。続けて何度か口を開いては、言葉が出てこないのか、閉じた。


 どうしてノックスが謝る必要があるのかさっぱり分からない。悪いのはビクターと、彼の元へ導いてしまったわたしなのに。


「時計……壊して、ごめんなさい。……服、なくしてごめんなさい」


 よく見ると、彼の身に着けているシャツとズボンはマルメロで購入した物とは違っていた。腕時計はところどころにヒビや(ゆが)みが出来ていたが、あのとき買った物だ。その秒針はもう動いていない。


「坊ちゃんは、お嬢さんからの贈り物を駄目にしてしまったことが気にかかっていたようですよ。時計は見つけ出せましたが、服は連中に処分されてしまったようです。この際だから先日新しい洋服を買いに行ったんですがね、どうも時計だけはそれが気に入っているようです」


 つん、と胸の奥が切なくなった。


「服も時計も、気にしなくていい。ノックスが無事ならそれでいいの……」


 そして思わず抱きしめた。彼の小さな身体に手を回してから、しまった、と思う。これでまた道中の旅が(つら)くなる。


 自分を(いつわ)らなければ先に進めないほど、わたしは弱い人間だっただろうか。


 涙がこぼれる前に、身を離した。彼は相変わらず無表情だったが、その奥底で豊かな感情が息づいている。一緒に旅をしてきた間柄(あいだがら)だ。それくらい分かる。


「ノックス。これからはきっとすべてが良くなるわ。ハルキゲニアの人はあなたの味方ばかりだから……。こんなことを言っても説得力がないかもしれないけど……もう悪夢は終わったの。あなたが望めば魔術師にもなれる。だから――」


 ぐっ、と涙をこらえた。「幸せに生きて頂戴(ちょうだい)。……それじゃ、さよなら」


 ノックスの瞳が震えたように見えた。


 立ち上がり、海峡(かいきょう)への道を眺める。空は晴れ渡り、道を(いろど)る緑は鮮やかだ。


 不意に、シャツの(すそ)が引っ張られた。見ると、ノックスが裾を掴んでいる。そして――彼の目から涙が流れた。ぽろぽろと、止めどなく。


「どこにも行けない」


 それは切実な声だった。どこにも行けない。これまでの彼の人生、その不幸がひと言に結実(けつじつ)している。両親に捨てられ、グレゴリーにも捨てられ、そして『アカデミー』では冷酷な実験を受けた。


 もしかするとノックスの目には、わたしもグレゴリーと同じように映っているのかもしれない。自分を捨てる人間。……胸が引き裂かれるような痛みを感じた。


「一緒に行きたい」とノックスは泣きながら言う。


 それは出来ない。絶対にしてはいけない。これからの道のりで彼に余計な不幸を背負わせてしまうだろうから。それに、どこまで一緒に行くと言うのだろうか。ずっと一緒なら、魔王の城まで? それこそ彼は命まで奪われてしまう。わたし自身も、次にルイーザのような敵が現れたら彼を守って戦える自信がない。……どう考えても、ここで別れるのが正解だ。


 ときどき、自分でも理由の分からない行動をすることがある。あとから振り返って、首を(かし)げてしまうようなやつだ。多分、今もそれと同じような行為をしている。唯一(ゆいいつ)違うと言い切れるのは、絶対に後悔をしないということだ。


「今までよりもずっと不幸になるかもしれないし、痛い思いもたくさんするかもしれない。――それでもいいなら、一緒に行きましょう」


 ぎゅっと抱きしめた彼の(うなず)きを肩に感じて、ちょっぴり泣いた。苦しい道が待っていようとも、かまわない。彼を守り、わたしも目的を()たす。なんて難しいことだろう。けれど、選んだのだ。なら、精一杯やるだけ。


 ひとしきり泣くと、ノックスの手を握った。そして笑いかける。彼の口の(はし)が不器用に上がったのが見えて、胸がいっぱいになった。


「いよいよ出発ですか」


 ヨハンは壁に背をもたれたまま、珍しくさっぱりとした表情で言う。


「ええ。あなたともここでお別れね。……色々とありがとう」


「とんでもない。こちらこそ、ですよ」とヨハンは首を横に振る。「しかし、これで延長分の契約も終了ですねぇ。私もハルキゲニアでの仕事は終了。晴れて自由の身です。こうなると、案外暇なものですね……」


 そしてちらりとこちらを見つめる。


「今度、仕事の手を広げようと思うんですがね。いっそのこと、まったくの新天地を開拓(かいたく)するというのも悪くないかと」


「へえ。いいじゃない、新天地。どこで働くか考えてるの?」


「そうですねぇ……グレキランスなんていかがでしょう。ところで、お嬢さん。坊ちゃんと二人連れだとなにかと動きにくいこともあるんではないですか?」


 まったく。素直に言えばいいのに。


「そうね。誰か王都まで連れて行ってくれる厄介で油断ならない魔術師はいないかしら?」


 言って、手を差し出す。ヨハンはニヤニヤと手を取った。


「契約延長。王への謁見(えっけん)まで同行するということでいかがでしょう?」


「ええ。かまわないわ」


 笑顔を()わすわたしとヨハンに挟まれて、ノックスもニコリと笑った。




 しばらく道を歩くと、海峡(かいきょう)が見えた。そこに質素な船小屋と、優に十人は乗れる船が置いてある。船小屋の前で小ざっぱりとした初老の男が手を振っていた。


「お待ちしておりました。私は船番(けん)操縦者をいたします。ドレンテさんから話は聞いていますので」


「ありがとう。お世話になります」


 言って、ぺこりと頭を下げる。ノックスもそれに(なら)った。


「お連れさんはすでに乗船していますよ。すぐに出発しますか?」


 お連れさん?


 一体なんの話だろう。


「連れはここにいる二人だけ――」


 言いかけて、思考が止まった。船縁(ふなべり)に足をかけて、こちらを見下ろす影に気が付いたのだ。その女性は不敵(ふてき)な笑みを浮かべている。


「遅いわ、遅い! まったく、いつまで待たせるのさ」


 高圧的な声が響き渡る。


「アリス……どうしてあなたがここにいるの?」


 狂弾のアリス。彼女の姿がそこにあった。


「あたしもグレキランス方面に用事が出来たのさ」


 用事か。なるほど。叩きのめされてそれで降参するアリスではない。おそらく、ルイーザへの報復(ほうふく)を考えているのだろう。


「用事ね……分かったわ。じゃあ、少しの間だけ――」


「ええ。グレキランスまで(たの)しい旅にしましょうね? お嬢ちゃん」


 わたしと、ヨハンと、ノックス。そしてアリス。たったひとりでハルキゲニアを去るつもりだったのだが、(はか)らずも四人旅になってしまった。


 けれど。


 たゆたう波。潮の香り。遥か先で(かす)む岩山。空は海峡(かいきょう)を映したかのように、爽やかな青で染まっていた。


 こういうのも、悪くない。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。感情表現が薄い。


・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と(もく)される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」参照


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。


・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照


・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダーであり、アリスの父。詳しくは『107.「トラスという男」』にて


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)朝月夜(あさづくよ)」』にて


・『グレゴリー』→タソガレ盗賊団の元頭領。詳しくは『32.「崖際にて」』『45.「ふたつの派閥」』参照


・『狂弾のアリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて


・『関所(せきしょ)』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて


・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて


・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『王都』→グレキランスを()す。クロエの一旦の目的地。


・『グレキランス』→クロエの一旦の目的地。通称『王都』。


・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて


・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて

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