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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~④黎明~」
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193.「黎明の魔術都市」

 翌日、街に出た。まだ身体のぎこちなさはあったが、部屋に(こも)っている気にはなれなかったのだ。


 外の空気は温かで、頬を撫でる風は柔らかい。


 すれ違う人々の顔には、晴れやかさと(うれ)いが半々。束縛から解放されるのは嬉しくもあり、また、恐ろしいものだ。その不安定な気持ちを抱えながら歩んでいくほかない。


 崩壊した住宅は修繕(しゅうぜん)のための大工仕事がおこなわれていた。うららかな光が、肉体労働に(はげ)む男たちに降り(そそ)いでいる。


 ハルたちは昨日の晩、ハルキゲニアを()った。彼女らには彼女らの人生があり、苦難と責任がある。別れ際、豊かな決意に溢れた四人の顔を見て、なんだか安心してしまった。ハルとネロはダフニーの守護者に戻り、ミイナとジンはアカツキ盗賊団の維持発展のために尽力(じんりょく)する。それぞれの日常へと帰っていったのだ。


 街路で足を止め、空を見上げた。気前よく晴れ渡った青。


 わたしの日常が戻って来るのは、全てが終わったときだ。そう言い聞かせて、ふと妙な気分になった。そもそも、わたしには日常なんてあるのだろうか。もう騎士ではなく、無論、ニコルの花嫁でもない。王都に居場所があるとも思えないし、だからといって『最果て』を再訪するイメージも持てなかった。


 多分、日常は失われてしまった。だからすべてが終わったときには、いちから始めなければならないだろう。……なんだか、ちょっぴり切ない。


 歩き出して、またも足を止めた。ちょうどさしかかった噴水広場に変化が起きていたのだ。女王の像は取り払われ、今はただの噴水と化している。光彩(こうさい)魔術もない。それは寂しくもあり、また、気の引き締まる光景だった。甘い毒を取り除いて、痛みと努力を刻んで歩むのは決して楽ではない。(くじ)けそうにもなるだろう。けれどハルキゲニアには、ドレンテがいる。トラスがいる。革命を決意したレオネルの意志を継ぐ人々がいる。足を止めそうになったら、互いに肩を叩き合うだろう。


 同じ目的を共有した仲間。なんだか遠い響きだ。


 ここからはひとり旅になる。寂しいとかなんとか言っている余裕はない。けれどほんの少しだけ、彼らを羨ましく思った。


「おや、散歩ですか。良いですねぇ」


 広場のベンチに座っていると骸骨男に話しかけられた。ヨハンはわたしの隣に腰を下ろして、すっかり晴れた空を(あお)いで目を細める。


「引き(こも)ってるのも身体に毒だから。……それにしても平穏ね」


「ええ。あらゆる邪悪が取り払われたわけではないでしょうが、今はひと息ついていいでしょう」


 彼の言う通り、全ての問題が解決したわけではない。夜間防衛のこともそうだったし、ビクターが残した実験施設――『アカデミー』と『ラボ』だって解体する必要がある。そこにある()に触れて、誰かの心に悪意が(きざ)さぬように。


 加えて、ビクターの残した爪痕(つめあと)をすべて把握出来ているわけではないだろう。どこに悪意の種が残ってるか分からない。


「今は、ね。……もしかすると、ビクターの研究でまだ誰も知らない物が残ってるかも……」


 するとヨハンは(うつむ)いて手を組んだ。そして黙って考え込んでいる。


 ハルキゲニアは広く、ビクターの研究期間は長かった。都市のあらゆる箇所(かしょ)に悪意が仕掛けられていてもおかしくない。たとえば防御壁はその代表だ。いずれ撤去されるかもしれないが、今のところは夜間防衛に()かさなければならないだろう。もし壁自体に破滅的な細工(さいく)がされていたら――。


「大丈夫です。私の知る限りは」とヨハンは呟いた。きっぱりとした言葉である。


「あなたのことだから、ちゃんと根拠はあるんでしょうね。教えてくれないでしょうけど」


「……秘密を持つのは大事な(いとな)みですよ。まあ、ご安心を。奴の発明した魔霧装置(ゴースト・フォッグ)はことごとく破壊しましたし、縮小吸入瓶(プラナ・ボトル)は回収済みです。そして彼自身もこの世から消えました」


 ふうん、と素っ気なく返す。本当にそれだけなら良いのだが。ビクターの姿を思い出すだけで、不安に胸をかき乱された。度を超えた脅威は、いつまでも影を落とすものだ。


 ここからはハルキゲニアの住民でなんとかしなければならない段階に入っている。魔物の討伐手段も、ビクターの遺物(いぶつ)の破壊も、都市の再興も、すべてが彼らに(ゆだ)ねられている。それはつまり、本来の流れに戻ったということだ。巨大な時計のようにひとつひとつの歯車が駆動(くどう)し、未来へと進んでいく。


 太陽に手をかざし、陽射しを(さえぎ)った。少し、(まぶ)しい。


「こうしてベンチに腰かけていると、お嬢さんにはじめて会ったときのことを思い出します」とヨハンはニヤニヤしながら言った。


 つい、ため息が漏れる。「あのときは嫌な奴に目をつけられたと思ったわよ。ダフニーで王都への道をたずねただけなのに、気持ちの悪い返事が返ってきたから……」


心外(しんがい)ですねぇ」


「なにが『心外』よ。あのときは悪巧(わるだく)みしてたじゃない。現にハルとネロを襲ったわけだし」


「仕事ですから。私にとってはギブ・アンド・テイクがすべてです。契約上の事柄(ことがら)には逆らえませんからね」


「都合の良いことばかり言って……」


「そう。世界は都合良く出来ているのです」


 まったく、間抜けな問答(もんどう)だ。そういえば、契約と言われて思い出したことがある。


「あなたはレジスタンスに雇われたの?」


 聞くと、彼は呆気(あっけ)なく「ええ」と答えた。


 どこまでも仕事人間だ。しかし、彼をここまで動かすには並大抵の報酬では不可能だろう。レジスタンスから一体なにを受け取るつもりなのだろう。


「なんとなーく不安だから聞くんだけど――報酬は?」


「世界の半分ですね」


 なにを馬鹿なことを言っているんだ、こいつ。「なに滅茶苦茶なことを言ってるの。どうせはぐらかすならマシなことを言いなさいよ」


 するとヨハンは肩を(すく)めた。


「すぐに見破られる嘘のほうが、こういう場合には(かえ)って気分が良いものですよ。しかし、世界の半分が私のものならやりたい放題なんですがねぇ」


 呟いて、彼はニヤニヤ笑いを浮かべた。どうせ(ろく)でもないことばかりを考えているのだろう。「世界の半分もあなたの手に落ちたら大変なことになるわね。住民全員が不健康で油断のならない奴になっちゃうかも」


失敬(しっけい)な」


 こうして笑いを()わすのも、今日で終わりだ。まだ誰にも話していなかったが、明日の早朝には出発するつもりなのである。たったひとりで『鏡の森』と『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』を突破し、王都へと進む。そして万事(ばんじ)上手くいけば、王への謁見(えっけん)も叶うだろう。王都の真偽師(トラスター)にわたしの言葉が真実であると見抜いてもらえれば、国王としても無視出来ないはずだ。信じて送り出し、そして見事に目的を()げたと思われていた勇者が魔王と手を組んでいるなんて、国を揺るがす事実である。


 王はすぐに騎士団を動かすだろうか。そうなれば、わたしも単独行動ではなくなる。ひとりぼっちの旅は、王都までで終わりだ。


 そういえば――ここまで、たったひとりだったことは一度もない。必ずヨハンがいた。まったく、奇縁(きえん)だ。けれど……本当にありがたい。


「ねえ」


「なんですか?」


「ここまでありがとう」


(がら)にもないこと言わないでくださいよ」


「いいの。ありがとう」


「困りますね……なにか頼みたいことでもあるんですか?」


 少し(うつむ)いて、何度かまばたきした。


「ひとつだけお願いしてもいいかしら?」


「物事によります」


 物事による、か。ヨハン以外の人間に頼んでも良かったが、なんとなく、彼に頼みたかった。


「ノックスに伝えて欲しいことがあるの。『苦しい思いをさせてごめんなさい。けど、これからはハルキゲニアで安全に暮らせるはずだから、元気に暮らして』……って」


 ヨハンは(あき)れたように首を横に振り、それからこちらを覗き込んだ。例の、気味の悪い目付きで。「まさか、坊ちゃんに別れも言わずに出発するつもりですか?」


 小さく頷く。すると彼は盛大にため息を吐き出した。


「呆れる気持ちも分かるけど、多分、会ったら泣いちゃいそうだから」


「まったく、毅然(きぜん)としたクロエお嬢さんはどこへやら……」とヨハンは顔を押さえた。「ノックス坊ちゃんの気持ちはどうなるんです?」


 そう返されると困る。けれど、もう心は決まっていた。


「ごめんなさい。……けど、ノックスにはハルキゲニアでの生活が待っているわ。ドレンテさんから聞いたんだけど、『アカデミー』がちゃんと機能するらしいじゃない。なら、ノックスはそこで自分の望む通りに生きるべきよ。……ケロくんが魔術を教えるってことが不安だけどね」


 ヨハンは苦笑いで「まったくです」と返した。


「失敬ケロ」


 背後から声が聴こえ、びっくりして振り向くとケロくんがいた。いつからそこにいたのかは分からない。彼はぶつぶつと文句を言いながら、わたしの隣に腰かけた。


 骸骨男とカエル男に挟まれる元騎士。ううむ。どうかしている。


「ケロくん、『アカデミー』の先生になるのよね?」


「そうケロ。なにが不安なんだケロ」


 ケロくんはむっつりと腕を組む。不機嫌なカエル。なんとも(なご)やかなものである。


「ほら、ケロくんって洗脳魔術のイメージしかないから」


 ヨハンもニヤニヤと同調する。「反響する小部屋(エコーチェンバー)でカエルの大合唱でもやりますか?」


 ケロくんはかぶり(・・・)を振って(あき)れたように言う。「僕が洗脳しか出来ないと思ったら大間違いケロ。これでもひと通りの魔術は使えるケロ。基礎を教えることだって造作(ぞうさ)ないケロ」


 そして手のひらを前方にかざす。すると、拳大(こぶしだい)の魔球が現れた。


「へー。ちゃんとしてるのね。さすがケロくん」


「棒読みケロ、クロエ。僕だっていっぱしの魔術師なんだから、少しは認めてくれてもいいケロ」


 魔球を消し、誇らしげに胸を張るケロくんがなんとも面白い。「分かった分かった。認めるわ。けど、わたしにやったようなことは絶対にしないでよね」


「分かってるケロ。あれはアリスの敵だと思ったからやっただけケロ」


 確かにわたしはアリスにとっての敵に見えたかもしれないが、いくらなんでも過剰(かじょう)防衛ではないだろうか。まあ、今さら指摘してもしょうがないけど。


「ところで、アリスのことはもういいの?」


 聞くと、ケロくんはぴくりと身体を震わせた。そしてなぜかヨハンを睨む。


「カエルくんはアリスさんに充分恩を返したので、これからは自由になるそうですよ」とヨハンが代わりに答えた。


「ふうん。ケロくん失恋したんだ?」


 なんとなく思ったことをそのまま口走ると、ケロくんは辺りをきょろきょろと見回し「な、なにを言ってるケロ! クロエは適当なことばかり言うケロ! どうしてアリスに恋してることになってるケロ! 訂正(ていせい)するケロ! 訂正を強く求めるケロ!」と明らかに動揺した。


 その様子があんまり分かりやすかったので、思わずお(なか)を抱えて笑ってしまった。


 するとケロくんはぺしぺしと肩をはたく。「酷いケロ! 笑うなケロ!」




 それからしばらく三人で他愛もない無駄話をしてから、いくつかの買い物を済ませ、帰路についた。こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。


 結局ノックスのことがうやむやになってしまったことを思い出したのは、部屋に戻ってからである。これ以上出発を延ばすわけにはいかない。ニコルの目論見(もくろみ)を一日でも早く打ち破らねば、という現実的な問題だけではない。


 多分、これ以上ここにいると、離れたくなくなってしまう。


 荷物を簡単にまとめ、明日の早朝の出発を心に決めた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師(ネクロマンサー)。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて


・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。弓の名手。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて


・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。


・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダーであり、アリスの父。詳しくは『107.「トラスという男」』にて


・『トラス』→レジスタンスのメンバー。髭面で筋肉質。豪快な性格。詳しくは『107.「トラスという男」』にて


・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。防御魔術の使い手。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)朝月夜(あさづくよ)」』にて


・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。感情表現が薄い。


・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照


・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にある。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて


・『ダフニー』→クロエが転移させられた町。ネロとハルの住居がある。詳しくは『11.「夕暮れの骸骨」』にて


・『王都』→グレキランスを()す。クロエの一旦の目的地。


・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて


・『ラボ』→ビクターの研究施設。内部の様子に関しては『158.「待ち人、来たる」』参照


・『魔霧装置(ゴースト・フォッグ)』→魔力を分解し空気中に噴射させる装置。この霧のなかでは、魔物も日中の活動が出来る。また、グールの血を射ち込まれた子供を魔物にするためのトリガーとしても使用される。ビクターの発明した魔道具。詳しくは『146.「魔霧装置」』にて


・『縮小吸入瓶(プラナ・ボトル)』→付近にあるものを縮小させ、吸入してしまう小瓶。ビクターの発明した魔道具。彼は魔物を詰め込んで使っている。詳しくは『147.「博士のテスト・サイト」』にて


・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』


・『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』


・『真偽師(トラスター)』→魔術を(もち)いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を(にな)う重要な役職。王への謁見(えっけん)前には必ず真偽師(トラスター)から真偽の判定をもらわねばならない。初出は『6.「魔術師(仮)」』


・『反響する小部屋(エコーチェンバー)』→ケロくんの使う洗脳魔術。詳しくは『65.「反響する小部屋」』にて

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