19.「骸骨男ヨハン」
馬車は土煙をあげて進んでいた。周囲の緑は段々と消え、今や荒涼とした荒野となっていた。岩場から覗くささやかな草花も褪せた色をしていた。馬の蹄鉄のリズムと、車輪の甲高い軋み。色合いの不均一な赤土の道は、遥か遠くの岩山まで続いているように思えた。
バンダナを巻いた若い馭者はいかにもならず者風で、わたしの隣には不健康一色の気味悪い骸骨男。華々しさとは縁遠い旅路だ。もとより多くは望んでいなかったが、こうも野卑な道中を味わっていると、さすがにうんざりしてくる。
わたしはなるべく隣の男から離れ、視線を遠くの山並みに向けていた。天蓋なしの馬車、降りかかる砂粒、いかにも品のない男たち、色気のない景色。百回以上ため息をついても一向に気分が晴れない。隣の悪魔が幸福な成分を軒並み灰色に塗り潰していくように感じる。
ダフニーの北に位置する死霊術師の丘を越えてから、すでに二時間ほど経ったろうか。真上にぎらぎらと浮かんでいた太陽は、今や西側にいくらか傾いていた。
北の丘をくだり、木々に囲まれた小道に入ると馬車が待っていたのだ。骸骨男はろくに説明もしなかったが、それが彼の雇われた組織が用意したものであることは明らかだった。馭者を見るに、野蛮で無神経な組織であることもすぐに分かった。色褪せたダブダブのズボンは膝がすり切れており、黒地の丸首シャツの胸元には安っぽい首飾りが下がっていた。頭に巻いたバンダナの下には軽薄そうな顔。信頼できる要素はひとかけらもなかった。
「ヨハンさん、今しばらくかかるんで眠っていてくだせえ」
馭者は振り向かず骸骨に呼びかけた。ヨハン。随分と似合わない名前だ。
「ああ、うん、そうしましょうかねぇ。ひと仕事すると眠たくてしょうがない……いやはや、よくない癖ですなぁ」
男のため息が隣で聞こえた。
悪態のひとつでも言いたくなってしまう。
「良い名前ね、ヨハンさん。どうせ偽名でしょうけど」
「手酷いですなぁ、お嬢さん。いえ、クロエさんでしたっけ? クロエお嬢様? クロエお姫様? クロエ女王様かねぇ」
ぶつぶつやり返す男を無視して変わりばえのない景色をぼんやり眺めた。
向かって左手のずっと先には街道が続いている。そこをゆっくりと進む大型の馬車が見えた。
「ユートピア行きの馬車ですねぇ。いやはや、羨ましい」
「ユートピア?」
思わず聞き返してしまった自分を恥じた。この男になにかを聞いてもろくでもないことばかりをべらべらと喋るだけだ。
「ええ、ユートピアです。貧しい人々を選別して、定期的にハルキゲニアへ招待しているらしいですよ。そこで贅沢な生活を味わえるんだとか……いやはや、豊かな都市の領主はエレガントなことを考えるものですなぁ。まあ、道楽みたいなものでしょうけれど」
ハルキゲニア。男が見せた地図にあった街だ。この地方では最も大きく、魔術の盛んな場所らしい。
馬車に乗る前、男は「サービス」と称して地図を一枚渡してきた。信用するだけ危険だとは思ったが、魔力のかけらすら見えないただの紙切れだったので結局は受け取ることにしたのだ。
『最果て』とニコルが呼んだこの地方は、王都の南に位置する。魔王の城とは真逆の位置だ。
ここからグレキランスまでは多くの障害があるように思える。直線距離ならばさほど遠くはないのだが、岩山に遮られているために大きく迂回しなければならない。西の街道沿いに『関所』を越え、海峡にかけられた橋を渡り、街道を直進したのち、東北に進路を変え、また直進。さらに橋を渡ってやっと岩山の裏に位置するハルキゲニアに入る。そこから北に進むと東西に延びた海峡に行き当たるのだが、こちらは橋がかけられていない。
骸骨男――ヨハンが言うには「誰も渡らない橋をかけていても無意味でしょう?」らしい。王都からこちらの地方に流れてくる人間も、その逆も聞いたことがないと言う。わたしは随分困難な道を歩もうとしているのかもしれない。
仮に海峡を越えたとしても広大な森が広がり、そこからは再び山脈に遮られている。道など存在しないと言っていいだろう。地図は、見れば見るほどわたしに挫折を囁いているようだった。そもそも詐欺師のような奴が渡したものを頭から信用するのは愚かだ。きっとハルキゲニアまで行けば、正確で信用に足る地図が得られるに違いない。王都とは隔てられた地方都市といえども、規模はそのまま信用度に繋がる。
不快な音が聴こえて、わたしは思わず顔をしかめてしまった。いけないいけない。眉間に皺が寄る。
いつの間にか男はいびきを立てて眠っていた。長身を器用にちぢこめて眠る様はなんとも奇妙だった。
ちらりと鞄が目に入る。ヨハンが眠りについても鞄から漏れる魔力は消えていなかった。もしや、魔具かなにかがあるのかもしれない。
そっと鞄に伸ばした腕は見事に捕まえられた。
「案外手癖が悪いご様子ですねぇ、クロエお嬢さん」
思いっきり腕を引っ込めて、男に掴まれた部分をさすった。なにか魔力の滓でもついてやしないかと心配になる。なにより、男の冷たい手の触感がじわりじわりと沁み込んでいくような気がして不快だった。
「そう嫌わなくても良さそうなものですがねぇ……。まあ、恨む気持ちも分からなくはないですよ。しかし、ちょびっとでも私の立場を考えてほしいものです」
「嫌よ」
「かあぁ……。頑固者ですね、こりゃあ」
やがて馬車は速度をゆるめた。前方には小規模な村が見える。石造りの真四角な家屋がぽつぽつと建っていた。岩山の麓の村……というよりはアウトローのアジトにしか見えない。
馬車は町の中心部まで進んでいく。家屋にはいくつか真四角の穴が空けられており、それは窓と呼ぶよりはまさに穴でしかなかった。そこから目が覗き込んでいる。おそらくは、わたしたちを見ているのだろう。
どの家屋からも視線が流れていた。薄気味の悪い、濁った好奇心に満ちた瞳ばかりだ。
馬車は突然停止した。
「さあ、着きましたよ。降りてくだせえ」
地面は思いのほか硬かった。岩山付近だからだろうか。
辺りには奇妙な沈黙が流れていた。静かではあるのだが、ときおり衣擦れや金属音が小さく鳴っている。息を殺した静けさ。
この連中相手に上手く立ち回れるだろうか。しかしながら、『関所』を通過するためにはなんとしてでも取り入る必要があるだろう。元騎士とはいえ、武器ひとつ持たない身で大勢を敵に回して生き延びることが出来るなんて考えづらい。
砂混じりの風が吹いている。空はすっかり夕暮れに染まっていた。
夜の世界も昼の世界も敵だらけだ、と内心で呟いた。
【改稿】
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。




