191.「本当の未来のために」
それからは怒涛のような訪問だった。顔に馴染みのないレジスタンスのメンバーが代わる代わるやってきては礼をされた。あくまでも自分の利害のために協力した、と何度言っても彼らの感謝はとどまらないようである。憎まれるよりはずっとありがたいが、これはこれで気疲れしてしまう。
王都では住民を守ったとしてもそれは当然の責務であり、これほどの感謝の雨に打たれたことはなかった。感慨深いものである。
特に、トラスとドレンテは対照的だった――。
「クロエ!!!」
頭を揺らすような大声が響き渡り、まどろみかけの脳がびくりと覚醒した。
「トラス……ノックぐらいしなさいよ」
「あ、いや、すまん!! 嬉しくってついつい……そんなことより、いやあ、良かった! 死んじまったらどうしようかと思ったぜ! ま、そんな心配少しもしなかったけどな!!」
豪快な笑いとともに矛盾した言葉を口にするトラスは、見ていて気分が良かった。
彼はやっぱり、生きてたか。簡単に命を落とす男ではないと思っていたが、それでも不安だったのである。
「お互い、生きてまた会えたわね。……良かった」
トラスは「ああ、本当に」と清々しい表情で返し、わたしを見つめた。まじまじと見るものだから、ちょっと困る。
「どうかした?」
「いや、なに、クロエは無茶しすぎだぜ。強いからって、ぶっ倒れるまで戦うなんてよ」
彼にしては珍しくマトモなことを言っている。ただ、説得力は皆無だった。トラスの顔にも腕にも、痛々しい生傷が無数に残っていたからだ。
「お互い様よ。懸命に戦ったのね、あなたも」
「おうよ!」と彼は腕まくりをして、なぜか傷を誇る。どこまでも直線的な人だ。
それから彼とは二、三の他愛ない話をした。互いの戦闘を語ったり、あるいは、食事の話などだ。
去りぎわに彼は「そうだ!!」と思い出したように叫び、なぜか飴玉を置いていった。前回もそうだったが、なにかと贈る男である。ありがたい。
トラスが出ていってからしばらくすると、次に現れたのはドレンテだった。規則的なノックののち、重々しい様子で部屋に入ってきたのである。
「お加減はいかがですか?」
「おかげさまでだいぶ良くなりました」
ぺこり、と頭を下げて見せるとドレンテは弱々しく微笑んだ。そして不揃いな靴音と杖を鳴らして、ベッド脇の椅子に腰かける。
しばしの沈黙ののち、彼は口を開いた。
「無理をさせて申し訳ありません。レジスタンスは目的をひとつにしていますが、君は決してそうではない。巻き込んだかたちになったことと、そして……酷く傷付けてしまったことをお詫びします」
そう言って懐をごそごそとやり始めたので慌てて止めた。「自分の意志で動いただけです。わたしにだって戦う理由は充分にありましたから、ドレンテさんはなんの責任もありませんよ。それに、これから大変なのはあなたのほうでしょう?」
「そうであっても、お礼はさせてください」
そして取り出したのは明らかに重みのある袋である。それをテーブルに置いた際にはじゃらじゃらと硬質な音がした。
「お金は受け取りません」
「……」
「……」
沈黙の押し問答が続き、ドレンテは目を伏せた。「品のない真似をしてすみません。私に出来ることがあったらいつでも言ってください。もちろん、これきりにするつもりもありませんから」
彼も案外、不器用な人間なのだろう。感謝を表現する引出しが少ないと見える。
「ではいくつかお願いを。……当然のこととお考えでしょうが、今後、ハルキゲニアを正常に繁栄させてください。二度とこんなことが繰り返されないように……。それと、一度引き取られた子供たちはハルキゲニアでちゃんと育ててくれますか?」
ドレンテは真っ直ぐこちらを見つめて頷いた。儚い頷きだったが、瞳に宿った情熱の光で、彼の決意のほどが分かる。
「誓いましょう。私は都市の長として、住民を正しく導いていきます。無論、議会を通して寛容に治めるつもりです。子供たちのことも心配ご無用。彼らをハルキゲニアの未来にしなければなりません」
未来、という言葉でビクターの顔が一瞬蘇った。けれどひと口に『未来』といっても、ドレンテのそれとビクターそれとでは大きく違う。破滅を承知で進むのと、破滅を避けながら悩み苦しみ試行錯誤を繰り返して進むのはまったく別だ。そしてわたしは、後者のほうが圧倒的に正しいと信じている。
「そう言っていただけて安心しました。……ところで、今後この街の警備はどうしていくつもりですか?」
実は、それが一番の関心事でもあった。女王たちから平和を取り戻したことは、すなわち、防御壁の効力が消えるということだ。過酷な夜が待っているだろう。生半可なやり方ではこの巨大な都市を守り切れるとは思えない。女王に滅ぼされなくとも、魔物に壊滅させられれば結末は同じだ。ドレンテが『未来』と表現した子供たちの命だって脅かされてしまう。
「今後は、今ある防御壁を単なる壁として使いながら自警に努めます。そして以前の姿に戻せれば一番でしょうね」
「以前の姿?」
ドレンテは小さく頷いて、力ない微笑を浮かべた。「四方を四人の魔術師が守護していた時代に、です。今のところそのための魔術師はひとりきりですが、増やせるように動きます」
東西南北の守護者。それほどの実力を持つ魔術師を獲得するのは容易ではないだろう。人員が揃うまではレオネルひとりで都市の防衛に努めるということか。茨の道だが、あの老魔術師ならきっとやって見せるに違いない。防衛にかけては卓越した能力を持っているのだから。
「……実を言うと、私は本来の意味での『アカデミー』を作ろうと思うのです。そのためのノウハウは無きに等しいですが、協力者である魔術師が講師を申し出てくれています」
胸の奥に、形容しがたい切なさが広がった。それは決して肉体的なものではなく、ビクターの引き起こした数々の悲劇からくる痛みだ。
けれど切なさの中心に、ほんの少しの温かさがあった。ドレンテは子供たちを本来の謳い文句通りに育てるつもりなのだろう。簡単なことではない。しかし、それもレオネルならばやってのけるに違いない。彼の人格と魔術に関する知識を鑑みれば、充分に安心出来た。
かつて存在した魔術都市ハルキゲニア。そして子供たちの思い描いた魔術師養成機関『アカデミー』。その両方が今後の方針ということだろう。
「きっとレオネルさんなら上手くやってくれます。実力のある魔術師ですから」
同意してくれると思ったのだが、どうしてかドレンテは俯いて沈黙した。
時計の秒針が規則的に鳴る。どこかの部屋で話し声がする。街路を吹く風の唸りがする。
「……ドレンテさん?」
ぞわり、と不安が胸中に広がって、思わず返事を促した。
顔を上げた彼の目には、涙がにじんでいた。その口が、ゆっくり、重々しく開かれる。
「……革命を遂げたあの日、多くの血が流れました。女王の騎士団も、レジスタンスも、そして住民も。命を落とした者も、いまだに発見されていない人間も多い。……レオネルは、行方不明者のひとりです」
女王の城で見た光景を思い出す。グレイベルらしき相手となにやら言葉を交わしていたレオネル。そして、彼らが対峙していた広間は壊滅的な状態になっていた。
ドレンテは首を横に振って言葉を続けた。
「いえ、正直に申し上げましょう。……女王の城でレオネルはグレイベルと戦い、そして散ったのだそうです。……目撃した子供の証言を話しましょう」
それからドレンテは、老魔術師の顛末を語った。グレイベルの仕掛けた人間爆弾と、レオネルの奇妙な魔術。そして彼の最期。
「亡骸こそ見つかりませんでしたが、子供たちが嘘を語っているとは思いません。しかし私は……今もレオネルがどこかで生きているのでは、と期待せずにはいられないのです。革命と平和を誰より強く望んだ男が、未来を見ずして死んでいいはずがない……。それに、彼は魔術師です。きっと私たちを驚かせるような、そんな――」
最後は言葉にならなかった。ドレンテは顔を覆って沈黙し、肩を震わせている。レオネルが、身を隠して人々を驚かせるような人間じゃないと知っていてなお、それを口にするのは彼の優しさだろうか。それとも強がりなのか。苦難の多い道のりへの不安からなのか。あるいは自分自身へ言い聞かせようとしているのか。
いずれにせよ、ドレンテの儚い願いは決して否定すべきことではない。たとえ空っぽの箱だとしても、中に希望が詰まっていると思い込むほうが良い場合もある。それが明日への原動力となるならなおさらだ。
彼が顔を上げるのを待って、疑問を口にした。
「レオネルさんじゃないとしたら、協力者の魔術師というのは誰なんですか?」
「ケインくんです。実際に魔術を目にしたことはありませんが、優秀な魔術師だとヨハンから聞いています。彼のお墨付きなら心配ありません」
意外だった。てっきりケロくんはアリスにべったりだと思っていたから。するとアリスも、ハルキゲニアに定住するのだろうか。
「それは彼自身の意志なのですか? それともアリス……さんの?」
ドレンテは眉間に皺を寄せて首を横に振る。「ケインくんの考えです。アリスは介入していません」
ケロくんも思うところがあるのだろうか。ハルキゲニアとは無関係に見えて、案外そうでもないのかもしれない。
しかし、ヨハンが太鼓判を押したというのも妙な話だ。ケロくんの魔術は反響する小部屋と変装魔術くらいしか目にしていないはず。それとも、都市防衛に役立つ魔術を会得しているのだろうか。
それともなにか裏が……と思ったがすぐに否定した。ケロくんに関しては、策謀を張りめぐらして都市を転覆させるような人間ではない。その点は心配しなくていいだろう。わたしに洗脳魔術をかけたのも、アリスを想ってのことだったらしいし……。
「それにしても、彼が『アカデミー』の講師ですか。子供たち全員カエル頭になったら大変ですね」
「ええ。そのときは私たちもケロケロ言わなければならないかもしれません」
わたしとドレンテは笑顔を交わした。せっかく平和を手にしたんだ。不安ばかりを胸に抱いても仕方がない。ケロくんが適格か不適格かは今後次第なのだ。それに、今はカエルの手も借りたい状況だろう。
「ところで、アリスさんは?」
あっさりとした口調でたずねたが、内心では気を遣っていた。今回の件で彼女が負った傷は大きい。肉体的にも、精神的にもだ。それについて父であるドレンテがどう感じているのかは明白である。彼は彼女に対してはつっけんどんな態度に出るが、それは優しさと心配の裏返しにほかならない。
「少し前まで隣の部屋で休んでいました。今はどこにいるか分かりませんが……。まったく、無茶ばかりで困ります」
ドレンテはため息をついてから、長く目をつむった。
「止めるに止められなくて、ご心配をおかけしました」
「いや、いいのです。あれは人の話を聞きませんから。それに、原因は私にあります。アリスには却って苦労ばかりかけてしまった」
ああ、なるほど。本人がいないところでは案外素直に心を打ち明けるのか、この人は。その分、直接会ったときには空回ってしまう。どうりで不仲に見えるわけだ。アリスもアリスで、内心では父親であるドレンテを想っていることは確かなのだから。
親子ってこんなものなのかな。だとしたらちょっぴり面倒くさくて、でも、温かい。
「アリスさんもきっと、ハルキゲニアがひと段落して落ち着いてると思いますよ」
ところがドレンテは、首を振って否定した。
「そうならいいのですが、落ち着いた様子はなかったですね。……あの子はハルキゲニアを離れると言って出て行きましたよ。止めても無駄でした。一度決め込んだら聞きませんからね……。魔術師になるためにレオネルに弟子入りしたときとなにも変わりません。頑固で、一直線で、努力家だから困ります。……母親に良く似ている」
不器用なところはドレンテに似ているかも、と言おうとしてさすがに慎んだ。
アリスが今の実力を手に入れるためには、確かに相当の努力が必要だったはず。戦闘狂の一面だけはいただけないが……。
それにしても、だ。「アリスさんはレオネルさんの弟子なんですか?」
「昔の話ですよ」と切り、ドレンテは立ち上がった。「必要な物があれば邸の者に言いつけてください。可能な限り用意しますよ」
「なら……ひとつ、お願いしてもいいでしょうか?」
「海峡を渡る船ならいつでも出せます。……それ以外のことでしょうか?」
わたしは首を横に振った。すでにお見通しというわけか。
「君には君の目的がある……。あまりハルキゲニアにとどめておくべきではないのでしょうね。無論、私たちとしては何日いてもらってもかまいませんが」
深々とお辞儀を返した。「お心遣いありがとうございます。けど、わたしは大事な用事があるので回復したらすぐにでも出発します」
ドレンテは柔らかく微笑んで辞去した。
そう。わたしには目的がある。ハルキゲニアはそのための通過地点だ。
魔王に寝返った元勇者ニコルを王都で告発し、最終的には彼を討たなければならない。その前には言うまでもなく困難な試練が待ちかまえていた。
ルイーザやシフォンといった、ニコルとともに旅をした猛者。そして、魔王の縁者である『黒の血族』。
あまりに大きな壁が立ちはだかっている。けれども怯んでいる時間もなければ諦めるつもりもない。一歩ずつ確実に、そして可能な限りの速度で進むだけだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『トラス』→レジスタンスのメンバー。髭面で筋肉質。豪快な性格をしている。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダーであり、アリスの父。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。防御魔術の使い手。故人。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』『Side Leonel.「復讐にうってつけの日」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『グレイベル』→ハルキゲニアの防衛を担っていた魔術師。女王の軍門に下った。レオネルの弟子。詳しくは『111.「要注意人物」』『Side Leonel.「復讐にうってつけの日」』にて
・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『反響する小部屋』→ケロくんの使う洗脳魔術。詳しくは『65.「反響する小部屋」』にて
・『変装魔術』→姿かたちを一時的に変える魔術。主にケロくんが使用。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『王都』→グレキランスを指す。クロエの一旦の目的地。
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」参照
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて




