189.「ぷつん」
ルイーザに関して分かったことがひとつある。おそろしく直情的という一点だ。アリスに対して使用した魔紋――岩の弾丸はすぐに命を奪うものではない。彼女の持ちうる攻撃手段のなかでは低位に属するだろう。その攻撃を回避したわたしに対しては、明らかに生命を脅かす大岩を放ってきた。それも、退路を断って。
わたしのことを脅威だと感じているとは思えない。自分の攻撃を避けられたことに対する不快感から、一気に攻撃のレベルを上げたのだ。それも、対処困難なまでに。
迫りくる大岩がスローに見えた。悪い兆候ではない。過集中に入っている証拠だ。
すでにやるべきことは決まっていた。あとは決してやり損わぬよう、全力を尽くすだけ――。
白んだ空を目にしたとき、思わず気がゆるみそうになった。ルイーザを睨むと、彼女はいかにも不愉快そうに顔をしかめている。それもそうだろう。叩きのめす算段で放った、とっておきの攻撃だったに違いないのだから。
左右と頭上には大岩、下は地面、そして前方から迫る新たな大岩。絶体絶命の状況だった――わたしが丸腰だったなら。わたしは即座に大岩を斬り、横穴を空け、窮地を脱したのである。
わたしの抵抗を予測していたならルイーザも対処法があったのだろうが、彼女は自らの攻撃によってこちらの姿を見失っていた。だからこそ、高速の斬撃による突破を防げなかったのである。
致命的な攻撃は回避した。今度はこちらの番だ。
身を低くして、ルイーザへと駆ける。集中力は切れていなかったが、そろそろ肉体が限界だろう。『帽子屋』、メアリー、そしてルイーザ。明らかに過剰な力を使っている。
夜明けの風が頬を撫でた。この戦闘を最後に、ハルキゲニアの夜が明けるだろう。ルイーザさえ撃退すれば、すべての敵を討ち倒したことになる。
ビクターはヨハンに任せているので心配いらない――はずだ。ここ最近、彼を信頼しすぎているところがあったが、この段階で疑うべきだなんて思えない。すべてはギブ・アンド・テイクなのだ、彼にとっては。レジスタンスからどのような取引が持ちかけられたのか、彼が得られる利益がなんなのかは分からない。けれど、今は信頼するしかない。ルイーザのあとに敵が待ち受けているなんて悪い冗談だ。
「ちょこまかと……ウザいのよ!」
ルイーザの叫びとともに、空中に魔紋が現れた。それも、無数としか表現しようのない数。それだけの魔紋が一瞬で展開されるのは、ある意味厳粛な気分になった。今、トップクラスの魔術師と相対している。そして彼女は、わたしが越えなければならない敵のひとりなのだ。
倒れそうになる身体に言い聞かせる。これはニコルに至る必要な道だ。力を抜いていいときじゃない。全力で彼女を倒し、そして――ニコルの目論見をすべて打ち砕くんだ。
大岩が一斉に伸びる。回避されることを懸念してか、わたしの半径二メートルに集中的に降り注いだ。
集中力を限界まで繋ぐ。
襲いくる大岩を高速で斬りつけた。切断された細かい岩が身体を裂いていく。歯を食いしばり、サーベルを振り続けた。この調子なら、ルイーザの大岩はすべてさばき切れるかもしれない。そして攻撃が止まった段階で彼女に接近して――。
ぷつん。
頭の中で妙な音が聴こえた。
あれ?
変だ。イメージのなかではサーベルを振り続けているのに、腕が上がらない。指から柄が抜け落ちる。視界がガクリと下がり、膝から崩れ落ちる。
あれ? なんで?
視界にノイズが走り、空と地面が交互に映る。なんだか酔っ払っているみたいな感覚だった。しかし不思議と痛みはない。
いや、それどころか感覚が消えつつあった。
遠くのほうで音が聴こえる。愉しげな高笑い。ああ。ルイーザが笑っている。
彼女の靴が目の前に現れた。黒くてつるつるした靴。あ、靴下にピンクのリボンがくっついてる。さりげないお洒落をするタイプか。くそう。可愛い。
思考が千々に乱れるなか、ルイーザの声が届いた。何枚ものガラスに阻まれたように、かすかな声だった。
「あんた、名前は?」
今、声を出せるだろうか。分からない。けれど、答えないわけにはいかなかった。
「……エ。……クロ……エ」
騎士団ナンバー4云々は口にする余裕がなかった。
高笑いが響き渡る。それは長く、永遠に続くように思われた。
「クロエ? ああ、クロエね。馬っっっっ鹿じゃないの? あんたがニコルに勝てるわけないじゃない! チョー頭悪い……。けど、いいわ。あなたはニコルのお気に入りだから、見逃してあげる。魔銃ももういらない。あんなもの、ゴミと同じだもん」
悔しさが心に波紋を広げた。くそう。どうしてわたしの身体は動かないんだ。こんなんじゃ、きっとニコルに追いつけっこない。
そう思いながらも、肉体が言うことを聞いてくれない理由は分かっていた。それはルイーザの魔術でもなんでもない。単に限界を超えて戦ったせいだ。きっとヨハンは呆れるだろう。馬鹿にするだろう。くそう。
こうなることははじめから分かっていたような気もする。もうとっくに肉体の限界を突破していたのだ。『帽子屋』に勝利して以降、メアリーに蹂躙され、今もルイーザに傷ひとつつけられず地に伏している。
薄れゆく視界のなかで、ルイーザの足が宙に浮いた。箒に乗ったのだろう、きっと。
「それじゃ、あたしはママと一緒に帰るから。さよなら、三流ちゃん。もう二度と格上には盾つかないようにするといいわ。でなきゃ、あっという間に人生が終わっちゃうからね」
クスクス笑いが遠のく。彼女が物理的に離れていくのか、それともわたしの意識が遠くなっているのか、それすら判断がつかない。
頭のなかにニコルの姿が浮かぶ。彼は落胆のため息をつき、そして、魔王と手を取り合って去っていく。
ふと、思った。ニコルはわたしになにを期待しているのだろう。過酷な旅による心変わり? それとも、自分に刃を向ける猛者?
自問しても、答えが出せるような状況ではなかった。思考がまとまらない。唯一はっきりしているのは、ルイーザがわたしを見逃した理由が、ニコルとの関連性にあるという一点である。
ニコルのお気に入り。そう彼女は表現した。それが皮肉じゃないなら、彼は今さらわたしのなにを気に入っているというのだろうか。人を騙して追いつめて、身体も心もボロボロにした挙句、『最果て』に放り出すだなんて――人を馬鹿にしている。
人間は、人生は、あなたたちの玩具なんかじゃない。
「クロエ!」と叫ぶ声が薄く聴こえた。それはミイナのようにも、ハルのようにも、あるいはスパルナのようにも聴こえる。もしかするとアリスやケロくんが呼んだのかもしれない。そういえばアリスは大丈夫だろうか。早く治療してあげなきゃ厄介なことになるかもしれない。レオネルがいれば、治癒魔術で多少なりとも楽になるかもしれないのに。そういえば、彼はどこに行ったのだろう。レジスタンスと一緒に貧民街区まで避難していればいいけど。ああ、そうだ。ウォルターはまだ城のなかにいる。『帽子屋』と一緒に倒れているのを見たのが最後だ。もし『帽子屋』が先に起き上がって彼を痛めつけるような真似をしたら……。いや、それは多分ない。あれは自ら卑怯な手段を取る人間じゃないはずだ。
乱れた思考の断片が、浮かび上がっては沈んでいく。明確なものをなにひとつ残さず、ただただ流れていった。風に吹かれる花弁と同様、過ぎゆくだけのものであり意味はない。
自然と瞼が落ちた。自分の呼吸がどうなっているのかも怪しい。身体はもう、疲労による痺れすらも届けなかった。
ハルキゲニアの夜は明けた。それだけで充分だ。もう悪夢はない。これで安心して眠れる。
やがてわたしは、なにも分からなくなった。突然訪れた暗闇に戸惑う余裕もなく、意識がふっつりと途切れる。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。詳しくは幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」参照
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。本名はジャックであり、『タソガレ盗賊団』元リーダー。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』にて
・『メアリー』→ビクターの妻。既に亡くなっているが、ビクターの実験によって蘇った。意思はないとされている。詳しくは『153.「鎮魂と祝福、祈りと愛~博士の手記~」』『154.「本当の目的地」』参照
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて
・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。防御魔術の使い手。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照




