188.「ワンサイド・ゲーム」
アリスの深呼吸が、かすかに聴こえた。
「あんたら、邪魔すんじゃないよ。これはあたしとあいつの問題だ」
静かな声。そこには恐怖からの震えは一切なく、落ち着いてすらいた。
アリスは助力や注意をなによりも嫌う。それは『黒兎』との戦闘で充分味わった。たとえ相手がどんな猛者でも、彼女は協力など望まないだろう。
ハルもミイナも、そしてスパルナでさえ沈黙していた。ケロくんだけがきょろきょろと落ち着きなく周囲を見回している。
「あ、アリス……やめるケロ」
ケロくんの頭には、焦り以外なにも浮かんでいないだろう。彼の洗脳魔術は間違いなく通用しない。そもそも反響する小部屋自体が魔術師ではない一般の人間にこそ通用する魔術なのだ。ましてや敵は支配魔術を打ち破るような強者である。
きっとケロくんはアリスを守りたいだとか手伝いたいだとか思ってるに違いないが、なんら力添えにはならない。だからこそ、こうしておどおどと止めることしか出来ないのだ。
「ケイン。余計なことを言うんじゃないよ。あんたの出る幕なんてないさ。……分かったら大人しくしてるんだね。絶対に動くんじゃないよ」
門扉を閉ざすような、つけ入る隙のない口調。アリスの言葉に、ケロくんはしょんぼりと俯いた。彼も自分の無力さをわきまえているのだろう、きっと。それでもなお口にせずにはいられなかったのだ。
「その変装男の言う通りにすればいいじゃん。馬っ鹿じゃないの」
ルイーザは高圧的に言い放った。
ケロくんを見てすぐに変装と見抜くのは、彼女にとって造作ないことなのだろう。固着した魔術によって作られたカエル頭など、彼女の目にはハリボテ同然に映っているかもしれない。
「あいにくだけど、命令されるのは嫌いなのさ。天邪鬼だからね」
「なにそれ。チョー生意気」
ルイーザはくすりと笑う。瞳には嘲笑の色。一触即発の空気があたりを満たしている。
先に仕掛けたのはアリスだった。
彼女は弐丁の銃口をルイーザに向け、二発の魔弾を即座に発射した。攻撃に入るまでの予備動作はほとんどなく、照準を定めてから引き金を引くまでの速さも申し分ない。
にもかかわらず、だ。
ルイーザは発射された二発の魔弾を、まるで虫でも払うかのように片手で弾いたのである。弾丸が彼女の手に当たった音すらなかった。
隣から発砲音が次々と響く。――しかし、アリスの弾丸が効果を上げることはなかった。そのすべてが先ほど同様、いともたやすく弾かれてしまったのである。ルイーザの手には傷ひとつなく、顔にも疲労や痛みなど一切見られなかった。
カチン、と音が鳴る。撃ち尽くしてなお、引き金を引いたのだ。アリスが残弾管理を忘れるほどに、魔弾は呆気なく対応されてしまったのである。
「ふふん。もう終わりなんだ? つまんなぁい。……デカい口叩くくらいだからもう少し面白いと思ったのに……」
どうすればルイーザを撃退出来るだろう。思わずアリスを一瞥すると、その口元には笑みが浮かんでいた。彼女の頬を一滴の汗が流れる。「これで終わりだと思うのかい? 甘いよ」
その直後ルイーザの背後から、弾かれたはずの弾丸が猛スピードで戻ってきた。
追尾か、方向性の変更か。アリスはなんらかの仕掛けを魔弾に施していたに違いない。
ルイーザはそれに気付いていないかのように小首を傾げた。背後を見もしない。もしかしたら、本当に魔弾の変化に気付いていないのかもしれない。これならあるいは――。
ばすばすばす、と着弾の音が響く。肉体への着弾にしてはやけに鈍い音。
ルイーザが人さし指を宙に向けると、彼女の背後から丸い魔力の塊がするすると頭上に現れた。魔球と呼ぶにはあまりに妙な魔術。球状の魔力の塊――その内部にはアリスの放った魔弾がそっくりそのまま納められていた。
「三流! 魔弾の軌道操作なんて子供でも出来るっての! それを切り札みたいに言っちゃうとか、ホントよわよわ!」
ルイーザが指をひと振りすると、ぱしん、という音とともに魔力の塊が消滅した。もちろん、アリスの魔弾ごと。
アリスはルイーザを睨んで、ただただ沈黙している。彼女の魔弾は一切通用しない。残る手札がどれだけあるのか分からなかったが、いずれもルイーザに有効打を与えられるとは思えなかった。
「だっっっっさ! なに黙っちゃってんの? これだから三流って嫌ね……自分の実力をわきまえないくせに口ばっかり達者なんだから。……さあ、つまんない遊びも終わり。魔銃を返して」
ルイーザは歯を見せてニヤリと笑い、手を差し出した。
「……お断りだね」
「そう。なら、乱暴しちゃおっと」
刹那、アリスの周囲に拳大の魔紋がいくつも出現した。
「――!」
声にならない叫びが響く。
隣にいたのに、アリスを助ける時間なんてなかった。魔紋から放たれた弾丸状の岩が彼女を吹き飛ばし、血が舞う。
わたしは――。
わたしは、なにを勘違いしているんだ。
目の前の敵が消えてくれればそれでいいだなんて、臆病な考えに憑りつかれていたのか。
ルイーザは何者だ?
目を覚ませ。
「なによ、あんた」
ルイーザが不快感をあらわにする。それも当然だろう。サーベルを引き抜いて前に出たわたしを無視するはずがない。
頭に血が昇っているわけでも、異様に興奮しているわけでもなかった。思考はクリアで、集中力も申し分ない。痛みは全身をめぐっていたが、それに気を取られるほど軟弱じゃない。
「ミイナもハルもスパルナも、大人しくしてて頂戴」
ルイーザに背を向けてアリスを見つめる。彼女は血だらけになりながらも必死で身を起こし、わたしを睨んでいた。獲物を奪うな、とでも言いたいのだろう。しかし、こちらにも事情がある。
「ごめんね、アリス。あいつはわたしの獲物でもあるの」
アリスをはじめ、全員が口を開かずにわたしを見つめていた。そんなに恐い顔をしているつもりはないのだが、少なくとも、有無を言わせぬ態度ではあるだろう。
「へー。獲物ってなぁに?」
ルイーザの挑発的な声が聴こえ、彼女に向き直る。その幼い顔にサーベルの切っ先を向けた。
「あなたのことよ、ルイーザ」
盛大なため息が、彼女の口から漏れる。
「ホント、馬っ鹿じゃないの。敵わないことくらい分かってるくせに。仲間がやられたからって熱くなるとか、ほんとダっサい」
「勘違いしないで。アリスがやられたからじゃないわ。あなたは元々わたしの敵なのよ」
ルイーザの眉間に皴が寄る。そろそろ来るだろう。
「なにそれ。ムカつく。それって八つ当たりでしょ。……いいわ。じゃああんたもボコボコにしてあげる!」
刹那、魔紋が周囲に展開された。当然のごとく予備動作はない。――が、一度目にしている。
魔紋が展開されたときには、疾駆の態勢に入っていた。そして致命的な岩の弾丸が放たれる寸前で、危険域を脱した。
その勢いのまま、ルイーザへと駆ける。
彼女の眉が心持ち上がった。まだ五メートルほど距離がある。ここから先は敵の攻撃を事前に想定し、それが放たれる前に回避行動を取らなければならないだろう。魔紋の展開から攻撃の出現までには、ほとんどタイムロスがない。だからこそ、働かせるべきは頭だ。
集中力を一気に高める。
残り四メートル。想定される攻撃は――。
魔紋がルイーザの前の展開され、そこから大岩が伸びた。
想定済みだ。わたしは右方向にステップし、凶悪な攻撃を回避する。そして勢いを殺さず駆けた。残り三メートル。
魔紋と大岩は、まだ消えずに残っている。となると――。
想定はどれほど丁寧におこなっても、完全ではない。意表を突かれればそれで終わりである。
現れた魔紋は二つだった。
わたしから右に逸れたところにひとつ。頭上にひとつ。そこからそれぞれ大岩が伸び、左右と上空の三方向を大岩に阻まれた。地面と大岩に隙間はなく、ルイーザの大岩に逃げ道を消されたかたちである。
まずい。
三つの魔紋の先――わたしの前方でルイーザが愉快そうに口元を歪ませた。
「さよなら。三流ちゃん」
彼女の前に魔紋が展開された。あたかも一方向の通路と化した道――それ全体を覆うようなサイズの魔紋。なにが起こるか、嫌でも分かる。
回避不可能の大岩が、魔紋から放たれた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。詳しくは幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」参照
・『反響する小部屋』→ケロくんの使う洗脳魔術。詳しくは『65.「反響する小部屋」』にて
・『支配魔術』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。詳しくは『117.「支配魔術」』にて




