187.「ママ」
もはや怪物の姿はなかった。天を突く巨体も、不気味な目玉も、紫の肌も存在しない。
――否、怪物はまだいる。三角帽子に黒のドレス。軽薄な口調を慎まず、箒に乗って宙を舞う魔女。ルイーザは姿かたちこそ人間だったが、その実力は怪物と呼んで差しつかえない。精神性の怪物であるビクターと、彼の生んだメアリー。そしてルイーザ。それぞれ違う意味の怪物がハルキゲニアに存在する。そして勝利したのはルイーザひとりだ。
唾を呑み下す。彼女の次の標的が何者か。そして、わたしはどうすべきか。
背後から不揃いなヒールの音が聴こえて振り向くと、後ろ手に縛られたエリザベートがよろよろと歩いてくる途中だった。安全ではなくなった城から逃げ出してきたのだろう。ヨハンは彼女にとっては敵であり、なにをされるか分かったものじゃない。だからこそ、必死になって逃げ出したのだ。片方折れたヒールと、縛られた両手。脚にはすり傷と痣。いくら慣れ親しんだ城とはいえ、容易な道ではなかったはずだ。
しかし、疑問がひとつある。敵の手から逃れるために進んだのなら、どうしてわたしたちのところまで来るのだろう。この場所に集まっていることを知らなかったのだろうけど、ここまで来れば分かるだろうに。なにか別の理由があるに違いない。
エリザベートは宙に浮くルイーザを見つめていた。その目は、小さな魔女から決して離れない。そして吸い寄せられるように、歩みを続ける。
「おい、なんだあの女」
エリザベートに気が付いたミイナが、さも不機嫌そうに言う。アリスはというと、よろめきながら進むその姿をじっと睨んでいた。
「ハルキゲニアの女王よ……。この悪夢の原因……」そして、アリスにとっての宿敵だ。「アリス。ひとつお願いがあるの。今は女王を撃たないで。……聞きたいことがあるから」
アリスはわたしを一瞥し、それからエリザベートへ視線を戻した。
「分かってる……。あたしもあいつに聞きたいことが山ほどあるさ……。じっくり、死なないように、けれど徹底的に聞かなきゃねぇ……」
その口調には普段の愉悦はなかった。冷徹な感情が漏れ出ている。アリスの手に渡ったエリザベートがどうなるのか、想像したくない。
不意に、エリザベートが足を止めた。宙に浮く魔女を仰いで、大きく息を吸う。
「ルイーザ!!!」
張り裂けんばかりの叫び。そこにはなぜだか情が籠っていた。どこか切ない響き。
一体どうしてハルキゲニアの女王がルイーザの名を知っているのか。どうして彼女が危険も顧みずわたしたちのところまで歩いてきたのか。
ぞくり、と嫌な予感が肌を這う。女王がグレキランスに侵攻しようとした目的は、復讐だけではなかったはずだ。彼女は――。
ルイーザが滑るようにこちらへ接近する。やや距離を置いて停止した彼女は、エリザベートを見て満面の笑みを浮かべた。幼く、一切の含みを持たない純粋な笑顔。
「ママ!!」
言って、ルイーザは彼女の隣に降り立って抱きついた。エリザベートの瞳に涙が光る。
嫌な想像は的中した。女王が再会を求めてやまなかった愛娘。それがルイーザというわけだ。最大の怪物と、敵の中枢が繋がっていたことになる。
生来の魔力量は、両親のそれに依存するというのが一般的な解釈である。女王が三人分の支配魔術をここまで維持し続けられたのも、ルイーザの母と考えれば容易に納得出来た。
わたしたちはなにも言わず、その様子を見つめていた。さすがのアリスも、目の前で巨人を圧倒した魔女に銃口を向ける無謀は出来ないらしい。代わりに、ものすごい形相で睨んでいたが。
「ルイーザ! ああ、良かった。ちゃんと一流の魔術師になったのね。あたくしがどれだけ心配したか……」
ルイーザはエリザベートを抱いていた身を離し、ニコニコと彼女の顔を眺めた。
「ママ。一流じゃないわ。超一流よ」
「そう、良かった。……あたくしの教育は間違っていなかったのね」
その言葉に、ルイーザは小首を傾げる。表情は朗らかなまま。
「ママ。勝手にいなくなるなんて酷いじゃない」
「それは、あなたにとっておきの魔術を授けてあげるためだったのよ」
ふっ、とルイーザの顔から笑みが消えた。
「とっておきの魔術って、支配魔術のこと?」
エリザベートの顔に、やや影が差す。「そうよ。あなたが魔術の訓練を嫌がらないように、自分から頑張れるようにしてあげたかったの。だから今でも訓練を怠らずに頑張っているんでしょう? もっともっと素晴らしい魔術師になるために」
女王が自らの娘に施した支配魔術。魔術の訓練を自発的に継続するよう、自由意思を操作したのだろう。とてもじゃないが理解出来ない感情だ。しかしながら、それによってルイーザの超常的な魔術が完成したのなら、それは良いことになるのだろか。
ルイーザは不機嫌そうにため息をひとつついた。
「素敵な贈り物ね。ホント、おかげさまでとっても充実した毎日だったわ。――まあ、あんなちんけな支配魔術なんてとっくに解除したけど」
支配魔術の解除?
ルイーザは自分自身でその方法を見つけたのだろうか。それともニコルや彼の仲間の助けを借りて解除したのだろうか……。
「解除した……?」
エリザベートの顔が凍りつく。よほど魔術の訓練にこだわっていたのだろう。その直後、彼女は感嘆の息を漏らした。「素晴らしいわルイーザ! 禁魔術を打ち破るなんて前代未聞よ!!」
きっと本心からの喜びなのだろう。彼女にとっては娘がより強大な魔術師になることがなによりも重要と見える。
「そう……」と答えたルイーザは、手をぱちんと叩いて顔を綻ばせた。「そうだ! あたしはママを迎えに来たのよ! ママにとっておきの贈り物があるの! 素敵な素敵な体験よ。――あんたがあたしにしたのと同じくらいにね」
語尾は、急激に冷えた口調だった。ぞっとするほどに。
言葉を返そうと口を開いたエリザベートの前に、ルイーザの手が伸びる。瞬間、女王は全ての力を失ったように倒れ込んだ。
それは確かに魔術だったのだろうけど、判別は困難だった。そもそもルイーザの身には尋常でない魔力が溢れており、それを維持したまま魔術を使用されては特定が出来ない。そもそも魔術を行使したのかも分からなかった。木を隠すなら森の中、という意図があるのかどうかは知らないが……。
「さて、と」
ルイーザは呟いてこちらを見渡す。彼女の瞳はアリスの手元で止まった。
「ねえ、その魔銃を返して。それ、ママがこっちに持ってきた物でしょ?」
アリスの喉が鳴るのが聴こえた。
彼女が素直に応じるとは思えなかったが、ルイーザの実力は先ほど見た通りだ。戦闘に発展すればまず勝ち目はない。
しかし――。
「嫌だね。今はあたしの武器さ」
やはり。アリスが弐丁魔銃を手放すはずがない。いくら防御魔術を使えるといっても、慣れ親しんだ武器だ。そう簡単には渡せない。
「泥棒」
ルイーザはアリスを鋭く睨んだ。あの実力さえなければ子供の反抗でしかないのだが……。
「なんとでも言うがいいさ。これはあたしの物さ」
これは、実にまずい。ルイーザの気配が先ほどまでの穏やかさとは一変している。
「そう。ならいいよ。どうせ時代遅れの玩具だもん」
素直に退いてくれるのだろうか。だとしたら願ってもない――。
そんな期待は粉々に吹き飛んだ。
「けど、自分の物が勝手に使われるのは気に食わない」
ルイーザの魔力が質を変える。そこには明確な敵意が表れていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。詳しくは幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」参照
・『メアリー』→ビクターの妻。既に亡くなっているが、ビクターの実験によって蘇った。意思はないとされている。詳しくは『153.「鎮魂と祝福、祈りと愛~博士の手記~」』『154.「本当の目的地」』参照
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『禁魔術』→使用の禁止された魔術。王都で定められ、王都の周辺地域にのみ浸透しているルール。
・『支配魔術』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。詳しくは『117.「支配魔術」』にて
・『弐丁魔銃』→アリスの所有する魔具。元々女王が持っていた。初出は『33.「狂弾のアリス」』




