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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~④黎明~」
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183.「夜闇の最後に」

 相変わらずの不健康な骸骨顔がそこにあった。もう少し早く到着してさえいれば、その姿が救い主のように見えたかもしれない。今や女王胞子(ほうし)は潰され、したがって縮小吸入瓶(プラナ・ボトル)()り込まれた爆弾胞子も誘爆したことだろう。


 ハルキゲニアは、じきに壊滅する。


「女王胞子が……」


 発した声は力なく消えた。頭は絶望の極彩色に塗り固められている。


 状況を知ってか知らずか、ヨハンは平然と口を開いた。「随分と手酷くやられましたね。やはり『帽子屋』はお嬢さんにしか相手に出来なかったようですなぁ。……お手柄(てがら)です。もちろん、スパルナさんにも感謝いたします」


 亀裂のところに佇んで夜闇を睨んでいたスパルナは、小さく首を横に振った。


「僕はシェリーを助けに来ただけだ」


「理由はどうあれ、立派な英雄ですよ……。さて、悠長(ゆうちょう)に話をしているつもりはありません」


 ヨハンはビクターを見据(みす)える。その瞳には感情らしき感情は見出せなかった。


「そう、時間がないの……。街に魔物が――」


 わたしの言葉を、彼は手で(せい)する。そして、ニヤリと笑って見せた。


 見慣れた表情。すべてを承知して最善の方策(ほうさく)を選び取るときの顔だ。その不気味な表情を見上げていると、胸がいっぱいになった。


「ビクター博士」とヨハンが呼びかける。「あなたは実に非道で、邪悪だ。私たちが躊躇(ちゅうちょ)してしまう選択を良く承知している。だからこそ手強(てごわ)い」


 ビクターは冷たい目付きで彼を睨んでいる。どうしてそんな余裕があるのか、怪訝(けげん)に思っているからこその冷静さだろう。


「ふん……。私を君たちの尺度(しゃくど)(はか)らないでいただきたいものだ。倫理(りんり)や道徳などといったつまらん価値観に縛られて未来へ進めない人間と比較する意味などない」


「ところが、意味があるんですよ。あなたには分からないかもしれないが」


 即座に返したヨハンに対し、ビクターは眉をひそめた。


「……なにが言いたい?」


「つまり」と、一旦(いったん)言葉を切って人さし指を立てる。「あなたのやり口は逆算出来るんですよ。私たちが通常、決して選ばないような残酷な策こそあなたは好んで実施(じっし)する。……正常な研究の範疇(はんちゅう)にあることは手垢(てあか)がついているからこそ、あなたは非道を選ぶんです。それを未来という言葉で誤魔化しているに過ぎない。所詮(しょせん)は好奇心の獣です」


「だからなんだと言うんだ」


「だから、あなたが仕組んだ策にも気が付けたんです。つまり、こうです。残酷なまでに視野が広ければ、いずれメアリーに相当する戦力を量産するであろうことは明白。そのためには大量の死体が必要でしょうね。ところで、あなたはハルキゲニアの要人(ようじん)であり、女王とともにこの街を支配している。……となれば、この都市を丸ごと破滅させてしまえばいい。縮小吸入瓶(プラナ・ボトル)を各所に設置し、魔物によって住民の命を奪う。そのなかで比較的損壊の少ない者か、あるいは瀕死(ひんし)の人間を実験体にするつもりだったのでしょう。都市に残った魔物はメアリーに殲滅(せんめつ)させてしまえばそれで完了です」


 ビクターはじっと黙って彼を睨んでいた。その様子に満足しているのか、ヨハンは淡々(たんたん)と続ける。


「この場合、最も残酷で(るい)を見ない選択がそれだったというだけです。『アカデミー』であなたの性格をまざまざと見せつけられたからこそ、早期に動くことが出来ました」


 言って、ヨハンはコートのポケットに手を突っ込んだ。そしてゆっくりと引き抜く。


 彼の指には、グールの収められた小瓶が()ままれていた。


 ビクターは一向(いっこう)に言葉を返さず、ヨハンの持った瓶に視線を(そそ)いでいる。その沈黙はあまりに雄弁(ゆうべん)だった。どうして誘爆するはずの小瓶を無事なまま持っているのか。


「硬化魔術と修復魔術……単純な解答です。瓶の破壊さえ阻止(そし)すれば魔物の出現は食い止められますからね。……あなたは不意に縮小吸入瓶(プラナ・ボトル)が壊れてしまうのを恐れて、女王胞子(ほうし)の誘爆でしか破壊出来ないよう頑丈(がんじょう)に作ったのでしょうが、それがアダになりましたね。誘爆にさえ耐えてしまえば、特殊な(あつか)い方をしなければ割れることはない」


「すべて――」とビクターは口を挟む。その声は、想像していたよりも落ち着いていた。「すべての瓶を回収したのか? 百以上設置したのだぞ? 見つけられるはずが――」


 ヨハンは唇をひと舐めして、ビクターを嘲笑(ちょうしょう)する。「見つけられるはずがない? おや、天下のビクター博士も常識に(とら)われていらっしゃるんですねぇ……。私の執着心を(あなど)らないでいただきたいですなぁ。小瓶は漏れなく回収しましたよ。ここにあるのはあなたに見せつけるために持ってきたのですが、他は安全な場所に保管しています」


 安全な場所を想像することが出来なかったが、ヨハンがそう言うのであれば間違いない。彼が勝算なく敵の前に立つなんてこと自体が信じられないことなのだ。つまり、今の彼はビクターを徹底的に潰す算段を整え、万が一にも出し抜かれない状況だからこそこうして啖呵(たんか)を切っているのだ。


 ああ、もう。まるで敵わない。直線的に突っ走ることしか出来なかったわたしとは大違いだ。


「なぜすべて回収したと言い切れるのだね?」


 ビクターは静かに問う。その顔には焦りや困惑など、一片(いっぺん)も浮かんでいなかった。開き直った悪党――というよりも生まれながらの性格のように思える。不測(ふそく)の事態が起ころうとも動じないのだ。


「それは」と、ヨハンは唇の前で人さし指を立てた。「秘密です」


 この場においても秘密を持ち続けるヨハンに、少し(あき)れた。ビクターが反論の出来ない完全な方法なのだとしたら、それを口にして敗北を認めさせればよかろうものを。


「すると、単なるでまかせということもありうるわけだな。……先ほど悠長に話している暇はないと言ったが、それはつまり、回収し損なった瓶があることを示しているのではないかね?」


 ヨハンは首を振って否定する。


「回収は完了しています。じっくり言葉を()わすつもりがないだけです。あなたと会話していると気分が悪くなりますからね」


「論理的な解答ではないな。……君は――」


 ビクターの言葉を、ヨハンは鋭く(さえぎ)った。「私も悪党だが、あなたと比べればチンケなものです。それに、ハルキゲニアで苦しんでいる人間を早く安心させてやりたいんですよ」


 (がら)にもないことを言っている。けれど、そこには真に(せま)る響きがあった。ヨハンもまた、並々ならぬ怒りと憎しみを制御してここに立っているのだ。


「……お嬢さん」


 突然呼びかけられたので、ぴくりと身体が震えた。「なに?」


「レジスタンスと合流してください。これ以上の悲劇はないでしょうが、予測出来ないことも起こります。たとえば、破壊済みの正門から強力な魔物が侵入しないとも限らないのです。出来ることなら、お嬢さんには戦力となって欲しい……。私はビクターと、残った子供たちの救出を引き受けます」


 でも、とか、だって、なんて言っていられなかった。彼がそうすべきだと判断したのなら、今は大人しく従うべきなのだ。


「……あなたも一緒に来てもらうわよ」


 エリザベートに向けて鋭く言い(はな)つと、彼女は一瞬だけ反抗的な目付きをしたが、すぐにしおしおと(うなず)いた。わたしを斬ることが出来ず、ビクターの毒気にあてられた彼女に抵抗が出来るとは思えない。それでも念のため、ノックスの目を(おお)っていた布で彼女の腕を後ろ手に縛りあげた。


 彼女にはまだ聞かなければならないことが残っている。『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』を、わたしは越えねばならないのだ。


 (きびす)を返して、ふと思った。ノックスとシェリーをどうしようか。その疑問に答えるようにヨハンの声が響く。


「ノックス坊ちゃんもシェリーお嬢ちゃんも守りますから、ご心配なく」


「分かった……信用してる」


 ノックスとシェリーのそばまで行き、二人の頭を()でた。「ちゃんと良い子にしてるのよ」


 二人は力強く頷いた。


 その刹那(せつな)――。


「スパルナ!!」


 シェリーの叫びを聴き、広間に()いた亀裂(きれつ)を目を移した。そこにスパルナの姿はない。飛び()った? このタイミングで?


 くつくつくつ、と地の底から響くような不快な音が流れる。それはやがて大きくなり、不気味な(わら)いへと変わった。


「ビクター……なにがおかしい?」


 ヨハンの冷たい声が飛ぶ。しかしビクターの(わら)いは収まらなかった。


 ――広間が大きく揺れる。地鳴りだ。


 ビクターはようやく(わら)いをやめて、いかにも愉快そうに告げた。


「君は私が設置した瓶をすべて回収したと言ったな? なるほど、九十九パーセントは回収出来たかもしれない。しかし、決して回収出来ない物もあるのだよ」


 沈黙が流れる。ヨハンの目は亀裂の先へと(そそ)がれていた。わたしは一歩ずつ、その穴へと近付いていく。


 やがてヨハンはいかにも苦々(にがにが)しい口調で呟いた。「……あれが瓶の影響なら、確かに私は見落としていた」


 空の深みは薄くなっている。


 消えつつある夜の闇。その最後の名残(なごり)の中心で、巨大な影が揺らめいた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『縮小吸入瓶(プラナ・ボトル)』→付近にあるものを縮小させ、吸入してしまう小瓶。ビクターの発明した魔道具。彼は魔物を詰め込んで使っている。詳しくは『147.「博士のテスト・サイト」』にて


・『爆弾胞子(ほうし)』→森に()える菌糸類(きんしるい)の一種。衝撃を与えると爆発する。詳しくは『147.「博士のテスト・サイト」』にて


・『女王胞子(ほうし)』→『爆弾胞子(ほうし)』の一種であり、それを起爆させるトリガーになる。詳しくは『147.「博士のテスト・サイト」』にて


・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に()けている。シルクハットの魔具『奇術帽(コピーハット)』で戦う。本名はジャックであり、『タソガレ盗賊団』元リーダー。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』にて


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて


・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて


・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。人懐っこく、気さく。詳しくは『94.「灰色の片翼」』『98.「グッド・バイ」』にて


・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。感情表現が薄い。


・『メアリー』→ビクターの妻。既に亡くなっているが、ビクターの実験によって蘇った。意思はないとされている。詳しくは『153.「鎮魂と祝福、祈りと愛~博士の手記~」』『154.「本当の目的地」』参照


・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて


・『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。クロエは『鏡の森』へと続いていると推測している。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』

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