表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~④黎明~」
215/1490

178.「白銀の翼」

 痛みも疲労も忘れて、目前の光景に目を奪われた。どうして、とか、どうやって、とか、そんな通り一遍(いっぺん)な疑問は頭から吹き飛んでいる。


 心臓の鼓動が現実を告げていた。これは夢ではない。


 ハイペリカムでの彼との出会いが頭をよぎる。生贄(いけにえ)少女を迷いなく救った青年。英雄志望者、スパルナ。ただ、ひとつ異なっていたのは翼である。以前目にした彼の背には片翼しか()えていなかったはずだ。今は両翼が綺麗に生え(そろ)い、飛翔してもなんら不思議ではないサイズだった。そしてなにより翼の色である。森の小屋で見たそれは灰色だったが、今は希望の体現であるかのように、白銀の美しい色をしていた。


「シェリー、遅くなってすまない。ちゃんと(・・・・)助けに来た」


 落ち着いた声でスパルナは言う。シェリーは涙をごしごしと(ぬぐ)って、にっこりと笑いかけた。「えへへ」


 そうだ。シェリーはハイペリカムで約束したのだ。『困ったら呼ぶから助けに来て』と。彼はその約束を()たしに来たのだろう。原理なんて分からない。けれど、彼は確かにここに立っている。


「メアリー。下がれ」


 ビクターの声が、再会を引き裂くように響く。メアリーは命令通り、彼の隣まで後退した。その間もビクターの瞳はスパルナに(そそ)がれ続けていた。


「クロエ」


 呼ばれて、スパルナを見上げる。彼の目には決して怒りは浮かんでいなかったが、()いるような色が見えた。


 彼は大剣の先でメアリーを()す。「あいつが敵なのか?」


 短く頷き、シェリーを一瞥(いちべつ)した。後悔なら山ほどしてきたが、彼を前にするとやはり後悔してもし切れない感情になった。「そうよ、あいつが敵……。スパルナ……ごめん、なさい……」


「クロエは」言葉を切って、スパルナはメアリーを見据(みす)えた。「被害者だ。理由は知らないが、そんなになるまで戦ったのも子供のためなんだろう? ……謝る必要なんてない」


 後悔は決して消えない。けれどスパルナの言葉はある種の救いだった。


 なんだ。もうすっかり英雄じゃないか。


「あんたらには悪いが、シェリーを泣かせたのは見過ごせない。それに、クロエもボロボロだ。あんたらがやったんだな?」


 エリザベートがじりじりと、少しずつ後退する。危機を(さと)ったのだろう。


 その一方で、ビクターは(あご)に手を当ててスパルナを見つめていた。その目は探るように全身へ(そそ)がれる。そして不意に「嗚呼(ああ)!!!」と声を張り上げた。


 静かに(たたず)むスパルナとは対照的に、ビクターは両目を手のひらで押さえて天井を(あお)ぐ。そしてまた「嗚呼(ああ)!!」と叫んだ。


「そうか!! なるほど!! いやはや素晴らしい!! これは実に素晴らしい!! こんなにも健全に成長している(・・・・・・・・・)とは夢にも思わなかった!! 見違えたぞ!!」


 スパルナへと視線を戻したビクターは、狂喜的な笑みを口元に浮かべていた。丸く見開いた(まなこ)が、どこか怪物じみている。


「あんたの言ってることが分からない。……僕のことを知ってるのか?」


 まさか、と思う。メアリーの肌は紫色をしている。そしてスパルナも、(まだら)ではあったが紫色を全身に()びているのだ。


 ビクターの返答に意識を集中しながらも、先ほど突き飛ばしたノックスを抱き寄せた。シェリーはわたしの隣に立ち、きらきらした目でスパルナを見つめている。これからビクターの口から語られることが彼女を傷つけないだろうか、と不安になった。


 そんな憂慮(ゆうりょ)はおかまいなしにビクターは口を開く。


「知っているさ。お前が思っているよりもずっとずっとずっとずっと深く。……それにしても、私を覚えていないということは記憶が定着しないのか、それとも単なる記憶喪失なのか……」


「僕は気が付くと森にいただけだ。それまでのことはひとつも覚えていない。ただ、どうしてか英雄になりたかったことだけは確かだった」


 スパルナは正直に答える。思い返せばラーミア戦のときも、彼は敵と(へだ)てなく会話をしていた。元よりそういう性格なのだろう。わたしとは大違いだ。


「そうか、英雄か。嗚呼(ああ)! そうだ、お前は英雄になりたかったのだろうな、きっと。だから私のところへ来たのだ! しかし、スパルナか……大層な名前をつけてもらったじゃないか」


「僕のことを知っているなら教えてくれ。僕は何者なんだ?」


 息を()んで二人のやり取りを見守る。今のところメアリーに動きはない。ビクターが合図しなければ攻撃してこないのだろう。


 ビクターは追憶(ついおく)(ひた)るように長いまばたきをひとつした。


「お前は私が最初に(よみがえ)らせた死体だよ。本当の名前はボリスだ」


 沈黙が広間に流れる。シェリーを見ると、やや(うつむ)いていた。スパルナからの返事がないことを確認し、ビクターはさらに続ける。


「ボリス、お前は元々ハルキゲニアに住んでいた子供だ。街に疫病(えきびょう)蔓延(まんえん)したことも覚えていないだろうな……。私は患者を治す医師という名目で隔離(かくり)病棟の管理者をしていたのだが、そこにお前が侵入してきたのだよ。……いやはや、散々な言われようだった。悪党だの犯罪者だの……まあ、ある(しゅ)の人間からはそう見えても仕方あるまい。確かに私は医者なんぞではなく、科学者なのだから。疫病患者への人体実験の様子を見られてしまったのだから言い逃れが出来なくてね……ついつい殺してしまった。もちろん、ボリス、お前をだ」


 キッ、とシェリーがビクターを睨む。その目には確かな敵意が(こも)っていた。当然だ。大好きな人間が(すで)殺されて(・・・・)おり、その(かたき)が目の前にいるのだから。


 スパルナはというと、ひたすら無言を(つらぬ)いている。表情にも別段変化はない。心のなかでどれだけの混乱が起きているのかは分からなかったが、少なくとも動じている様子は一切見られなかった。


 ビクターは彼の沈黙を無視して続ける。


「お前は実に貴重なサンプルになってくれた。……なにせ死にたての人間だからな。お前の身体にはルフとグールの血液と、繋ぎ(・・)の役割を持つ薬液(やくえき)を混合させた液を(そそ)いだのだ。するとどうだ! お前は見事に蘇った! はじめは前後不覚、言語も認知出来ず、動くのもやっとの木偶(でく)だった。……リハビリテーションを繰り返し、やっと人間らしい動きをするようになったのだよ。それからは耐久実験、脳のテスト、反射試験、運動能力の測定……あらゆるテストをおこなった。そしていよいよ、どこまでやったらもう一度死体に戻るか、という段になって逃げだしたのさ。施設の壁を破壊してね。……生への欲求というのは死体であっても強いものなのだな、いやはや、貴重な発見だった。サンプルは失ったが、お前の貢献(こうけん)のおかげで愛するメアリーを復活させることが出来たんだ。感謝する。そして――お前を全力で愛そう!!」


 うんざりするような長口上(ながこうじょう)も、スパルナは顔色を変えずに聞いていた。


「そうか。僕の身体には魔物の血が流れていて――死んでいるのか」


「そうだ! そして、死んでなお成長している(・・・・・・)! それも通常よりもずっと早いスピードでな。お前は覚えていないかもしれんが、死んだときはたかだか十歳だったのだぞ? それがどうだ。数年しか経過していないのにまるで二十代の身体つきじゃないか。……しかし、メアリーは加速度的な老いを見せていない。これは実に興味深いな。私は今、ひとつの仮説を考え出した――それはこうだ。魔物化した死体は、人間の肉体の絶頂期(ぜっちょうき)で老化が停止する。一方で、絶頂期に満たない場合にはその地点まで急速に成長するが、その後の老いは訪れない。あるいは、老いてもほんのわずかずつ。こんなところだろう。……ときに、『黒の血族』を知っているかね?」


 スパルナは首を横に振る。


 わたしは決して反応を返さぬように努力した。ここで『黒の血族』という語が出るとは思わなかった。


「『黒の血族』は決して老いない。彼らも先ほどの説と同様に、肉体の絶頂期で老化が止まると言われているのだよ。すると私の実験は実のところ、非常に有意なものと思えないか? 魔物の血によって(よみがえ)った死体は、『黒の血族』と同様の側面を持つ。そして、だ。私の知る限りメアリーは活動能力の一切が常軌(じょうき)(いっ)している。それこそ、『黒の血族』の強靭(きょうじん)さに(およ)ぶと自負(じふ)しているのだがね……。嗚呼(ああ)! 人類が魔物を凌駕(りょうが)し、駆逐(くちく)する日がぐっと近付いたと思わないかね!?」


 確かに、そうかもしれない。


 しかし、だ。それがビクターの醜悪(しゅうあく)な研究から生まれたという時点で、もはや認めるべきものではなくなる。血も涙もない実験の()てに生まれた未来を歓迎出来るほどわたしは達観(たっかん)していない。


 そしてそれはスパルナも同じであるようだった。


「なるほど。あんたのことは大体分かった。……正しいのか間違っているのかは僕には分からない。だが、僕は認めない。子供を……シェリーを傷付けて良い理由にはならないからだ」


 スパルナは、大剣の先をビクターに向けた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ハイペリカム』→ハルキゲニアの手前に位置する村。『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』の舞台


・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』にて


・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。人懐っこく、気さく。詳しくは『94.「灰色の片翼」』『98.「グッド・バイ」』にて


・『シェリーとスパルナの約束』→「困ったら呼ぶから助けに来て」とシェリーが頼んだことを指す。詳しくは『95.「個人的な英雄」』にて


・『メアリー』→ビクターの妻。既に亡くなっているが、ビクターの実験によって蘇った。意思はないとされている。詳しくは『153.「鎮魂と祝福、祈りと愛~博士の手記~」』『154.「本当の目的地」』参照


・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて


・『ラーミア』→半人半蛇の魔物。知能の高い種。『86.「魔力の奔流」』に登場


・『ボリス』→ビクターが最初に作り出した人造魔物。元々は人間の死体。詳しくは『154.「本当の目的地」』にて


・『ルフ』→鳥型の大型魔物。詳しくは『37.「暁の怪鳥」』にて


・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて


・『黒の血族』→魔物の()と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ