幕間.「魔王の城~バルコニー~」
月光を見つめ、ニコルは思案していた。
城で一番高い尖塔のバルコニーは静かだった。風のない夜の空気は穏やかで、物思いに耽るのに適している。
ヒールの音が階下から響く。それは螺旋階段をどんどん上へ――ニコルのもとへと登ってくるようだった。
「ニコル! ニコル! 返事をせんか! ニコルぅ!」
仰々しく、そして騒々しい声が次第に大きくなる。ニコルは苦笑して振り返った。五、四、三、と、魔王がここにたどり着くまでの秒数を数える。
二、一。
片手にもこもこした布を下げた魔王が現れた。今宵は真紅に黒のレース飾りついたドレスを召している。
「ニコル! わらわの手を煩わせるとは何事か! 探すのもひと苦労なのだぞ」
「景色が良かったから、つい、ね」
頬を膨らませてバルコニーまでやってきた魔王は、ニコルの肩に毛布をかけた。
「風邪を引いたらどうするのだ」
「そのときは看病してくれるんだろう?」
「もちろ――いや、それは下僕の仕事であろう! わらわは看病などするはずがなかろう! しかし、どうしてもと言うなら」
「ああ、どうしても君に面倒をかけたい」
魔王は返事をせず夜景に目を移した。口元がゆるむのをこらえているようにニコルには見えた。
左手の薬指が月光を反射して煌めいた。クロエから受けた傷はすっかり治ったようで、ニコルは安心した。
「しかし、驚いたよ」と呟いてニコルは魔王の手を握り、まじまじと観察する。「クロエがあんなに勇敢だとはね。昔は泣き虫で臆病だったのに」
すると魔王は瞬時に手を引っ込めた。
「わらわの前であの女の話をするでない。考えるだけでイライラしてしまう」
「すまないね。……けれどクロエは、僕たちにとって必要な存在だろう?」
「ニコル、お主の計画通りならそうかもしれんが、わらわはあいつが憎らしい」
言って、魔王は指輪を見つめた。
「のう、ニコル。やっぱりあの女を殺しては駄目か?」
「僕個人としてはどちらでもかまわないけれど……今は駄目だよ。まだ彼女の力が必要なんだ」
魔王はふてくされたように口を尖らせて遠くの森を見つめている。それから急に顔を綻ばせた。
「なら、用が済んだらわらわが殺しても良いか?」
思わずニコルは笑ってしまった。
「物騒なことを言うね。なら、こうしないか」
ニコルは踵を返し、室内へ戻った。そしてテーブルに置いてあったやりかけのチェスの駒を並べ替える。
「ゲームをしよう。君はクロエを殺すために、僕は逆に、生かすために駒を動かす。生きて再会すれば僕の勝ちだ」
魔王はチェス盤に駆け寄り、整然と並ぶ駒を覗き込んだ。
「なら、先行はわらわじゃ」と言うや否や、黒のポーンをつまんで白のキングをはじいた。「わらわの勝ちー」
「君ってやつは……」
魔王は仕事を終えたポーンを盤上に放り、腰に手を当てた。「なぜならば、わらわはすでに手を打っている」
どうだ、まいったか。とでも言わんばかりの表情である。ニコルは首を横に振って苦笑するばかりであった。
「さあ、ニコル! 晩餐じゃ」
「はいはい、行きましょう。お姫様」
魔王の手を取り、ニコルは月を一瞥した。そして螺旋階段へと向かう。
僕もすでに動いているんだけどね、と内心で呟いて。
【改稿】
・2017/12/03 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。




