168.「百花狂乱」
帽子屋の手がシルクハットを掴んだ。
奴の魔具は一度味わっている。奇術帽。シルクハットを複製し、帽子の内側を複製とリンクさせる技。本体である帽子にレイピアを差し込めば、複製帽子から切っ先が伸びる仕組みである。複製がひとつならまだしも、いくつも創り出すことが出来るのが厄介極まりない。
帽子屋が頭上で半円を描くように奇術帽をひと振りすると、三つの複製帽子が宙に現れた。そしてそれぞれがこちらへと接近する。
複製と操作。複製物は動きが連動しているわけではなく、個別に帽子屋が操っているに違いない。その精密な動作は帽子屋の能力の高さを示している。
以前ウォルターから聞いたところによると、帽子屋――ジャックはタソガレ盗賊団に拾われた孤児だった。それ以降も魔具とは無縁の盗賊生活を送っていたはずだ。すると、彼が手にした魔具はおそらく奇術帽が最初であり、操作方法もハルキゲニアの騎士として学んでいったのだろう。魔具の扱いに関してビクターがノウハウを授けたのかもしれないが、専門的な訓練ではなかったはずだ。つまり、帽子屋は自らの才覚によって奇術帽を手足のごとく動かしていると考えるべきだろう。
サーベルで牽制すると、複製帽子は攻撃圏外ぎりぎりの位置で静止した。こちらを囲うように等間隔に配置されている。一気に距離を詰めてレイピアで刺し貫く算段なのだろう。
しかし、複製帽子は宙でとどまったままである。帽子屋が動く気配も感じられない。時間を稼がれているようで、焦りがふつふつと沸き上がってきた。
深く呼吸をする。今は落ち着かなければならない。最速で帽子屋を仕留めるのなら、冷静に機を窺う必要がある。
右斜め後ろに位置する複製帽子が、こちらへと動くのが分かった。即座に身を翻してサーベルで薙ぐ。帽子は刃をかわし、再度距離を取った。
――と、他の二つの複製帽子が一斉に接近した。身体を反転させて腕を振ったが、刃は見事に避けられる。そして先ほど距離を置いた複製帽子も有効範囲内に入ってきた。
帽子屋に視線を移すと、今しもレイピアを奇術帽に挿し込むところだった。
三つの帽子の位置関係を意識し、サーベルの速度と軌跡、そして身体の動きを計算する。王都で積んできた戦闘経験はわたしを裏切らない。魔物に囲まれ、同時に攻撃をされたことなんて何度もある。だからこそ、凌ぎ方は頭と身体に染みついている。
鋭い金属音が響いた。複製帽子の内側から伸びたレイピアを、身体を捻りつつ捌く。そして帽子屋のいるほうへと回避行動をとった。避けると同時に、帽子屋への攻撃に転じることが出来るというわけだ。
そうなると、複製帽子の取る軌道はひとつ。
案の定、三つの帽子は帽子屋の前面へ移動し、こちらの進行を阻むように展開された。それら三つの攻撃隊の後ろで、帽子屋が半身になって刺突の構えを取る。
集中しろ。刃を振るえ。
剣戟音が響く。三つ分の攻撃を捌くのは決して容易ではない。――が、不可能でもない。斬撃速度には自信がある。それぞれを万遍なく弾きながらも、帽子たちが決定的な隙を見せるのを待った。
一歩も引くことなく、三つの帽子を相手取る。常に最良の選択をしなければ身体に穴が空くのは明白だ。裏を返せば、冷静に動きを把握して対応し続ければチャンスは訪れる。それまでに、帽子屋との距離を空けるような失策をしなければ問題ない。
風切り音と金属音の中にいた。目は三つの帽子と本体をそれぞれ捉え、呼吸は一定に保つ。
――覚悟は出来ている。人斬りを避けるような甘えはもうない。あの扉の先では小さな命の灯火が、儚く揺れているのだ。
帽子屋の攻撃は鋭く的確で、なかなか隙は見えない。なら、こちらから揺さぶってやる。
「ねえ、ジャックさん。ひとついいかしら」
剣戟越しに、帽子屋が眉を顰めるのが見えた。こちらの余裕に違和感を覚えたのだろう。
「……なんだ」と帽子屋も攻撃の手を一切緩めずに返す。なるほど。話す程度の余裕があるのはお互い様というわけか。
なら、訊くべきことを聞きつつ揺さぶるのが一番だ。
「あなたはどうして女王の味方をしているのかしら?」
「生きている実感を得るためだ……」
思わずこちらの動きが乱れそうになった。なんだその理由は。
「生きている実感? タソガレ盗賊団で充分なんじゃないの?」
「不充分だ……。女王の目線はこの地域一帯にとどまらない……。より広い視座で、大きく動こうとしている……」
「スケールの大きいものが好きなだけなのかしら? そんな理由でビクターや女王と付き合っているの? 彼らのやっていることが間違いだとは思わないのかしら?」
彼は暫し沈黙し、刺突を繰り出した。その動きに乱れはなく、したがって隙も見いだせない。ただ、返事に困っているのは事実のように思えた。
金属音の雨の中、帽子屋の呟きはなによりも強くわたしの耳に届いた。
「正邪など、俺には読めん……。思い通りになる程度のことをしても無意味だと感じただけだ……」
正しいか、間違っているか。大局的に判断するのは難しいだろう。しかし、ハルキゲニアで繰り広げられている醜悪な実験を知らないわけではあるまい。
「……あなたはビクターの実験も認めているわけ? 自分には判断出来ないとかなんとか言い聞かせて……」
「あれは……」
言いかけて、帽子屋の言葉が止まる。相変わらず刺突は続いていた。しかし、動きにやや鈍りが見える。隙というほどの隙はないが。
「……ビクターが今やっていることは正しくない」
「ならなんで協力するのよ」
「俺が協力しているのは女王だけだ……」
「自分にそう言い聞かせてるんでしょ? でもあなたは気付いてる。女王に手を貸すことはビクターに協力することと同じで、あいつが今やってる実験を支援していることに繋がっているのよ。それに気付いてないなんて言わないわよね?」
帽子屋の瞳に沈んだ色が浮かんだ。
「清濁併せ呑む覚悟はしている……」
帽子屋がまばたきをし、複製帽子の動きが一瞬止まる。
「答えになってない!!」
叫ぶと同時に、三本のレイピアの間を縫って帽子屋へと接近した。隙を見せたことに対する焦りだろうか、彼の口元が引き締まる。
三つの帽子はわたしの速度に追いつけていない。
清濁併せ呑む、か。『最果て』で得られない『生きている実感』とやらのために、女王とともにグレキランスを目指そうとしているのだろう。その達観と、悲劇から目を背ける身勝手が許せない。
帽子屋が手に持つレイピア――複製帽子から伸びたものではなく――とわたしのサーベル。そのどちらもが相手に届く距離。有効範囲に入ると呼吸を止め、集中力を一気に高めた。
帽子屋が一歩後退するのが見えた。
――金属音。重い衝撃が右腕に広がる。帽子屋は奇術帽からレイピアを抜き、その勢いでこちらのサーベルを弾き飛ばす算段だったのだろう。それも一度見た技だ。お生憎様、それで怯むわたしじゃない。
帽子屋が後退しつつ刺突を繰り出す。サーベルで弾きつつ、隙をみて距離を詰めた。刺突の嵐――そう言って差し支えないだろう。だが、それでわたしを止められると思っているのならとんだ思い違いだ。
剣戟を縫い、サーベルを両手に持ち替えて逆袈裟斬りでレイピアを弾いた。帽子屋の腕が大きく上がり、その瞳は感心するように見開かれる。
絶好の機会――懐に飛び込もうと踏み込むと、帽子屋が大きく後方に跳んだ。そして彼の背後から五つの複製帽子が現れる。剣戟の合間にせっせと拵えたのだろう。随分と念入りだ。
五つの帽子はわたしの周囲にそれぞれ散った。――刹那、帽子屋のレイピアが奇術帽に挿入される。
五本のレイピア。周囲数十センチを巡る複製帽子。避けることの出来ない距離と量。
――なら、避けなければいい。
脳裏に花が散る。それらはつむじ風の姿を表すように、狂乱した舞を見せた。その姿に自分自身を重ねる。
そして、目を瞑った。
「――百花狂乱」
イメージの中で、花弁が一気に狂い飛ぶ。つむじ風が散じる。
――サーベルを振り終えると、腕が震えた。ゆっくりと息を吸う。呼吸をしていなかった分、焦って吸いたくなったが、あくまで細く長く吸う。でないと正常な呼吸のリズムに戻れない。
瞼を開くと、黒い花弁が目の前を舞い落ちていった。――否、それはシルクハットの断片である。
距離を置いた帽子屋が、明らかに驚愕したように口元を緩めて佇んでいた。
切っ先を真っ直ぐに帽子屋へと向ける。
「生きている実感なら、いくらでも味わわせてやるわ」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。『タソガレ盗賊団』元リーダーのジャックに酷似している。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』にて
・『奇術帽』→シルクハット型の魔具。能力は①帽子の複製②帽子の操作③帽子本体と複製帽子の内側を繋げる。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照
・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『グレキランス』→クロエの一旦の目的地。通称『王都』。




