167.「タソガレ時」
※クロエ視点の一人称です。
※時間軸としては『166.「女王の城へ」』の直後。
女王の城三階。大扉の前。わたしは帽子屋と対峙していた。隣でウォルターが息を荒くするのが分かる。彼の目は帽子屋に釘付けになっていた。
ウォルターは絞り出すような調子で声を出した。「……ジャック」
帽子屋は相変わらず涼しげな表情をしていたが、その眉がぴくりと動く。瞳は品定めするような具合にウォルターへと向けられていた。
意味深な沈黙が続く。
自分の狙いが正しかったことを知って安堵した。反応を見るに、やはり帽子屋はタソガレ盗賊団の元頭領――ジャックとみて間違いないだろう。彼がどのような経緯でハルキゲニア騎士団の団長になったのかは分からないが、とにもかくにも元の仲間を引き合わせることで化学反応が起きていた。あとは、その結果がどう転ぶかである。理想通りの展開になってくれれば言うことはない。
二人が和解し、帽子屋が女王のもとを離れる。可能性としてはそれほど高いとは思えなかったが、ゼロではない。万が一戦闘に発展したとしても帽子屋を揺さぶる材料にはなるだろう。昔の仲間に刃を向けられる人間はそう多くないはずだ。
「ジャック……どうしてこんなところに」
ウォルターは既に冷静さを失っていた。驚きに足を取られている。わたしからジャックの存在を事前に告げられてなお、本心から信じることが出来なかったのだろう。それもそうだ。『最果て』中を探し回り、それでも見つからなかった男が目の前にいる。そしてその男はハルキゲニアの騎士として、タソガレ盗賊団とは敵対関係にあるのだ。盗賊団最大の功労者が自ら、その組織を潰しかけたのである。あまりに飛躍した成り行きだ。
サーベルに手を置いたまま、ひとまずは黙っていることにした。
やがて帽子屋が薄く口を開く。
「ウォルターか……?」
帽子屋はウォルターを覚えている。その事実は、タソガレ盗賊団を発展させてきた記憶も明確に残っていることを示していた。
「そうだ、ジャック。あんたの部下のウォルターだ」
押し殺そうと努力しながらも感動が漏れ出ている。そんな声だった。ウォルターは堪えきれなかったのか、喘ぐように言葉を続ける。「どうしてハルキゲニアにいるんだ。なんで――タソガレ盗賊団を襲ったんだ」
「ハルキゲニアの敵だからだ……」
帽子屋は短く答える。そもそもが多くを語らない性格なのだろう。だが、それで充分な答えだった。タソガレ盗賊団がグレゴリー派に舵を取られ、『ユートピア号』を襲撃した事実は消えない。一度損害を被った以上、女王側は無視出来ないだろう。そして帽子屋は現在、ハルキゲニア騎士団の団長という小さくない役割を担っている。私情で見逃すことなどしない。おおよそそんなところか。
「グレゴリーのいいようにされちまったのは俺たちの責任だ。見逃してくれとも思わない。俺が知りたいのは二つだ。どうしてタソガレを離れた? どうしてハルキゲニアなんかにいるんだ?」
帽子屋と打って変わって、ウォルターが捲し立てる。
返答はやはり、短いものだった。「こっちには先があるからだ……」
あまりに断片的な言葉である。未来、という意味だろうか。ビクターのような人間が所属する場所に未来など感じようもないのだが。口を挟みたい気持ちをぐっと堪えて、二人の言葉に耳を傾ける。
「タソガレ盗賊団に先がないって言うのか?」
ウォルターは沈痛な面持ちで問う。
「そうだ」
帽子屋の返事は冷然たるものだった。つけいる隙もない。
隣を見ると、ウォルターが拳を握るのが分かった。彼は奥歯を噛みしめて俯いている。
「……グレゴリーはもうボスじゃねえ。今は俺が牛耳ってる。……あんたのはじめた魔物警護のビジネスで縄張りを守っていく方針に転換したんだ。これから俺たちはどんどん手を広げて、この地域一帯を全部守れるようにするつもりだ。今はまだタソガレ盗賊団の看板を掲げているが、いずれ名前も変わる。俺たちは守護者になるんだよ。……それも全部、あんたのお蔭さ。あんたの残したシノギは真っ当だ。人を救って金を得る。充分なんだよ、それで。……俺たちは、いや、俺はずっとあんたの背中を追ってきた。フェアネス、ボーダーレス、スマート。あんたが残したポリシーだよ。覚えているか?」
「記憶している……」
帽子屋は静かに答えた。その口調には、過去のポリシーに対する冷めた感覚がありありと表れていた。
「あんたが今やってるハルキゲニアの仕事は、ポリシーに沿ったものなのか?」
「違う……。過去の遺物で俺を語ろうとするな……」
「……あんたにとっては過去のことかもしれないが、俺たちはずっとジャックの教えを信じて進んできた。あんたを責める気はない。けれどもし、あんたがもう一度タソガレ盗賊団に戻ってくれるなら、俺は命を賭けてでも先を見せてやる」
未来。展望。帽子屋が見出せなかったそれをウォルターに作り出せるというのだろうか。はなはだ疑問ではあったが、ともあれ元の鞘に納まってくれれば一番だ。
ウォルターは真っ直ぐに帽子屋を見つめている。その心には様々な感情が渦巻いていることだろう。ハルキゲニアに与したことや、ポリシーをもはや信じていないことに対する失望。それでも消えない尊崇の念。もう一度ともに歩んでいきたいという願望。
暫しの沈黙のあと、帽子屋はゆっくりと足を踏み出した。不穏な様子はない。彼の表情は先ほど同様、落ち着いた静けさを湛えていた。レイピアにも、魔具であるシルクハットにも手を伸ばす動作は見られない。
それでも、咄嗟に身体が動いていた。
ウォルターの前に立ち、サーベルの柄を握る。すると、帽子屋は足を止めた。ぎりぎり攻撃圏外だ。一歩踏み出せば斬り付けられる距離ではあったが。
「クロエ……警戒する気持ちは分かるが、邪魔しないでくれ」
ウォルターの威圧するような声が背後から聴こえ、次いで肩を掴まれた。握力を抑えてはいるが、怒りや不快感が存分に籠った掴み方である。
一瞬の葛藤が生まれた。譲るべきか否か。その隙を突くように、わたしの身体を押しのけてウォルターが前へと出る。
それを確認した帽子屋は、さらにウォルターへと踏み込んだ。一メートルもない距離で相対する二人を見て、胸騒ぎを感じる。
意を決してサーベルを抜き放った刹那、それは起こった。
「ジャック……どうして……」
帽子屋の腕が瞬時にレイピアへと伸び、ウォルターを串刺しにしたのだ。彼の口からは疑問と一緒に血が零れた。
どうしてこんなことになるんだ。元々仲間だったのではないのか。
帽子屋へと距離を詰め、サーベルを振り下ろした。
――斬撃は空を斬った。帽子屋はこちらの動きに合わせるように後退したのである。レイピアが抜かれ、ウォルターの傷口から血が迸った。彼は膝を折り、そのまま脱力していく。
倒れかけたウォルターの身体を支え、帽子屋から距離を取った。奴は追撃する様子は見せず、ただ冷淡な無表情のままである。ウォルターを壁際まで運び、ゆっくりと床に寝かせた。
そして、帽子屋と対峙する。
「……昔の仲間じゃなかったの?」
帽子屋は平然と「今は敵だ……」と返した。そして短く続ける。「命を賭けると言うなら、傷は覚悟の上だろう……」
「不意打ちなんて、随分とアンフェアね」
「敵に容赦してどうする……」
帽子屋にとっては元々仲間であった事実よりも、今敵として対峙していることのほうが重要なのだろう。過去のポリシーは捨て去り、彼の刃を鈍らせることはない。
「クロエ、だったか……。お前も女王の敵らしいな……。女王はお前のことなど知らんようだ……」
前回帽子屋が退いたのは、わたしが女王の関係者なのではないかと読んだからなのだろう。馬鹿馬鹿しい想像だ。わたしはあらゆる意味で、女王を含め、その手下をしている人間と敵対関係にある。
「そうよ。だから、あなたにとっても敵でしかないわ。……容赦なんていらない。わたしも全力を出すつもりだから」
大扉の先の魔力を思い、気を落ち着かせる。どうしたって焦りがちな気持ちを一旦は冷静にしておく必要がある。
帽子屋とは『アカデミー』で一戦交えているのだ。簡単に討ち倒せる敵ではないことは知っている。
容赦なく、本気で戦うべきだろう。
扉の先。罪のない子供たちを救い出すために。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。本名はジャックであり、『タソガレ盗賊団』元リーダー。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照
・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『グレゴリー派』→タソガレ盗賊団の過激派グループ。詳しくは『45.「ふたつの派閥」』にて
・『ユートピア号』→子供を乗せてハルキゲニアへ向かう馬車。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『ジャックの残したポリシー』→フェアネス、ボーダーレス、スマート。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』にて




