Side Leonel.「師に捧ぐ――憎悪と覚悟のうちに」
禁止魔術に関するレオネルの知識は、全て師からの口伝である。ドレンテがかけられた魔術が女王の支配魔術であることに気付いたのもその知識のおかげだった。
禁止魔術のなかで師が実際に使用出来たのは吸収魔術のみである。
ひと口に吸収魔術といってもバリエーションがある。レオネルが使用した輪廻の壁は防御魔術との複合で初めて成立するものだ。六角形の防御壁に吸収魔術を籠め、敵の攻撃を吸収する。輪廻の壁は消滅とともに吸い込んだエネルギーを放出する仕組みになっており、したがって防御魔術であるにもかかわらず攻撃を兼ねることが出来るのだ。
輪廻の壁――否、吸収魔術によって吸い取れる対象は決まっている。魔術か呪術。それのみだ。しかし、呪術を使う魔物は決して多くない。
師は決して、吸収魔術が創られた背景を語りはしなかった。ただ、レオネルは薄々感付いている。創られた背景と、禁じられた理由。この二つは重なり合うものであろう。
対魔術師のための魔術。どこの誰が着想し、創り得たのかは知りようがないが、吸収魔術は魔術師を蹂躙するための意図があるように思えてならない。あらゆる魔術を吸収してしまう様は、魔術師全般に対する敵意が感じられた。
『お前が吸収魔術を使うときは、間違いなく魔術師を相手取ったときだろう。魔術で人を傷つけるなど看過出来ない。が、もし使わざるを得ない人間に相対する場合は、一切の容赦を持ち合わせず、魔術師をやめる覚悟で使うといい』。
師が厳格な口調で告げたのを覚えている。それ以来、こうして老いさらばえるまで教えを守ってきた。
階段に身体を預けて荒い呼吸を繰り返すグレイベルを見据える。
「人に向けることを躊躇わない貴様の魔術なんぞ、児戯だ」
レオネルは吐き捨てるように言う。するとグレイベルはゆっくりと立ち上がり、口を歪ませた。
「師匠に教わった魔術ですよ。……児戯なものか」
「人に向けていいと教えた覚えはない。貴様は魔術師失格だ」
グレイベルは俯きがちにレオネルを睨んだ。その瞳は暗く濁っている。責任転嫁と手を取り合った憎しみがその目に表れている。
「自分が得た物をどう使おうと自由です。……師匠は頭が固すぎる。皆が魔術文明の恩恵に預かればいいだけの話ではないですか。誰もが力を持ち、互いを牽制する事によって平和が維持されるのですよ」
「詭弁だ」
「いいや、現実です」
グレイベルの言葉に偽りの響きはなかった。あるいは、その詭弁を頭から信じ込んでいるのだろうか。自分に暗示をかけ続け、それが暗示かどうかも分からなくなった瞬間、真意など闇の奥に消えてしまう。
「それらしいことを言ったところで貴様の醜悪さは誤魔化せんぞ。はじめ貴様は強い者の側だとべらべら喋ったではないか。牽制だのなんだの言いながら、結局は他者の蹂躙に快楽を感じる悪党でしかない」
グレイベルが一歩、レオネルへ近付いた。不確かな足取りだったが、傷のためとは思えなかった。内心の衝動に引きずられて踏み出したような、そんな具合である。
「いくらでも罵ってくれてかまいません。僕は安全に生き続けたいだけなのですよ」
「女王の膝元で処刑を担うことが、貴様にとっての平穏な人生なのか?」
レオネルがぴしゃりと言い放つと、グレイベルは額を抑えて力なく笑った。乾ききった声で。
「はは……。処刑だのなんだのはただの仕事です。いいですか。人は役割によってどこまでも残酷になります。なぜなら、役割に忠実であるだけだからです。そこに心情を挟まないのが本当の仕事人でしょう? ……誰しも大なり小なり役割にもとづいて他者を損なっているんですよ。僕はずっと損なわれてきた。生まれも卑しく、見ての通り小柄だ。そんな人間がどんな子供時代を送るか……想像出来るでしょう? しかし、僕は恨みません。彼らは役割に忠実だっただけなんです。僕は被虐者の役で、彼らは加虐者の役……。ところで、人の役割なんて簡単に変わってしまうものですね。僕は魔術師になってから――」
「黙れ。貴様の独白に価値などない」
断ち切るかのごとくレオネルは言葉を発した。グレイベルは語るのをやめ、冷めた目付きで老魔術師を見据える。
「……師匠は正しい。相容れない人間といくら対話したって無駄ですね。本当にそうだ……。あなたなんてハルキゲニアの外でくたばってしまえばよかったんだ」
グレイベルの言葉に、レオネルは違和感を覚えた。当初は師を超えるために再会を喜ぶような戯言を口走ったくせに、今となってはこの有様である。感情の起伏のせいだろう。不安定な精神は言葉を濁らす。
「師匠と話しているとほとほと落ち込みますよ。まるで岩石と喋っているみたいだ。なんの意味もありはしない」
言葉を切ると、グレイベルは長いまばたきをひとつした。直後、両手を天へ振り上げる。上空に魔力が凝縮されていくのが見えた。
「師匠……! 僕は強くなりました! あなたなんて目じゃないくらいに……。あのわけの分からない防御魔術なんて簡単に砕いて見せますよ!」
「やってみろ」
レオネルはいつでも防御魔術を展開出来るよう、意識を研ぎ澄ました。グレイベルの魔力はどんどん大きくなっていく。やがて彼の頭上に橙色の巨大な魔球が出現した。
「高次爆裂魔球……。僕がつけた名です。いかがですか? これほどの爆裂魔術は目にしたことなんてないでしょう」
「高次爆裂魔球か。下らん名前だ」
グレイベルの顔面に力が入る。振り上げた彼の腕がゆっくりと、物を放るように振り下ろされた。その動きに合わせて巨大な爆裂魔球が迫って来る。動き自体は緩やかであったが、直進するにつれて肥大していった。
呼吸を整える。身の内に流れる魔力の動きを意識して、手のひらに集中させる。ほとんどの魔術は手のひらか指先を通して注がれた魔力によって発現する。基本中の基本なのだが、魔術師の中には別の発現方法へとシフトしていく者もいた。レオネルは長い年月、手を介して魔術を発現させてきた。何度も夜を超え、着実に技術を高めていったのだ。ゆうに五十年を超える年月、ずっと同じ方法を取り続けてきた結果、息を吸うように魔力を集中させ、大規模な魔術であっても容易に創り出すことが出来るようになっていたのである。だからこそ巨大な魔術を相手にしても一切怯むことはない。
「輪廻の壁」
その言葉とともに、レオネルの前方に六角形の防御壁が現れる。先ほど同様、波紋を湛えた壁だったがサイズがまるで違っている。グレイベルの高次爆裂魔球に匹敵する大きさだった。
レオネルは沈黙して前を向いていた。グレイベルの魔術と、こちらの防御魔術がぶつかり合う瞬間を見逃さぬよう。
やがて両魔術は激突した。煙が濛々と上がり、そして――。
りぃん。
鈴の音が響き渡り、煙もろとも高次爆裂魔球は消滅した。レオネルは傷ひとつない防御魔術越しに、口元を引き締めて感情を抑えるグレイベルを見た。
「どうした? 儂を超えるのではなかったか?」
グレイベルの目付きが、すっ、と鋭くなり、彼の周囲に次々と真っ赤な魔球が出現した。練度を下げて生成速度を上げた即席の爆裂魔球……。レオネルはどこか虚しい気分でそれを見つめていた。
目の前の元弟子は闇雲に魔術を練り上げ、同じく闇雲に放出する。それらは輪廻の壁にぶつかると同時に鈴の音を残して消えていく。
りぃん、りぃん、りぃん、りぃん――。
彼の必死の抵抗は凛とした音を鳴らすだけの効力しか生まない。それを知ってなお撃ち続ける理由はなんだろうか。諦めが悪いのか、それとも――。
「もうたくさんだ」
レオネルはうんざりした口調で呟き、両手を重ね合わせる。そして輪廻の壁に推進力を加えるべく、右手を引いた。
「待ってください!」
グレイベルの叫びが聴こえ、レオネルは仕方なしに動きを止めた。グレイベルは汗の滴る顔を拭いもせず、狂気的な目付きで続けた。「師匠の防御魔術は僕の攻撃を保存するか維持するか……仕組みや実相は知りませんが、ともかく、僕の魔術を溜めておく力があるのでしょう? なら! なら、今放出したら師匠も無事ではないでしょうね、きっと。それだけの爆裂魔術を撃ち込みましたから。だから今すぐ――」
レオネルは「笑止千万」と、彼の言葉を遮った。
「相討ちの覚悟ならとっくに出来ておる。その程度の決意なしに貴様の前に立っていると思ったか? グレイベルよ」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。防御魔術の使い手。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『禁止魔術』→使用の禁止された魔術。王都で定められ、王都の周辺地域にのみ浸透しているルール。
・『呪術』→魔物の使う魔術を便宜的に名付けたもの。質的な差異はない。初出は『4.「剣を振るえ」』
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダーであり、アリスの父。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『支配魔術』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。詳しくは『117.「支配魔術」』にて
・『グレイベル』→ハルキゲニアの防衛を担っていた魔術師。女王の軍門に下った。レオネルの弟子。詳しくは『111.「要注意人物」』にて




