18.「幸せな時間」
「ぴったりでスネ」
ネロはニコニコと微笑んでいる。ハルはいつもの無表情だが、きっと内心ではニヤついてからかい文句を考えているのだろう。
「素敵でスヨ、メイド騎士サン」
ほら、やっぱり。
リッチとの戦闘で泥だらけになった服は、庭で風に揺られていることだろう。乾くまで裸でいるわけにもいかないので、ハルが予備のメイド服を貸してくれたのだ。
「どう? 似合ってるかしら、ネロ」と聞くと彼はニコニコと頷いた。「それは良かった。きっとハルお姉ちゃんはばかにしてるけど」
「似合ってまスヨ、メイド騎士サン」
ハルを指さして、ほらみろ、という風に肩を竦めて見せるとネロはクスクスと笑った。
彼につられて頬がゆるむ。
あと数時間で、この日常から去らなければならないことが信じられないくらいだ。
あの夜から三日間、わたしはベッドで身体を休めていた。疲労はともかくとして、身体の痛みが消えるまでにそれくらいかかってしまったのだ。生傷の絶えなかった騎士見習い時代を思い出したものである。
魔物増加の責任について、ハルはもう気にかけていないようだった。逆に「半分は自分に責任がありますカラ。押しつけてすみまセン」と謝られてしまった。どういった原理なのか正確には分からなかったが、転移魔術と死霊術師の魔具が干渉し合い、あるいは反発し合って、結果としてクレーター並みの魔術痕を残すに至ったのだろう。
ハルは相変わらず、ネロを寝かしつけてから戦いに出る。今までとなにも変わらない日常。ただ、ネロが自分の本当の魔術を知ったからか、はたまたハルと一緒に戦うと決意したからなのか、彼女の魔力は増幅していた。これならなにも心配いらないだろう。四日目の晩からわたしも加勢したのだが、今のハルはたとえグール百体に囲まれても全て蹴散らすのに長い時間はかかるまい。正直、騎士として充分やっていけるくらいの強さだ。
魔物の姿が見えなくなると、わたしたちは夜明けまで話を続けた。メイド的な生活についてだとか、料理のことだとか、他愛ないことばかりを。
視覚共有についても、ハルは話してくれた。曰く、盗賊時代の相棒と視覚共有を使っていたらしい。「ろくでもないことにしか使いませんでしたケド」と呟く彼女は、どこか寂しそうだった。戻れない過去を見つめて切なくなるのは、誰しも同じだ。わたしだって、どこかの幼馴染のことをずっと引きずっている。
アカツキ盗賊団。それがハルのいた場所らしい。孤児を引き取っては盗賊として育てる、そんな集団。なぜ魔具回収に向かったハルを四年も放置したのか、それについては「見当もつかないデス」としか言わなかった。
あの月夜の晩、男は語った。
奴が雇われた組織が王都までの道――とりわけ『関所』と呼ばれる、辺りを険しい岩山に囲まれた一本道を主な縄張りとしていること。つまり、連中に上手く取り入ることができなければそこを突破することは難しいわけだ。迂回しようとすれば、草木の生えない荒涼たる岩場を何日もかけてさまよい歩く羽目になる、というのが男の言葉だ。眉唾な話である。
とはいえこちらに拒否権はなかった。体面上だけでも従っておかなければ、あの男がなにを仕出かすか分からない。それこそ、ハルやネロに影響が出ないとも限らないのだ。口では慈悲深さを強調してみせるのだが実際は手段を選ばないだろう、あいつは。
その組織がなぜわたしに興味を持ったのかは分からない。奴が言うには「あの連中は好奇心で動いているんですよぉ。だから、理性で解答を見つけようったって無駄ですなぁ。まあ、裏を返せばお気に入りにさえなってしまえば多少なりとも融通は利くでしょうねぇ」ということらしい。どこまでが本当かは考えても仕方がない。
本音を言えば、ネロやハルと、いつまでも平和な日々を送っていたかった。けれども、わたしは行かなければならない。そう遠くない未来、魔王が本格的に動き出すだろう。それを阻止することは、ひいてはこの平和な日々を永遠に保つためでもある。
「似合っていたのに、残念デス」
ハルは素っ気ない口調で言う。どうせだからメイド服で旅をしてはどうか、との謎な提案があったのだが、無論断った。すると、スコップを持っていってはどうかと、これまた妙な申し出があったのだが同じく断った。
すっかり綺麗になったシャツとスカートを身につけ、わたしは一回転してスカートを広げる。そして会釈をひとつ。
「……誰の真似をしているんデス?」とハルが訝しげに言う。
「誰だろうなー。分かるかしら、ネロ?」
ネロはクスクス笑いながら「誰だろうねえー。誰かさんだろうねえー」なんて乗ってくる。
それから、わたしたちはあれこれ喋りながら丘を下った。幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう。苦しい時間はとてつもなく長く感じるのに。
「……クロエ」
「なに?」
ハルに呼びかけられ、街道の手前で立ち止まった。街道を挟んで向かい側には、例の男がぼんやりと空を仰いでいる。わたしたちのほうは見ていない、というより見ない振りをしているように思えた。配慮があるのかないのかはっきりしない男だ。
「ワタシの代わりに行かせるようで、本当に……」
「いいの」と遮った。ハルに謝ってほしくなんてなかったから。せっかく掴んだネロとの未来を、妙な後悔で曇らせてほしくない。「どうせグレキランスまでの通り道だから。ついでみたいなものよ」
ネロが俯いていたので、気まぐれに頭を撫でてみた。以前のように、びくりと跳ねることもなければ、ハルのもとに逃げることもなかった。
「ネロ」
「……うん」
消え入りそうな声だった。
「あなたがピンチのときは、無理しないでハルに頼るのよ。今までよりも、もっとね。でも、ハルが辛そうなときにはネロが助けてあげてね」
ネロは顔を上げ、きゅっ、と口を結んで頷いた。健気な子だ。
「約束だよ」
「うん!」
ようやく元気な声が聞こえて、ほっとした。
今度はハルへと向き直る。
「ハル」
「なんでショウ」
「もし……この先本当に大変なことが起こったら、王都へ来て。そこだけは、絶対に安全だから。いや、安全にしてみせるから」
「よく分かりませンガ……そうしまショウ」
「ありがとう――元気で」
別れを告げると、二人に背を向けて歩き出した。
「また会いにきてくだサイ」
「お姉ちゃん、絶対また会おうね!」
振り向かず、歩みを止めず、二人に分かるように手を振った。
街道のなかほどで涙を拭い、前を向く。向こう側にはあの男がいて、後ろにはハルとネロがいる。平和と騒乱、幸福と苦痛。そんな想像をしながら街道を渡り切った。
男はわたしを一瞥すると、ぼそりと呟いた。「お別れはもう済んだので?」
「いつまでも立ち止まっているわけにはいかないわ。それに、もう二度と会えないってわけじゃないから」
「甘ちゃんですねぇ。……いえ、そういう希望は大切だと思いますけどね。……それでは行きましょう」
空は晴れ渡り、風は澄んだ香りを運んでいた。
【改稿】
・2017/11/27 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。




