Side Leonel.「レオネルの誤謬の時代」
十年も前のことだ。
その日、レオネルは珍しくハルキゲニアの商店を回っていた。目的は紙とインクである。魔術や魔物に関して記した書物は既に二十冊を超え、師から引き継いだ本を合わせると本棚は埋まりつつあった。魔術師の仕事は、魔物から人々を守ることだけではない。その生涯で得られた魔術のノウハウ及び魔物の生態に関して後世に遺すこと。それがなによりも重要だった。
人の一生はあまりにも短く、次の世代でも魔物との戦いは続いていく。ひとりの魔術師が一生をかけて研鑚した魔術と蓄積した知識は、しかるべきかたちで継承しなくてはならない。それがレオネルの哲学であり、書物の形態は彼にとって最も信頼に足るものであった。
贔屓にしている紙屋の店主から紙束を、染物屋からインクをそれぞれ譲り受け、帰路を辿っていたときのことである。後ろから呼び止められた。
「れ、レオネルさんですよね!?」
年端もいかない少年だった。頬を真っ赤に染めており、はにかみ屋が懸命に声をかけたといった印象である。
「いかにも」
レオネルが答えるや否や、彼は深々と頭を下げ「弟子にしてください!」と叫んだのである。無視して帰ろうとすると、少年はちょこまかと駆け、行く手を遮るように立ちはだかった。そして今度は地に頭を擦り付けたのである。そうして「お願いします!」と懇願する彼に、レオネルは心底困ってしまった。
「どうして弟子になりたいのかね」
訊くと、少年は顔を上げて真っ直ぐにレオネルの目を見つめた。「魔物からハルキゲニアを守りたいんです。皆が安心して暮らせるように」
「儂らに任せておればいい」と返して歩みを再開する。しかし少年は足元に縋りついたのだった。
レオネルはほとほと呆れてしまった。なにが少年を駆り立てるのかが見えてこないのだ。そのくせ、ただただ「お願いします」と繰り返すのだから堪らない。住民たちが視線を向けているのが分かり、レオネルは困り切ってしまった。とにもかくにもこのままにしておくわけにはいかないので、小屋まで来るように告げたのである。
すると少年は嬉々としてレオネルの一歩後ろをついて来た。子供たちの度胸試しにしてはしつこい。なら、本当に魔術師を目指して弟子入りを志願しているのではないだろうか。そう考えると、レオネルは一抹の寂しさを覚えた。
小屋に戻ると、少年は早速本棚に駆け寄ったので一喝した。放っておいたら小屋中引っ掻き回されかねない。レオネルは少年に諭すように「君は魔術師にはなれんよ。分かったら街に戻りなさい」と告げた。
それ自体は嘘だったのだが、そうしてでも彼を帰す理由があったのだ。
ひとつは、あまりに過酷であること。夜毎の戦闘は、命を磨り減らしながらも決して倒れぬ覚悟が必要だった。自分の後ろには何百人もの無力な生活者がおり、自らの敗北や死によって彼らの命は脅かされる。悲鳴をあげる肉体に鞭打って夜を超えねばならないのだ。
もうひとつの理由は『孤独』である。ハルキゲニアの防衛は東西南北それぞれに配置された魔術師が担っている。つまり四人の魔術師が都市を守っているのであるが、議会以外で顔を合わせることはない。まして最も味方の必要な夜間の戦闘は、絶対にひとりきりである。膝を折りそうになる孤独とも戦わねばならない。
孤独と魔物。二つの強敵に勝てるようになるには、平穏な生活や豊かな眠り、そして家族との別離を乗り越えねばならない。単なるヒロイックな衝動だけで担える仕事ではないのだ。相応の重責を理解しないうちは決して魔術師になどなるべきではない。
しかし少年は頑として譲らなかった。弟子入りを認めてくれるまでは家に戻らないと言い張るのだ。覚悟は出来ているとまで断言して。
レオネルは仕方なしに彼の弟子入りを認めた。しかし、見込みなしと判断したときには破門すると釘を刺して。
ハルキゲニアの夜に対抗出来そうになければすぐに破門するつもりだった。まずは魔術の基礎を教えると、彼はすぐに呑み込んだ。座学は非常に優秀である。加えて、肉体の魔力量も常人よりは多い。ただ、実践はなかなか実を結ばなかった。魔球ひとつ創るのに半年も必要としたのである。
魔球は魔術の基礎の基礎である。魔力の凝固のみで創り出せる稀有な魔術だ。それを放射したり維持したり、あるいは任意の場所に発現させるのは応用段階である。凝固すら出来ないとなれば、他の魔術はとてもじゃないが会得出来ないだろう。破門しようかと思ったのだが、少年の必死な様子に気圧されて言い出すことが出来なかった。
半年が経過してようやく魔球を会得すると、彼はコツを掴んだのか、魔球を増やすことも放射することも楽に身に着けていった。そこでレオネルは最も得意とする防御魔術の方面を伸ばそうとしたのだが、これはあまり実を結ばなかった。勿論、基礎的な防御膜を張ることは出来たものの、随分と不安定だったのである。それでも腐ることなく彼は修練を積んだ。
二年経つ頃には、少年は夜間の防衛を担えるまでに成長していた。想像したよりもずっと成長速度が速い。その頃には小屋にある書物のほとんどを少年は読破していた。レオネル自身がそれを許したのである。基礎的な魔術を身に着けたあとは、いずれかの方面に特化していくのが原則だ。そのヒントは自分で掴まねばならない。
肉体に溢れる魔力と、特定の魔術の相性。それは他人が見極められるものではない。本人が自力で見出すほかないのだ。
彼が特化させたのは爆裂魔術だった。非常に高い技術を用いる魔術である。凝縮した魔力を凝固させ、特定のタイミングで膨張させる必要があった。それなりの破壊力を持たせるためには凝縮させる魔力量も、それを膨張させる呼び水としての魔力も大きくなければならない。
言うまでもなく、はじめは上手くいかなかった。彼自身も随分と苦戦しているようで、あれこれと理論を捏ね上げては実践し、失敗する。その繰り返しだった。
彼の爆裂魔術が成功したのは、レオネルの関知しない場所でのことだった。
少年は市街地で魔術を使ったのだ。それも、人間相手に。
「苛立っていたんです。上手くいかなくて」
彼はそう言い訳した。加えて、魔術が暴発した、とも。笑止千万である。魔術は勝手に放出されることなどほとんどない。ましてや爆裂魔術が暴発するなどありえないことだった。バランスとタイミング。そして確かな魔力の集中が必要な魔術が勝手に発動されてしまうことなど皆無である。
少年は明確な意志を持って、魔術を使用したのである。聞くところによると、爆裂魔術によって傷を負った相手は少年をいじめていた同年代の男の子であるらしい。
「衝動に身を任せるなど、魔術師失格だ。二度と儂の前に顔を見せるでない」
言い放つと、少年はレオネルを睨んでひと言も口を開かなかった。
それから彼は別の魔術師に師事した。彼が弟子入りして間もなく、その魔術師は亡くなったらしい。らしい、というのは死体がなかったからである。少年が言うには魔物に食われて跡形もなくなったとのことだった。
見え透いた嘘だ。
彼が師事した魔術師は肉体強化を専門分野としていた。鋼のごとく肌を硬化して戦うスタイルである。倒されることはあっても食われるなど考えられない。
レオネルはひとり疑いに呑まれながらも、死んだ魔術師の跡を継いで議会に席を得た少年――その頃には青年と言える年齢だったが――を受け入れたのである。死体が存在しない以上、彼はいくらでも言い逃れ出来たし、レオネルとしても過剰な疑いをかけて彼を刺激するような真似はしたくなかった。
いつか疑いの決着をつける必要があろうと思ってはいたのだが、なかなか機会は訪れず、レオネル自身もこのままハルキゲニアの平和が維持されれば構わないとまで思い始めていた。
そんな矢先、女王が現れた。結果として彼は軍門に下り、レオネルは排斥された。
女王の手先になった彼は積極的に処刑や拷問を買って出たとの話である。彼が胸に抱いていた加虐心や、自分を苛んでいた存在への復讐心に気付けていればこんなことにはならなかった。何度そう思ったか分からない。
女王を討ち、革命を為す。その目的の過程で、必ずや元弟子であるグレイベルの息の根を止める。
レオネルにとってそれは贖罪であり、師としての責任であった。
そして、魔術を穢した存在に対する個人的な復讐でもある。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。防御魔術の使い手。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『グレイベル』→ハルキゲニアの防衛を担っていた魔術師。女王の軍門に下った。レオネルの弟子。詳しくは『111.「要注意人物」』にて




