Side Alice.「姉弟の情とアリス」
とんでもなく強い魔力を帯びたなにかが落下してくる。それも、猛スピードで。
崖下の闇のなか、白のドレスが閃いたと思うや否やそれは地面に激突し濛々と土埃を上げた。
「な、なんなんだ」とアーヴィンが動揺した声を漏らす。どうも彼は周囲を見ていない、とアリスは呆れかえった。鋭いように見えて抜けているし、臆病なくせに変に勇敢だ。
「『白兎』だよ、アーヴィン」
「え、どうして」
彼は靄のなかを目を凝らして見つめた。やがて土埃が晴れ、仰向けに倒れた『白兎』の姿が現れる。生きているのか死んでいるのか分からない。アリスは崖の上を見上げる。何メートルあるのかは知らないが、あのスピードで落下したなら良くて重症だろう。
それにしても、とアリスは口角を上げる。落下速度を鑑みるに、『白兎』は間違いなく叩き落とされたのだろう。『関所』で目にした口の悪い金棒女と、やたらに澄ましたメイド。『白兎』――ルカを倒すなんてやるじゃないか。
「姉さん……?」
『黒兎』の声が聴こえ、アリスは崖下に視線を戻した。彼は未だ騒音魔術のなかにいるだろうに、真っ直ぐに姉を見つめて、じりじりと這い寄った。
「アーヴィン。魔術を解除しな」
「どうして?」
「いいから、解除するんだよ」
命じると、アリスは二人へと歩みを進める。痛みは継続していたし、気怠さが全身を包んでいた。
『黒兎』は姉の身体に恐る恐る触れ、「姉さん? 姉さん……」と呼びかけている。その瞳は先ほどとは違った見開かれかたをしていた。身内の死に恐怖する眼。後悔と無力感に呑み込まれる一歩手前の色合いの瞳。彼は姉の手首を取り、心臓に耳を押し当て、それからまた脈を取った。
「どうだい? 生きてるかい?」
ゆっくりとアリスを見上げた『黒兎』の目は、銃口を捉えただろうか。自分と、そして姉に向けられた双つの魔銃を。
彼は口元を緩めてただ沈黙している。その瞳に敵意は見られなかった。
「生きてるのか、死んでるのか。お姉さんにも教えて頂戴よ」
引き金に指をかける。『黒兎』が短く息を吸うのが聴こえた。「生きてる……。生きてるから……」
「生きてるから、なんだい?」
『黒兎』の目が潤んだ。アリスはそれをじっと見つめている。なにも思わず、ただ冷徹に。
「生きてるから、姉さんは殺さないで……」
それまでの彼の態度からは考えられないような声音だった。時計塔のときの嘘泣きとは大違いだ。確かに情感は籠っている。演技とも感じられない。ただ、それで容赦するかどうかは別問題だ。
「お姉ちゃんの代わりにあんたは死んでもいいのかい?」
「構わない」
即座に返ってきた答えに嫌気が差す。アリスは小さく舌打ちをした。どいつもこいつも人のためなら死んでも構わないなんてぬかしやがる。
「ルカを殺すかどうかは、クラウス、あんたの態度次第で考えてやるさ。まずは身に着けた武器を外すことだね」
あえて本名を出しても、『黒兎』はたじろぐ様子を見せなかった。上目遣いにアリスを見て、ゆるゆると自分の服に触れる。上着を脱ぎ、シャツのボタンを外すと案の定、複製ナイフに身体が覆われていた。柄の部分を糸で括って、鎖帷子に繋いでいる。刃が肌に刺さらぬためと、組み上げやすくするための工夫だろう。子供っぽい工作と一蹴するには出来が良かった。
『黒兎』は帷子を脱ぎ、アリスの足元に放った。痩身の生白い身体である。
「クラウス坊や。ひとつ教えておくれ。あんたの魔具……本体はどれだい?」
銃口を二人から外すことなくアリスは問う。『黒兎』は帷子から一本のナイフを抜き取り、柄をアリスに差し出した。その目は相変わらず潤んでいる。
「魔具の本体が分からないほどあたしは馬鹿じゃないよ。本当にそれで構わないんだね? 答え次第ではルカお姉ちゃんが死ぬよ」
彼は鼻を啜り、「これが……本体だよ」と小さく答えた。
今の彼に、姉の命と魔具を天秤にかけるなんてことは出来ない。ただ言いなりになるしかないのだ。だからこそ、アリスは満足と苛立ちの両方を覚えた。征服による悦びと、敵が消えたことの腹立たしさ。
『黒兎』に向けた銃口を外し、小指と中指の間で魔力写刀を受け取る。それは確かに、他の複製品と趣が異なっていた。刃の部分に曲線的な装飾が彫られている。おそらくクロエが確認すれば一発で本体だと判断しただろう。あまり誉めたくはなかったが、魔力の察知にかけては一級品だから。
おまけに、柄の部分には小さく名前が彫られていた。カルマン。知らない名前だ。
さて。もう少し聞いておきたいことがある。
「この玩具は誰からもらったんだい?」
「博士から……」
「博士ってのはどこのどいつだい?」
「ビクター」
やっぱりそうか、とため息をつきたくなる。ビクターを直接目にしたのはクロエとともに『ラボ』を襲撃したときが初めてだった。あの短時間で、ビクターの救いがたさは存分に経験している。魔物を人間に変え、道具のように扱った。逆もまたしかり、子供たちをグールに変えることだってなんの抵抗もない。そんな科学技術なんて知りもしなかったが、ビクターが実現してみせた光景は幻ではなかった。そして、クロエがご執心の坊や――ノックスと言ったっけ――は奴の手の内にある。考えるだけで胸糞悪い。
「じゃあ、これはビクターが造った魔具ってことかい」
『黒兎』は曖昧に頷いた。「分からない……」
「なら、カルマンって名前に憶えはあるかい?」
「知らない……」
明確な返事がほしかったのだが、今の彼に言葉を偽る力はないだろう。すると、本当に知らないのだ。複製、推進力の維持、追尾能力付与、動きの連動、推進力の復旧……。ざっと考えるだけでも盛りだくさんの魔具。これが彫りつけられた名前――カルマンの盗品であることを願った。もしビクターが造ったとなれば、恐ろしいほどの技術者である。
「さて、と」
アリスは銃口を『黒兎』の額に押し当てた。「聞くべきことは聞いたし、あんたとはそろそろサヨナラしたいんだよねぇ」
すると『黒兎』の目からぼろぼろと涙が零れた。
「なんだ、命が惜しいのかい」
「違う」と涙声で言うと、鼻を啜って続けた。「姉さんは殺さないでよぉ」
語尾が嗚咽と混じる。アリスは、自分の背後でアーヴィンが腕組みをしているのも気に入らなかった。どうしてか分からないが、クロエの顔が頭をよぎる。あの甘ったれの騎士。とんでもなく強いくせに、とんでもなく脇が甘く、情に絆されやすい。きっとクロエなら殺さないだろう。
けど、とアリスは思う。あたしは違う。今までのあたしは脅威になる相手、自分の魔術を見た敵、気に入らない手合い、道を塞ぐ連中、みんな殺してきた。今さら生き方を変えようだなんて思わない。正しいか間違ってるかなんて問題じゃないんだ。あたしがどうするか。それ以外にはどんなイデオロギーも必要ない。
「……弾が残ってるうちは、敵に撃たなきゃ駄目なのさ。あたしは優しくないからね」
そして引き金を引いた。
一発。
二発。
三発。
四発。
五発。
六発。
振り上げた両腕が痛む。魔弾は全て天へと消えていった。
「アリス……! なにを――」
動じるアーヴィンを横目で睨む。「うるさいよ。あたしはあたしの好きなようにやるのさ」
『黒兎』に視線を戻すと、彼はぽかんと口を開けてこちらを見上げていた。こうして見るとただの少年だ。半裸なのは致しかたないとはいえ、反吐が出るほど普通の子供だ。
「あいにく魔弾は撃ち尽くしちまったねぇ。残念だけど、殺す道具はナイフしかないときた。けどこれもあたしには使えない。魔術師が魔具を扱ったらどんな目に遭うか分からないからねぇ」
彼はひと言も口を利かず、呆然と目を見張っている。
「そんなにお姉ちゃんが大事なら、自分のコンプレックスくらいどうにかしな」
言い捨てて、アリスは城の方角へと足を向けた。なるべく痛みに顔を歪めないよう気をつけながら。
しばらく歩くと、アーヴィンがとことこと追いついてきた。
「良かったのか、見逃して――あいたぁ!」
アリスはぺちん、とカエル頭を叩いた。
「ケロケロ言いな。あんたはケインなんだよ。……その姿であたしに会ってからずっと、ね。これからもそうさ」
彼はしばし沈黙したのち、ためらいがちに頷いた。
「……分かったケロ」
随分と寂しげな口調だ。そういうところが女々しい。全く。
「で、見逃して良かったケロ?」
まあ、そう思うのも当然だろう、とアリスは振り返る。奴は女王側の人間で、生かしておくとなにを仕出かすか分からない。ビクターほどじゃないだろうけど、厄介な部類には入る。
アリスが沈黙していると、ケインはひとりで何度か頷いた。「アリスは優しいケロ」
全く。ため息が出てしまう。
「あたしは優しくないよ」
言って、アリスは風の音に耳を澄ました。――そこに混じる不純物にも。
「さっきの答えだけれど――」
アリスは振り向き、目の前に迫った一本のナイフを指で掴み取った。『黒兎』は今しもナイフを放った姿勢で固まっている。
下らない。本当に。
アリスは再び城へと身体を向けて歩き出した。
「――見逃すわけないじゃないか」
ぱちん、と指を鳴らす。すると、背後で六発分の弾丸が柔らかい肉体を蹂躙する音が聴こえた。
「よくて重症、悪けりゃ死体。まあ、あんたの勇気に免じてお姉ちゃんは殺さないでやるよ」
アリスのひとり言は夜気に溶けていった。
【アリス視点は終わりです。明日からはレオネル視点の戦闘になります。】
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『アーヴィン』→ハルキゲニアが女王に支配されるきっかけを作ったとされる人物。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『ケイン』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『関所』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『口の悪い金棒女』→ここではミイナのことを指している。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『やたらに澄ましたメイド』→ここではハルのことを指している。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』にて
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて
・『魔力写刀』→『黒兎』の持つナイフの魔具。複製を創り出す能力を持つ。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。本名はルカ。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『ラボ』→ビクターの研究施設。内部の模様に関しては『158.「待ち人、来たる」』参照




