Side Alice.「刃の渦のアリス」
「アーヴィン、防御魔術は使えるかい?」
彼は首を横に振った。アリスはため息を隠さず、肩を落とす。「それでよくあたしを助けるなんて言えたね。命がけで盾にでもなるつもりだったのかい」
「そうだ」
真面目くさって答える彼の執着に胸糞悪さを感じながらも、怒りは不思議と湧いてこなかった。
「しょうがない奴だね」
再びしゃがみ込み、彼の身体に手をかざす。すると、円錐形の防御壁が張られた。
「そこで寝てな」
アリスは立ち上がり、羽根布団にびっしりと貼り付いたナイフを見つめた。
ハルキゲニアを出た頃から、ある程度の防御魔術は使えた。幼い頃、父の反対を押し切って魔術師になるべく、街はずれの魔術師小屋に通ったのだ。てっきり派手な攻撃魔術を教えてくれるものだと期待していたのだが、師事したレオネルは身を守る術だけを授けたのである。攻撃魔術を教えろとせがんでも彼は頑として拒絶したのだ。その理由は、アリスには分からない。彼が防御魔術の専門家であったことは理由のひとつだろうが、攻撃魔術に関してもある程度のノウハウは持っていたはずである。いつか自立したら教えると、いつだってそうあしらわれたものだ。
僻地に放逐されてからの旅で、運良く女魔術師に師事することが出来た。しかし彼女も防御魔術しか教えてくれなかったのである。ぶつくさ文句を言ったらゲンコツが飛んできたが、それでも引き下がらず頭を下げたら、彼女は『防御魔術を完璧に覚えたら教えてやる』と約束してくれた。だからこそ必死になって防御を磨いたのである。そろそろ攻撃魔術を授けてくれるだろうかと期待を膨らませた矢先、彼女は死んだ。アリスにとって、あまり思い出したくない記憶である。
二人の優秀な魔術師によってアリスの防御魔術はエキスパートと称しても遜色ない領域に達していた。それを歯痒く思いながらも、唯一の攻撃手段である魔銃での戦闘に特化していったのである。
アーヴィンの防御に魔力を割いたところで、『黒兎』との戦闘に支障はない。無論負担ではあったが、些細なものだ。
アリスが羽根布団を解除すると、静止した複製ナイフは地に落ちた。が、『黒兎』は依然としてナイフを放ち続けている。大量のナイフが、間断なく迫ってきていた。
アリスは呼吸を整え、大きく旋回しつつナイフを避けて『黒兎』へと駆けた。
「つまらないお喋りは終わったのかな?」と彼は愉しげに叫んだ。
「あんたがヘボな攻撃しかしなかったお蔭でじっくり話せたよ。それとも、こんな攻撃しか出来ないのかい?」
崖に阻まれた狭い道では、それほど大きく旋回は出来ない。結局のところ、ナイフの雨を避けつつ前進するしかなかった。そしてそれらは後ろから追尾してくる。
「まだ本気で戦ってないよ? オネーサンはやっぱり馬鹿だね!」
「奇遇だねぇ。あたしも本気は出してないよ。すぐに終わったらつまらないからねえ」
『黒兎』は後退しつつ八の字運動を続ける。接近されていることに対する危機感だろうな、と考えてアリスは舌打ちした。
「複製同期!」と叫ぶ声が聴こえた。直後、彼の手元にある魔具が八つに増えるのがアリスの目に映った。これでさっきよりも接近が困難になる。少しだけ厄介だ。
「ほらぁ! 近付いてみなよ!」
『黒兎』の内心の焦りが見え、アリスは少しだけ愉快に思った。年端のいかない子供をいじめる趣味はないが、小生意気なガキを屈服させる悦びはある。
「言われなくても近付いてやるよ」
アリスは片手を前方にかざし、流線型の薄い防御魔術を張った。術者に合わせて移動してくれる優れ物だが、あまり頑丈ではない。これも使いどころが限られる魔術だが、『黒兎』のナイフ程度ならすぐに破壊されることはないはず。
アリスはスピードを上げて駆けた。防御壁に弾かれるナイフの音がけたたましく響く。『黒兎』には残り五メートルといった範囲まで接近している。腰のホルスターから魔銃を一丁だけ抜き去った。
奴の顔からはすっかり余裕が消え去っている。八の字運動を早め、ナイフの量を増やすことに専念している様子だ。彼の立場からするとそれが有効な策だろう。なぜなら防御壁には既にヒビが入っているのだから。
アリスは内心でほくそ笑んだ。予想通りじゃないか、クラウスちゃん。
「修復」と呟き、手のひらから別種の魔術をかける。すると防御壁のヒビはみるみるうちに消えていった。
『黒兎』は、後方に駆けつつ複製ナイフを連射する戦法に切り替える。致命的な距離にまで接近を許してしまうくらいなら、という考えだろう。
アリスはぼそりと呟いた。「浅い」
距離を置こうと後退することにより、先ほどの狂おしいまでの八の字運動で射出されていたナイフの量が減る。こちらとしても防御魔術の修復頻度を抑えられるので願ってもない。
アリスは魔銃を構え、銃口を『黒兎』に向けた。奴の顔が歪む。その目は銃口をじっと睨んでいた。おそらく、発砲されても即座に弾けるように。
いつでも撃てる状況を作りつつ、アリスは『黒兎』を追った。距離は徐々にではあったが詰まってきている。
再び、防御魔術にヒビが入った。「修復」
防御魔術が完璧の状態になると、『黒兎』は口元を歪めた。そして覚悟を決めたのか足を止め、腕を引いた。先ほどの八の字運動を再開するつもりだろう。
彼の視線は、既に銃口から外されていた。それもそうだろう。今発砲すれば、防御魔術も同時に砕けてしまう。だからこそ、魔銃を度外視して先ほどまでの攻撃を再開しようとしているのだ。
子供だ。
アリスは防御魔術を解除し、引き金を引いた。
発砲音が崖に反響する。
それとほぼ同時に、ナイフと弾丸がぶつかり合う鋭い音が響いた。銃口から目を離していたにもかかわらず、即座に反応して弾いたのだ。
アリスは舌打ちを隠さなかった。この反射神経だけは称賛に値する。
「残念だったね、オネーサン! これで一発分無駄にしたわけだよ! まあ、何発撃とうと全部弾くけどね!!」
『黒兎』のいかにも愉快そうな声が響いた。間一髪弾丸を弾くことが出来て興奮しているのだろう。やはり子供だ。
再開された八の字運動により、大量のナイフが迫りくる。
「羽根布団!」
肌を裂くぎりぎりのところで、ナイフの動きが静止する。先ほどよりも量の多いナイフによって前方は一瞬で刃に埋め尽くされた。長くは持ちそうにない。
埋め尽くされたナイフで、『黒兎』の姿はすっかり見えなくなっていた。裏を返せば、奴も同じ状況ということだ。アリスは魔銃をホルスターに収め、弐丁目の魔銃を手に取る。『黒兎』は今、自分が優勢だと思っているだろうか。だとしたらとんだ勘違いだ。
「守ることしか出来ないんだね、オネーサン! 家に引きこもってろよ!」
アリスは前方に銃口を向けた。そして、ナイフの隙間から見える『黒兎』に照準を合わせる。羽根布団は魔弾を防ぐほどの力はない。やや威力を減退させる程度だ。それで充分。加えて羽根布団は一発二発突破されても一気に解除されるわけではない。その部分に風穴が空くだけである。ナイフを防ぎつつ攻撃するには絶好の魔術だった。
奴が魔術に関してどれだけの知識を持っているかは分からなかったが、きっとナイフの隙間から弾丸を射ち込んでくることを予測しているだろう。
――せいぜい準備すればいい。実らない努力だろうけど。
アリスは引き金を引いた。腕に衝撃を感じると同時に、発砲音が羽根布団内に響き渡る。
直後に訪れたのは、ナイフと魔弾のぶつかり合う鋭い音。そして、それなりの質量を持った物体が地を転げる音。子供くらいのサイズだろうか。
ナイフの射出が止まったことを確認し、アリスは羽根布団を解除した。ナイフがばらばらと地に落ち、軽い音を立てる。
薄闇の中を、アリスはゆっくりと歩んだ。
「あらあらあらぁ、随分と飛んだわねぇ」
思わず口元が緩んでしまう。
前方の薄闇の中、地に伏して荒い呼吸を繰り返す『黒兎』がいた。
「なんだよ、それ」
彼の口調から余裕は消えていた。驚嘆が漏れ出たような声である。さっきまでの弾丸とまるで違うじゃないか――そう言いたいのだろう。
「ごめんねぇ。お姉さん、ズルが好きなのよ」
舌を出して見せると、『黒兎』の顔が悔しそうに歪んだ。
ああ――とってもいい気分。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『魔銃』→魔砲の一種。魔術師の使用出来る魔具。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『アーヴィン』→ハルキゲニアが女王に支配されるきっかけを作ったとされる人物。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『ケイン』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。防御魔術の使い手。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて
・『魔力写刀』→『黒兎』の持つナイフの魔具。複製を創り出す能力を持つ。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『複製同期』→複製を創り出せるナイフを増やす技。詳しくは『128.「刃の雨」』にて




