Side Alice.「卑劣の街のアリス」
※アリス視点の三人称です。
※時間軸としては『166.「女王の城へ」』の直後。
アリスは心底苛立っていた。
『黒兎』の意識をこちらに集中させることは出来た。クロエたちを逃がすことも上手くいった。全身の傷は数日の療養で随分良くなっている。絶好調とは言えないが、『黒兎』を叩きのめすには充分。――そんなアリスを苛立たせる原因ははっきりしていた。
概ね作戦通りに進行していたのだが、たったひとつの予定外が隣にいる。
「ケイン……あんた自分がなにをしてるか分かってんだろうね」
爆発しそうな怒りを抑えて問う。本来ならケインはクロエたちとともに女王の城へ向かうはずだった。そして自分ひとりで残った『黒兎』を思う存分いたぶる予定だったのである。
それなのに、とアリスは奥歯を噛み締める。
カエル頭のお節介焼きが、なにを心配してか残りやがった。
「……ご、ごめんケロ。でも、アリスひとりに――」
最後まで聞く気はない。「舐めてんのかケイン。あたしの心配が出来るほどあんたは強いのかい? 親切のつもりなら思い違いだよ。あんたなんか足手まといだ」
ケインの目がうるうると光を反射する。アリスは思わず舌打ちをした。こんな馬鹿げた仕草に絆されちまうんだからクロエお嬢ちゃんは間抜けなのさ。感情だのなんだの慮る前にやるべきことがあるんだよ。情に足元を掬われてるようじゃ、あっという間に墓の下だ。
「泣くぐらいならさっさと回れ右して安全なとこにいきな」
「な、泣いてないケロ!」
アリスは弐丁魔銃の片方を抜き、銃口をケインの頭に向けた。「あんたと押し問答してる暇はないのさ。あのガキがいつまでも待ってくれるわけじゃないんだよ」
『黒兎』を横目で見ると、彼は口元に笑みを湛えていた。
クソッタレ。もう余裕を取り戻してるじゃないか。
「痴話喧嘩ならお好きにどうぞ。僕は待ってあげるよ? オネーサンと違って気が長いから」
口の減らないガキめ、とアリスは内心で毒づいた。さっさとその余裕ぶった顔に弾丸をぶち込んでやりたいのに、ケインの存在が調子を乱す。
「あら、そう。案外優しいのねえ。……それともクラウスちゃんも落ち着くための時間が欲しいのかしらぁ?」
『黒兎』の顔から笑みが消える。
時計塔ではどんなことを言われても憎たらしいほど飄々としていた子供が、じっとこちらを睨んでいる。冷静さの表れではなく、嵐の前の静けさのようにアリスは感じた。
読み通り『黒兎』にとって、自分自身の素性に関わる物事は無視出来ない。そこを突いて奴の冷静さを奪ってしまえば扱いやすくはなる。
『白兎』の顔を見たときにピンときたが、本当に『黒兎』を揺さぶることが出来るかは賭けだった。だがこうして充分な効果を上げている。
数年前、用心棒として受けた依頼を思い出した。
確か、モンクシュッドという街だった。周辺の町や村ではモンクシュッドを伏魔殿と呼んでいたのが印象的に残っている。伏魔殿といっても、魔物が昼夜うろついているわけではない。ある意味でそれよりも厄介な連中が潜んでいるわけだが。
モンクシュッドは昔から街が東西に分かれていた。中心を流れる川によって物理的に分断されていたのだが、決してそれだけではない。街を牛耳る東の長と西の長が政治的な対立関係にあったのだ。表ではニコニコと握手しているが、それぞれ懐にナイフを隠し持っているような、そんな危うい関係である。それでも上手いことそこそこ平和にやっていたのだが、ある事件を境に街は一変した。
東の長には二人の子供がいた。双子の姉と弟。実に奇妙なことだが、東の長は西の長と本格的な和平を進めるために、双子の片割れを養子に出したのである。魔術的才能の高い姉を手元に置き、魔術に関しては全くの無能だった弟を西の長に差し出したのだ。東の長は従順な姉にひと言も告げず、彼女の留守中に弟を引き渡したのである。これは想像でしかないのだが、大人しい姉のことだから事後の報告でも問題あるまい、よもや泣いて抗議の声を上げようとも捻じ伏せてしまえばそれで良しと、そう考えたのだろう。
しかし、彼の読みは悲劇へと展開した。姉は西の長に引き取られた弟を奪取し、街からも姿を消した。それだけなら問題なかったのだが、姉は東西の両家を完膚なきまでに破壊したのである。父である東の長も、弟を奪った西の長も殺して。
なぜそこまでの衝動に至ったのかについても想像で補うほかない。おそらくはモンクシュッドに根付く習慣が起因しているのではないかとアリスは感じていた。――子は親の所有物であり、引き換え可能な『物』。それがモンクシュッドに古くからあるイデオロギーだった。有力者の子は常に親の道具にされてきたし、政治的な交渉の材料のために引き渡されるのもザラである。そんな悪習に対する怒りが姉の身の内に燃えており、弟が交渉の材料として政敵に渡されたことによって爆発したのだろう。
双子はモンクシュッドを去ったが、残された人々は両家の滅亡によって東西の憎しみを強くした。そして日常的に抗争の行われるような物騒極まりない伏魔殿に変わり果ててしまったのだ。両家の長に代わってそれぞれ東と西は新たなリーダーを立て、政治ではなく武力による激突が繰り広げられていたのである。
アリスは東のリーダーの護衛という立場で雇われた。金払いが良かったので即座に引き受けたのだが、実情は違った。護衛と聞いていたのだが、実際は西の区画そのものを住民ごと殲滅しようという血なまぐさい目的があったのだ。
詳しく思い出すのはアリス自身も気が進まなかった。謀略、闇討ち、スパイ……汚い騙し合いはモンクシュッドで嫌と言うほど味わった。結果、アリスは激昂のうちに両リーダーを魔銃と魔術によって屈服させ、大量の血を流した末に街は一旦の平和を取り戻したのであった。そこでついた異名が『狂弾のアリス』である。狂っているのはあんたらだろ、とよほど言い返そうかと思ったのだが案外悪くない名だったのでそのままにしたのだ。
精神的にも肉体的にも随分と磨り減らされた仕事だった。金払いは良かったものの、到底額に見合った仕事ではない。それが手前勝手な双子の尻拭いとなれば余計に腹が立つ。だからこそ、いつかお仕置きしてやろうと心に決めていたのである。
双子に関して街から得られた情報は年齢と背格好、簡単な身体的特徴と、あとは姉の写真だけだった。弟に関しては写真も私物も一切残されておらず、どれだけぞんざいに扱われていたかが容易に想像出来たものだ。
今、目の前には数年越しにお説教を食らわせてやらなきゃならない相手がいる。それも、ハルキゲニアで都合の良い玩具を使って人をいたぶってる馬鹿な坊やが。優しく諭すなんてのは性に合わない。徹底的に味わわせてやる。
アリスは唇をひと舐めした。馬鹿げた逃避行の結末は、あたしがつける。
「坊やはハルキゲニアでぬくぬくと騎士ごっこなんてやってるけどねぇ、全部から逃げられるなんて思わないほうがいいよ。あんたが辿るのはバッドエンドさ」
『黒兎』の目に、鬱屈した暗い光が見えた。
「やってみなよ、魔銃のオネーサン。時計塔ではサーベルのオネーサンに頼りきりで自分がしたのは最後の不意打ちだけでしょ? デカい口叩いてるけど虚しいだけだよ」
『黒兎』はナイフを真っ直ぐに向けた。その切っ先はアリスの心臓を指している。
ケインという邪魔はあったものの、アリスはいくらか落ち着いた気分になっていた。
左右を阻む崖。隘路を流れる風に、土埃が上がった。崖の上からは喧騒が響いている。あちらでも既に『白兎』――ルカとの戦闘が始まっているのだろう。
崖の上――さらには宙を足場にする姉に、崖下で埃にまみれる弟。お似合いの情景だ。かわいそうとは一切思わない。あたしは、とアリスは冷えた心を意識する。
あたしはクロエお嬢ちゃんほど優しくないんだよ。
「あんたは絶対にあたしに勝てないよ。やってみれば分かるさ」
黒々と張り詰めた空気が辺りを包んでいた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『弐丁魔銃』→アリスの所有する魔具。元々女王が持っていた。初出は『33.「狂弾のアリス」』
・『ケイン』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。本名はルカ。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』にて




