Side HAL.「バーニング」
相変わらず矢は雨のように『白兎』目がけて降り注いでいた。防御魔術を打ち破るほどの威力はないものの、魔術を維持し続けなければならないほどの攻撃量である。いかに才覚があろうとも、そこが奴の弱点だ。そうハルは確信していた。
魔術に対する理解はクロエに遠く及ばない。だが、防御魔術の維持のために片手をかざし続けなければならない点に、『白兎』の限界が見えた。
魔球。天の階段。防御魔術。そして『ゴーストノーツ』。それぞれが上手く噛み合って彼女の強さを演出している。が、それぞれにスポットを当てれば突破口が見出せた。『ゴーストノーツ』は対象範囲外の攻撃――ジンの矢――で攻略出来る。その基となる魔球も致命的な威力ではない。
天の階段は、おそらく今の高さが『白兎』の限界高度だろう。でなければ跳躍が届くと知ってなお、現在の高度に留まっている理由がない。
そして防御魔術には片手の使用が必須。そんなところか。ハルは次なる跳躍のため、足に力を溜めた。『白兎』が攻撃に窮している今を逃がすわけにはいかない。
魔術師『白兎』。彼女の攻撃の手を止める程度には、こちらの作戦が成功を収めている。なら次は、彼女を捻じ伏せるための圧倒的な攻撃が必要だ。
ネロは遥か時計塔まで離れている。ジンの保護の下でこちらを心配していることだろう。その視界は暗黒に包まれている。早く彼に、光ある世界を見せてやらなければ。強敵を突破した勝利の天地を、彼に。
ハルは覚悟を決め、跳躍した。肌に風の抵抗を感じる。先ほどの魔球の連射によっていくらか行動力が落ちているのだろう。
――知ったことじゃない。ここで踏み出さなければ決定的なチャンスなんて訪れないのだ。勝算はある。今の『白兎』は先ほどのようにサイドステップで拳の届く範囲から離れることは出来ないはずだ。彼女の周囲は半球型の防御魔術で覆われている。そこから移動するためには魔術を一度解除する必要があるだろう。だが、降り注ぐ矢の雨はその余裕を与えない。一瞬でも解除しようものなら、その身体は見事に射抜かれる。見る限り、『白兎』はそこまでのリスクを負うようなタイプじゃない。
となると、彼女の対応策はひとつだ。
『白兎』の片手が、宙に躍り出たハルにかざされる。――魔球が即座に現れ、そして放たれた。
先ほど同様、魔球の連射。そうだろう。
「安直でスネ」
言って、ハルは拳を引いた。そして、ダフニーの丘で三度目の生命を受けたときのことを思い出す。あのときリッチに撃ち込んだ拳。今でもその感触は鮮明に覚えている。空を破裂させるような、そんなイメージを頭に浮かべた。
迫り来る魔球のひとつに拳を叩き込む。あのときの速度、あのときの力で。
破裂音が響き渡り、空震が『白兎』を襲った。連射したはずの魔球は跡形もなく消し飛ぶ。
ハルの前には、口を『あ』のかたちに開いた少女の顔があった。
もう一度拳を引く。たとえ相手が人間であろうと、加減をするつもりはなかった。『白兎』はリッチなど比にならないほど強い。広く浅く多彩な魔術を用い、こちらを追いつめる強敵。手加減などして勝てる相手ではない。
ハルのなかにあるのはリッチ戦のイメージと、確かな感触の再現である。そう連発出来るものではないかもしれなかったが、ここで全力を尽くさなくてどこで力を発揮するのだ、と自分を奮い立たせる。クロエから『白兎』の討伐を頼まれた。理由はそれで充分だ。メイドは与えられた仕事を仕損じない。
空が破裂し、強風が巻き起こる。ハルは二度、あのときの拳を放つことが出来たのだ。もしかすると不発になるかもしれない――そんな臆病な考えはなかったものの、ある種の賭けだった。
すると、ハルは賭けにも勝負にも勝ったのか。答えは白黒混在である。
拳は確かに放たれた。リッチの頭骨を砕くほどの強烈な一撃であるのは間違いない。紛れもなくハルの必殺の攻撃。――しかし、それが『白兎』の身体を砕くことはなかった。
『白兎』の豊かな髪が揺れる。
彼女は天の階段によってハルの攻撃を回避したのである。それも、防御魔術を一瞬たりとも解除せずに。
転置魔術。固着した魔術を移動する特殊な魔術である。移動範囲は限られており、せいぜい一メートルが限度だ。『白兎』にとってもその限界は同様だったが、一メートルで充分だった。それだけの距離を動ければハルの拳の有効範囲から出ることが出来る。つまり、もう一度魔球の連射によってハルを地に叩き落とせるのだ。『白兎』は先ほどよりもハルの跳躍に鋭さがないことから、彼女の身体に籠められた魔力が散っていることを見抜いていた。再び連射を射ち込めば勝利に近付く。そのように彼女は見極めていたのである。
その判断は正しくもあり、また、誤ってもいた。
なぜか。――ハルが決してひとりで戦ってはいないこと。それが『白兎』の思考から抜け落ちていたのだ。アカツキ盗賊団の団長である、血気盛んな戦士のことを脅威から除外していた。確かにミイナは、地面で金棒を振るうのが関の山である。ハルほどの跳躍は叶わない。だからこそミイナは、自分に出来る最大の攻撃をおこなったのだ。
ハルは自分の目の前に迫る金棒を捉えた。咄嗟にそれを掴み取る。
ミイナはハルにばかり見せ場を取られぬよう、『白兎』にトドメを刺す意図で金棒――執行獣――を投擲したのである。彼女の怪力のなせる技。しかし、『白兎』が回避のためのステップを踏んだことにより、ミイナの武器はハルの手に渡った。図らずも、ハルは『白兎』を打ち倒すに足るリーチと破壊力を持ったのである。
ハルに迷いはなかった。今受け取った武器にはミイナの温度が宿っている。その激情。その破壊衝動。四方八方に散る怒り。
執行獣を通じて、ハルは思い出した。盗賊として過ごしたあの日々を。命を燃やすかのごとく疾走した真っ赤な衝動を。
『白兎』の瞳がぴくぴくと震えた。かわいそう、という気は微塵も起こらない。
今はただ、目の前のチャンスに喰らいつくだけだ。燃えたぎる咢でその身を砕くべく。
「行っけえええええぇぇぇぇぇ!!」
ミイナの叫びに呼応するように、ハルは渾身の力で執行獣を斜めに振った。
『白兎』が咄嗟に防御魔術を展開する。分厚いガラスのような壁が、ハルと『白兎』を隔てた。片手でこれほどの魔術を使用出来る彼女は、紛れもなく天才だろう。生半可な攻撃なら傷ひとつつけられないほど強力な防御魔術。そう、生半可な攻撃なら。
――破砕音が鳴り響いた。
『白兎』の口から血が吐き出され、スローに宙を舞う。
白いドレスの魔術師は振り下ろされた金棒の一撃により、一直線に崖下へと落ちていった。
着地したハルが見たのはミイナの得意気な笑みである。
「やるじゃんか」
「アナタの野蛮な武器のお蔭デス」
レジスタンス連合と騎士の乱戦も決した様子である。犠牲は多かったが、最後に立っていたのは連合のメンバーだった。
歓声が上がる。それが『白兎』への勝利に対するものだとハルが気付いたのは、少し経ってからだった。
ハルは、落下していく魔術師を思い浮かべる。生きていたとしても重症だろう。それに、執行獣を叩き付けた瞬間、彼女の目は気絶者のそれと同様の色に変わっていた。
時計塔の方角を見つめ、安堵の息を漏らした。
「ふりふりに勝ったんだぜ。もうちょっと嬉しそうにしろよ」とミイナは無理やり肩を組む。盗賊時代はよくこうして絡まれたものだった。特に、ひと仕事終わったときの酒場で。
いい仕事をしたんだから、笑えよ。ミイナはよくそう言った。笑顔くらいなら、と思ってミイナに笑って見せると、逆に彼女に大笑いされてしまった。そうして鏡を見せられて、ハルは我ながらなんとも不甲斐なく思ったものだった。ぎくしゃくした硬い笑顔。不気味といえば不気味な笑顔だろう。それ以降、仕事が成功するたびに冗談のつもりでカクカクした笑顔をして見せたっけ。
ミイナを見ると、彼女はなぜか、深く噛み締めるような長いまばたきをして見せた。多分、とハルは思う。
多分、わたしの笑顔に過去の面影を見たのだろう。
連合の歓声は、夜の入り口に溶けていった。
【ハル視点は終わりです。明日からはアリス視点の戦闘になります。】
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にある。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『執行獣 』→アカツキ盗賊団団長のミイナが所持する武器。詳しくは『22.「執行獣」』にて
・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。弓の名手。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『天の階段』→空中に透明な足場を作る魔術。初出は『112.「ツイン・ラビット」』
・『ゴーストノーツ』→『白兎』が独自に作り上げた複合魔術。対象を認識されなくする『盲点』という魔術を魔球に施し、認識不可能の攻撃として放つ。詳しくは『113.「ゴーストノーツ」』『164.「ふりふり」』『Side HAL.「アイズ・ノット・シャット」』参照
・『リッチ』→呪術を使う魔物。ゾンビを使役する。詳しくは『16.「深い夜の中心で」』参照




