Side HAL.「アイズ・ノット・シャット」
ハルは宙に浮く『白兎』と九つの魔球を見据えて一歩下がった。今は迂闊に飛び込んではいけない、と。計九発の魔球を浴びるわけにはいかなかった。先ほどの魔力の塊よりも練度は高いように見える。威力だって比較にならないだろう。直撃によってネロから預かった魔力がどれだけ散ってしまうやら……。
そして、安直に突っ込んではいけない理由がもうひとつある。
『白兎』の指先が微動し、ハルは身構えた。――来る。
一発、二発、三発、と間断なく魔球が放たれる。ハルは足に力を込め、サイドステップを踏んだ。一発目の攻撃は楽に回避出来たのだが、二発目三発目はそれほど余裕がなかった。真横を通り過ぎた魔球が石畳を叩き割る豪快な音がする。四発目は膝を折って頭上を通過させ、五発目は溜めた足で左に大きく跳んで避けた。『白兎』から決して視線を外さずに。
クロエの予想が正しければ、絶対に目を離してはいけない。魔球の軌道全てを視界に収められるよう、回避に徹する。
六発目をバックステップで避けると、散った石畳が頬を切った。やはり、痛みはない。血も出ない。肌に違和感を覚えるだけだ。
自分が既に死んでいるという事実。その悲哀や無力感、あるいは絶望なんてとっくに克服している。ハルはただ、ネロのために生きることが出来ればそれで良かった。黒々としたマイナス感情よりも、ネロの寝息のほうがずっと確かなのだから。
彼のためだけの生涯は、いつしかクロエという友人を得て、ミイナやジンとの和解まで呼び込んだ。ハルはしみじみと感じ入る。食事も睡眠も、呼吸さえ不要なわたしにとって、あまりに過ぎた幸福。だからこそ、彼女たちの危機には全力を尽くさねばならない。
散る石片の先――身体の中心へと真っ直ぐに迫る七発目の魔球が見えた。視線はそのままに身を捻ってかわす。ぎりぎりで回避することは出来たが、メイド服が少し焦げた。
前のめりにバランスを崩した体勢に、容赦なく八発目が訪れる。今度こそ避けられない。
八発目――それを回避する気はもとよりなかった。拳を強く握る。覚悟なら、とっくに出来ている。
足を踏み出し、魔力の塊を思い切り殴りつけた。右腕全体に衝撃が伝わったが、ハルは『白兎』から視線を外すことなく振り抜いた。土埃が一瞬で吹き散り、『白兎』のドレスがはためく。彼女はやはり、平然とこちらを見下ろしていた。
そして九発目が、やや遅れて放たれた。
最後の一発さえなんとかしてしまえば九つの魔球であろうとも造作ない。――そう思わせる算段なのだろう。
ハルは、遥か左方向から猛スピードで接近する物体を意識した。それは空を切り、ハルの目の前でバチィッ、と大きな音を立てる。
銀の閃きが一瞬だけ瞳に映った。
ハルが九発目を悠々と回避して見せると、『白兎』は心持ち首を傾げた。やや緩んだその口元から声が漏れることはなかったが、彼女の頭に複数の疑問が浮かんでいることは手に取るように分かる。
『白兎』はハルの右方向――時計塔のある方角に、ほんの一瞬だけ視線を送った。
それから再び「ゴーストノーツ」と呟く。
二度目は、四発のみ魔球が現れた。徐々に練り上げられ、かたちがはっきりとしてくる。『白兎』は――とハルは思う。『白兎』は、確かめようとしているのだ。こちらが全弾無力化出来た真の理由を。今彼女が生成している四発の攻撃は、決して魔力の限界ではなく、かといって侮りでもない。様子見の攻撃だろう。
ハルは作戦が成功を収めつつあることを確信し、改めてクロエの鋭さに感心した。
放たれた魔球を先ほどと同じ要領で回避する。サイドステップを主体に、なるべく視線を動かさないように。
避けるのは可能だが、余裕は持てない。一発、二発とぎりぎりでかわし、迫る三発目を視界に収めて身をかがめる。
刹那、銀の光が閃いた。そして、鼓膜を響かす破裂音。直後に訪れた三発目はハルの頭上を過ぎ、足元目がけて放たれた四発目を飛び越える。
靴裏が地面を捉える。ハルは真っ直ぐ『白兎』を見つめた。
「もうアナタの攻撃は通用しまセン」
『白兎』の瞳がぴくりと揺れた。口元は先ほどよりもやや大きく開かれている。これまで反応の薄かった彼女の様子と比較すると、驚愕の度合いがよく分かる。
『白兎』はハルの目をじっと見つめ、それから時計塔を眺めた。
「そっか」とひと言呟いて、再びハルを見下ろす。「貴女たちは初めから四人で戦ってたのね」
「そうデス」
ハルは彼女の理解力に、心の底から感心した。――たった二度。それだけで彼女は一切を把握したのである。天才と称賛してしかるべき存在だろう。
作戦会議でクロエが語ったのは『白兎』の魔術の正体と、その突破口だった。『ゴーストノーツ』。それ自体はクロエも見聞きしたことのない魔術であるらしい。クロエは――自称だが――ほとんどの魔術はひと目見るだけで、その正体も攻略法も理解してしまえると言っていた。にもかかわらず未知のものとなると、最も大きい可能性は複合魔術である、とクロエは語ったのだ。
別個の魔術を組み合わせて、独自の用法や効果を生み出す――それが複合魔術である、と。生半可な魔術師に出来るものではない。相応の技術と魔術への深い造詣がなければなしえない、とも。
『白兎』の『ゴーストノーツ』は二つの魔術を組み合わせているとの話だった。まずは骨格となる『魔球』。次に『盲点』という魔術――対象の一部分を周囲の人間から認識されなくする魔術である。強力な隠密魔術であり、施す対象が大きくなればなるほど魔力の消費量も増加する。『白兎』は魔球の一発に絞って盲点をかけており、通常通り認識出来る魔球と混ぜて攻撃するからこそ、未知の攻撃としての効力が最大限活かされる。
しかし、どの魔術にも効力の限界がある。それは持続力や威力といったかたちで現れるのが一般的だ。『白兎』の盲点は有効範囲に制約がある。離れれば彼女の魔球は認識可能になるが、有効範囲外まで退くとなると通常は対処が出来ない。ただの弓では盲点つきの攻撃が放たれてからそれを撃ち抜こうとしても到底間に合わないし、そもそも高速で動く球に矢を命中させられる人間なんていない。
――それが一般論である。アカツキ盗賊団には例外がいる。そして彼は、弾速の強化を施された新たな魔具を手にしているのだ。あとは迫り来る魔球を正確に把握することが必要となる。これも通常では、いかに視力が良くても完全には捉えきれない。せっかくの対抗手段を手にしていても決定打とはならないのだ。
アカツキ盗賊団。ハルは内心でぽつりと呟いた。
昔、自分は盗賊団の一員として盗みも戦闘も経験した。勿論、魔物の討伐も。ミイナとジンと過去の自分。その当時、ジンとはよくコンビで動いていた。理由はひとつだ。
ハルは自分自身の目を意識した。
――視覚共有。後方で矢を射るジンと、前線で戦うハル。ハルの視覚を通して周囲の状況を把握し、正確な射撃をおこなうのがジンという人間だ。昔も、そして今も。
『白兎』が先ほど口にした四人という言葉を反芻する。自分とミイナ。そして時計塔のジンと――同じく時計塔に待機しているネロ。彼と元々繋いでいた視覚共有をブラフとして使ったのである。『白兎』は見事に、ネロと視覚共有を繋ぎ続けていると判断してくれた。だからこそ、『ゴーストノーツ』の突破に至ったのだ。彼女が少しでも疑念を抱いたのなら、こう上手くはいかなかっただろう。
もう『白兎』の『ゴーストノーツ』は通用しない。たとえミイナやレジスタンス連合にそれを撃とうとも、ハルが視界に収めてさえいれば着弾前にジンが弾く。彼女の最大の攻撃は封じたのである。
『白兎』は雨のように降り注ぐ矢を防御魔術で弾きつつ、こちらをじっと見下ろしていた。次の攻撃を考えているのなら、その余裕を与えるつもりはない――。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『視覚共有』→その名の通り、視覚を共有する魔術。詳しくは『9.「視覚共有」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。弓の名手。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて
・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にある。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『ゴーストノーツ』→『白兎』の口にする言葉。この直後に、必ず謎の攻撃が訪れる。詳しくは『113.「ゴーストノーツ」』『164.「ふりふり」』参照




