17.「夜明け前~ハルと死霊術師~」
「いったいなんですか、こりゃあ。くたびれ損とは言いませんが、説明くらいはしてほしいもんです」
男は地面に腰をおろして大きなため息をついた。分身は消え、彼の身体に吸い込まれる。
「……わたしも興味があるわ」
痛む身体を引きずって、ネロのそばに座り込んだ。腹部を中心に鋭い痛みがあり、それが波のように全身へ伝播するようだった。これほどまともに呪術をくらったのはいつぶりだろう。
「マスター、いかがいたしまスカ?」
「……僕も知りたい。ハルのことは全部」
「分かりまシタ」
こうしてわたしたちは車座になった。
「サテ……なにから話しまショウ」
「ハルさん――でしたっけぇ? あなたは確かに死んでいました。いや、鼓動が止まっていたのを確認しただけですから、正確ではないかもしれない。とにかくあなたは死んでいるように見えた。どんなトリックです? 仮死の魔術ですか? いや、聞いたことがない。なら、錯覚術? いや、そんな高等なものを身につけていたなら私の二重歩行者くらいなんとかしていたでしょうねぇ。じゃあ、眩惑術? あるいは本当にネロくんの人形ですかね……」
男は鞄をごそごそやりながら捲し立てた。お目当ての物が見つかったのか、喋りを止める。それからナイフケースを二本分取り出すとそれぞれナイフを収め、自分の足元に置いた。
「そいつを鞄にしまいなさい」
「どうしてです?」
彼はケースをひょいと摘まんで、検分するように眺めた。
「……ケースに魔力が宿っているのが視えたからよ。ナイフにはなんの魔力もないのに。まだなにか企んでいるんでしょうね。妙な動きをしたら無事じゃ済まないわよ」
ハルはネロの手を引いて、自分の膝の上に座らせた。そうしてぎゅっと抱き締めて男を睨む。妥当な防衛手段だったが、年頃の男の子には刺激が強かったのか、ネロは俯いて赤くなっている。
「随分警戒されたものですねぇ。まあ、分からんでもないです。あんなことをした後では、信用もなにもないでしょうなぁ」
肩を竦めて二本分のケースをしまうと、鞄の口を閉じた。奴の鞄には魔力が詰まっているように見えたが、どうせろくでもない道具ばかりなのだろう。
「ほら、これでよろしいですか……?」
男はがっくりうなだれて二重歩行者を出現させた。分身は今の彼と同じく、ぐったりとしている。
「維持するのは問題ないですが、出し入れが疲れるんですよ。一日三度も二重歩行者を出すことになるとはねぇ」
あくまで彼は無防備を示したいようだった。演技と考えると多少オーバーな気がする。
「……で、答えていただけるんです?」
ハルは、しばし沈黙してから、やがて諦めたように口を開いた。
「アナタが思った通りデス。ワタシはあのとき、死んでいまシタ。正確には、今も生きてはいまセン」
「ほぉ? すると、より詳しく説明をする必要がありますなぁ。ときに、それはさっき小屋で話した多少の嘘と繋がるんでしょうなぁ?」
「……見抜いていたんでスネ」
「仕事柄、必要な技術ですよ。いや、技術ってもんでもない。執念とでも表現しましょうかね。さあ、続けて下さい」
一陣の風が吹いて、辺りの草が一斉に囁いた。
「先ほどした一年前の話……特にネロとの出会いは、事実と違いマス。……町で死霊術師と人形使いの死を聞かされたワタシは、散々迷った挙句、日が落ちてからようやく墓場に行ったのデス。もし、魔術師の死が事実ならワタシも死のうと決メテ」
そしてハルは見つけたのだろう。両家の魔術師の墓を。死を決めていた彼女は、その日、自らの命を断ったというわけか。
月はちょうど、ハルの肩越しに浮かんでいた。その晩も、月は出ていただろうか。
「……目覚めて最初に見えたのは、ワタシの手を握るマスターでシタ。次に、彼のすぐ後ろに迫った一体の魔物が目に映りまシタ。彼を守らなければと思って立ち上がると、随分と身体が軽く感じたのを覚えていマス。魔物と戦いながら、その爪で肌を裂かれても痛みはありませんでシタ。ただただ必死で戦い、傷だらけになって勝ったのデス。そのとき――マスターはなんて言ったか覚えていますか?」
「ハル、って呼んだと思う」
「そうデス。マスターはワタシに新しい名前と、新しい生活をくれまシタ。そして、存在意義モ。――ところで、マスターはそのときワタシのことを知っていましたか?」
首を横に振ってネロは答える。「知らなかった。ハルは僕の人形だと思ったから」
「ワタシは、ずっと前に会ったことがありましタヨ。死霊術師の屋敷で何度か、ネ。会話はしませんでしたし、マスターはその頃から目に包帯を巻いていましたから、気付かなくて当然デス」
頭のなかの情報を整理する。ネロは人形使いの小屋に住んでいるけど死霊術師の屋敷に昔いて、一度死んだハルを蘇らせた?
ちらりと隣を見ると、男は口元に手を当て、目を見開いていた。好奇の溢れる眼差しである。
「すると、死霊術師の子供はネロくんだってことですか?」
「そうデス」
だとすると、ネロが眠った後もハルが動き続けることが出来たことにも説明がつく。人形使いの魔術は『操作』だが、死霊術師は『仮託』なのだ。術師が魔力を託し、屍は自由に動き回る。逐一魔力を供給する必要はない。基本的に術者は屍に、術者本人の意志を反映させるものだが、おそらくネロは意志を込めず、ハルを完全に自由な存在として蘇らせたのだろう。であっても、四六時中動き回れるくらいのエネルギーを全て仮託するのは並大抵のことではない。それに、ネロの様子を見る限り、彼は高度な死霊術を無意識に使っているようだった。大魔術師――そう呼んで差しつかえないかもしれない。
「ねえ、ハル。そうするとネロは人形使いに引き取られて、人形使いとして育てられたってこと?」と聞くと、彼女は頷いて見せた。
「おそラク。ネロは昔のことを覚えていまスカ?」
ハルはネロの頭を撫でながらたずねた。
「ううん、覚えてない。……なんでだろう、なにも思い出せない」
「私が思うに」と男が口を挟む。「ネロくんは親御さんから健忘魔術をかけられたのでしょう。いや、記憶改竄術? まあ、どっちだって違いはない。それも、とんでもなく強力なやつです。――イメージしてください。この丘で彼の両親は瀕死の重傷を負いつつ、息子を屋敷から救出した。そして異変を知って駆けつけた人形使いにひとり息子を託したのです。彼を一人前の魔術師として幸せに育ててやってくれ、と。そして里親の前で彼の記憶を奪ったのでしょう。両親の死という重荷を背負わせないためにねぇ。人形使いは死霊術師の最期の言葉を聞き入れ、ネロくんを魔術師として育てることにした。その過程でどうしても人形魔術に偏ったのでしょう。――どうです? こんなところでしょうか?」
「……真実は分かりまセン。けれども、ワタシもそう考えていマス」
「正直なのは美徳ですよ。正直ついでに、これも答え合わせをしてほしいですね。あなたがそんな格好をしているのは、死霊術師への贖罪のつもりですか? つまり、本物のメイドとしてネロくんをいつまでも面倒見ようとしているのではないか、ってことです」
思わず男を睨みつけた。こいつはどこまでも、人のデリケートな部分を踏み荒らしていく。
「ワタシの罪は消えまセン……マスター、アナタを何度守ろうトモ」
ネロはハルの腕を、きゅ、っと握った。「……もういいよ……。ハルがずっと一緒にいてくれれば」
ハルの瞳が震え、それから彼女は静かに目を瞑った。ネロのうなじに顔をうずめるその姿は、もの悲しくて、そして美しかった。
身体の痛みは消えても、罪の痛みはきっと永遠に続くだろう。けれども、ここからはじまるのだ。いや、ここからしか本物の関係ははじまらない。
月は眩しくて、空気は冷たかった。ときおり吹く風が優しく肌を撫でていく。
屍や人形は涙を流さない。
けれども、ハルはまるで泣いているみたいだった。
「感動的ですなぁ。ああ、しかし、厄介なことになりましたよぉ」
男は演技じみた身振りで空を仰いだ。
「まいりましたなぁ。私はなにひとつ任務を遂行できない。魔具は欠片さえ残さずに消えてしまったし、ハルさんはネロくんから離れたら死体に戻ってしまう以上、連れていくにはセットじゃなきゃならない。そんなことをすれば町はただでは済まないでしょうなぁ。魔術師に頼りっぱなしの場所ですからねぇ。さすがにそんな大問題を起こしたくはないですが、手ぶらで戻るのはナンセンス。そこで、です」
男の視線が、じっとりとこちらに注がれた。不快で、気味の悪い目。
「――ここにひとり、面白い人物がいる。スコップ一本で魔物相手に立ち回り、そのうえリッチを捨て身で葬りました。魔物の個体別の弱点も熟知している素振りです。昼間の町で私の思惑に気付き、実に自然な演技で危機を回避しようとする冷静さもある。おまけに魔力を察知する力もしっかり身につけているときた。明らかに素人じゃない。そして、理由は不明ですがグレキランスを目指している様子。――どうです? 興味がわいてきたでしょう?」
男は鞄へ視線を移した。すると、鞄についた無数の傷のひとつがぱっくりと割れ、真っ赤な舌と八重歯を覗かせた。
「悪くない」
鞄から――否、その口からは低く落ち着いた女の声が流れてきた。声質だけで考えるなら、ハルやわたしと同年代くらいだろう。
空気が張りつめる。
膝立ちになって鞄を見据えると、ハルも同じく膝立ちになって身構えていた。その鞄に魔術がかけられていることは明らかで、なおかつそれは、姿の見えない誰かとの交信魔術であろう。
男はゆらりと立ち上がった。先ほどの戦闘での疲れなど感じさせない身軽な動きである。
「なら、代わりにこのお嬢さんを連れていくということでいかがでしょう?」
「かまわない」
鞄がそう告げた直後、痛む身体を鞭打って跳ね起き、男に拳を叩き込もうとした。冗談じゃない。こいつと一秒たりとも共に行動したくはないし、無意味に時間を浪費するわけにはいかないのだ。
彼はわたしの腕を片手で掴んで苦笑した。
「そう感情的にならないでくださいよぉ。それに、ハルさんも動かないでくださいねぇ。でないと、私はあなたがたを黙らせなくちゃいけない。二対一でも造作なく戦えますが、あまり無駄なことはしたくないんでね」
男が腕を離す。自由になると、わたしは数歩後ずさった。こちらが手負いとはいえ、こうも簡単に攻撃を潰されるとは。
ハルが一直線に男へと向かっていくのが見えた。が、彼に近づくにつれて彼女の動きはスローになっていく。
「そういうわけで、私はお嬢さんを連れて行きます。生きたまま、確実に。……信用していただけますね?」
「いいだろう」
「ありがとうございます。ただ、ひとつお願いがありまして」
「なんだ」
ネロの拳がゆっくりと男に向かっていく。彼は悠々とかわした。
「私は情け深い人間でしてねぇ。一週間程度、彼女に猶予をやって欲しいんです。なに、裏切ろうってんじゃありません。もしそんな気があればこんなことは言い出しませんよ。……彼女は疲労していますし、身体の傷も癒す必要がある。団長、あなたも万全な彼女に会いたいでしょう? きっとそのほうが面白いものが見られるかもしれませんし、役にも立ちますでしょう」
「……いいだろう」
「決まりですね。一週間後、町の北部で。それでは」
ふっ、と鞄の魔力が小さくなる。それにつれて口も閉じていき、やがてただの擦り傷に戻った。
交信魔術は知っていたが、ハルにかけられた魔術には覚えがない。
「さて」と、男はため息をついた。「これが今の私にできる最大限の譲歩です。そしてここからの話は、お嬢さん、あなたにとっても価値のある話ですよ」
月光を受けて立つ男の姿は、いかにも悪魔じみていた。
【改稿】
・2017/11/22 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。




