Side HAL.「死体じかけのリベンジ」
空震。先ほどまで矢を弾いていた『白兎』の防御魔術は粉々に砕け散った。
――そしてハルの目に映ったのは『白兎』の両手である。拳は『白兎』の顔面には届かなかった。ハルの攻撃を察知した『白兎』が、瞬時に二枚目の防御魔術を展開したのである。それをも割ることは、現状の力では不可能だった。
落下が始まり、ハルは着地に向けて体勢を整える。両脚に相応の衝撃が訪れると、即座に『白兎』を見上げた。
――視線が交差する。彼女の瞳は相変わらず冷めた印象を湛えていたが、先ほどの見開かれた眼をハルは思い出した。まずはひとつ、奴の想定を超えたというわけだ。
『白兎』はちらと振り向き、城へと向かった連合を目で送った。彼らはじき城へと辿り着くだろう。『白兎』がどのような指令を受けているのかは知らないが、レジスタンスと盗賊の連合を通した事実は歓迎されないだろう。
作戦は概ね成功だった、とハルは手応えを噛み締めた。弓矢によって『白兎』を防御魔術に集中させ、その間に連合のメンバーを次々と城に送る。無論、彼女が静観するはずがない。『中央街道』の守護を任されている以上、敵を通すなど言語道断。となると、彼女は城に向かったメンバーへと魔球の標的を絞る。こちらに背を向けてでも、だ。それが最初で最大のチャンス。ミイナの力で空中に躍り出れば、彼女に不意打ちを食らわせられる。
――それだけの作戦を練り上げたのはクロエである。王都の騎士というのは、誰もが彼女のようにしたたかなのだろうか、とハルは思った。いや、きっとそうじゃない。知略の限りを尽くして挑まなければならない相手がいるからこそのしたたかさだろう。いつだったかクロエは自分自身の目的を語ってくれた。
勇者と魔王の討伐。狂った御伽噺をハッピーエンドに導かなきゃ、なんて照れ臭そうに笑っていたっけ。
ハルは身体を沈ませ、足に力を溜めた。――クロエに負けてられない。
『白兎』の足首へと手を伸ばしたが、掴んだのは空だった。彼女は宙でステップを踏んで一歩下がったのである。無防備なハルの目は、瞬間的に練られた魔力の玉を捉えた。
一発目は防御のために交差させた腕に直撃し、間断なく二発三発と撃たれる。一発一発の威力は大したことなかったが、反撃のすべもなくひたすら撃ち込まれると堪らない。ハルは魔力球を絶えず身体に受け、その衝撃で騎士とレジスタンスたちが乱戦を繰り広げる後方にまで吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられる衝撃はまだ訪れていなかったが、『白兎』の姿はみるみる遠くなる。あと少しで拳が届くところまで追いつめたのに、今はこんなにも離れてしまった。
ハルは自分が死体であることを、改めて感じ入った。魔力の塊を全身に受けてなお、痛みはない。地面に打ち付けられても骨が軋む感覚を得るだけだろう。ダフニーで夜毎グールを相手にするだけでは決して味わえない、嵐のような攻撃。自分の現状を思い知るには丁度いいかもしれない。わたしは、とハルは内心で呟く。わたしは――ネロに生かされている。
やがて背に違和感のある衝撃が訪れた。思ったよりも硬くはなく、そして鼓動している。
「無茶すんじゃねえよ。らしくねえな」
ミイナに受け止められたことを知ると、なんだか笑い出したいような気分になった。笑うことなんてしないけど。
「ミイナを見倣っただけデス」
「いいねえ」とミイナは悪党じみた笑いを浮かべた。「チャンスがあれば食らいつく。いいじゃねえか」
言って、彼女は『白兎』を見つめる。今にも食らいつきそうな猛獣じみた表情で。
敵の魔力球は次々と放たれる。ミイナは地面に放っていた金棒を手に取り、ハルの前に立った。そして次々と迫る魔力の玉を弾いていく。
「どうだよ? 守られる気分は」
「弾き切れてないでスヨ」
魔力の塊は威力こそ低かったが、充分に練った魔球よりもスピードは速いようである。弾き漏らした攻撃がミイナの手足を打ち、地を抉った。
「めんどくせえな」とミイナは悪態をつく。勿論、魔力球に対してである。連射される玉を正確かつ必要最低限の動作で弾くのはミイナの性に合わないのだろう。
「撃て!」と彼女が叫ぶと弓矢による攻撃が再開された。これでいくらか魔力球も収まるだろう。
『白兎』は片手を正面にかざした。すると防御魔術が展開されたのか、矢は弾かれて無力に落下する。次に、もう片方の手のひらを自らの背後に隠した。
魔力の塊が練られると、それは『白兎』の背後へ放たれた。魔球は大きなカーブを描いてミイナへと向かう。矢から身を守るための防御魔術は展開したまま、それに阻害されないよう、魔力球を迂回させているのだ。おそろしく器用な少女である。
天才――もしかしたらそう呼ぶのが妥当なのかもしれないとハルは思った。彼女はクロエよりもずっと若く、ネロよりも年上に見える。ハルは魔術にはあまり詳しくなかったが、その年齢で正確に魔力をコントロールして息切れも見せないというのはかなり稀有なことなのではないだろうか、なんて考えてしまう。
ミイナは曲線的な軌道を描く魔球を次々と吹き飛ばしていく。その金棒にかかれば優秀な魔術であろうともひと振りでさよならだ。とはいえ、いつまでも彼女に守られているわけにはいかない。
ハルが攻撃を受ければ受けるほど、ネロの魔力が消費される。これはひとつの事実だった。ネロの魔力は一見無尽蔵に見えるが、そうではない。当たり前の魔術師と同様に限界はあった。ハルが数発分の傷を負うだけなら、ネロの魔力回復量でカバーすることが出来る。ただ、ハルを駆動させる力は絶対的に弱まるのだ。つまり、死体といえども致命傷や重傷を負うたびに動きは鈍くなっていく。
そして魔力の枯渇と同時に死体に戻る。そこからもう一度蘇るためにはネロの魔力が回復し切らなければならない。死霊術の一連の流れの中で、最も魔力消費が大きいのは起動時である。起動とはつまり、身の内にある魔力を対象に仮託することであり、ネロの場合は常軌を逸した魔力量を一気に仮託することによって起動が完了する。あとは視覚共有に乗せて駆動のための力を注ぎ、二十四時間動ける守護者が完成するのだ。ネロは魔力の仮託も注入も半ば無意識的にやっている以上、魔力が回復し切らないうちには起動はままならない。
ハルのダメージによって、仮託されていた魔力が散り、それを埋めるようにネロから魔力が送られるのだが、仮託の際の魔力があまりにも膨大であるがゆえ、欠けた魔力を補いきれないのである。
傷を負うたびに死体に戻っていく。それはハル自身にとっても奇妙な感覚だった。哀しくも怖くもない。残念なのは少しの間ネロの面倒を見れなくなることである。そして、ハルにとってその『残念』はなによりも大きい。
だからこそハルは『白兎』の攻撃をいたずらに受けるわけにはいかないのだ。好機があれば飛びつくが、痛みがないからといって無謀な戦い方はしない。
騎士と連合は上手いこと戦っているようだった。『白兎』の集中砲火を浴びるミイナを追いつめるべく飛び出す騎士もいたが、連合のメンバーに出鼻をくじかれるか、運よくこちらまで辿り着けてもミイナの金棒に吹き飛ばされるだけである。
さて、とハルは決心した。ミイナばかりに働かせているわけにはいかない。次の作戦だ。
ハルはミイナの後ろから飛び出し、進行方向を妨げる騎士を拳で吹き飛ばした。僅かに空いた隙間を縫うように駆け、『白兎』の背後に回る。これで彼女はミイナばかりを相手にし、無防備な背を向けるわけにはいかなくなる。たとえ空中にいたとしても、そこが安全圏ではないことは先ほどの攻撃で刷り込み済みだ。
『白兎』が振り向き、ハルを見つめた。矢の攻撃は防御魔術で弾くことが出来る以上、跳躍力のある相手に警戒を向けるのは妥当である。
そしてそろそろ、例の攻撃が来るだろう。ハルは拳を構え、やや前傾姿勢を取った。いつでも飛び出せる――その用意を彼女に見せつけるためだ。
ハルは、宙に浮く可憐な少女を見据えた。さあ、リベンジだ。「いつでも来なサイ」
『白兎』の唇がゆっくりと開かれる。
「ゴーストノーツ」
直後、『白兎』の周囲に魔力の塊が練られる。今度は先ほどのような連射型ではなく、確かな威力を持った弾丸である。
魔球を見上げて、ハルはつくづく感心した。クロエの言うところによると、『白兎』が全力で魔球を練り上げられるのはせいぜい七つが限界との話だった。そこに別の魔術を加えるなら尚更だ、と。
ハルの視線の先――宙に浮いた合計九つの魔球は『白兎』の尋常ならざる才覚を示していた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『視覚共有』→その名の通り、視覚を共有する魔術。詳しくは『9.「視覚共有」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『ゴーストノーツ』→『白兎』の口にする言葉。この直後に、必ず謎の攻撃が訪れる。詳しくは『113.「ゴーストノーツ」』『164.「ふりふり」』参照
・『ダフニー』→クロエが転移させられた町。ネロとハルの住居がある。詳しくは『11.「夕暮れの骸骨」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて




