Side HAL.「フルネクロ・ハート」
ハルとミイナ、そしてレジスタンスと盗賊の連合。片や騎士団と魔術師。単純な頭数ではこちらが有利だったが、問題は宙に浮く『白兎』である。魔術師がどれほど厄介か、ハルも知らないわけではなかった。ネロの首にナイフを押し当てるヨハンを思い出し、自然と拳を握っていた。
騎士たちは剣を構えて半円形の隊列を組んでいた。さっさと突撃してくればいいのに、とハルは思う。騎士たちは『白兎』の合図を待つように緊張した雰囲気で静止していた。
『白兎』の口元が緩く開かれる。
「二人だけなんだ」
ガラスを爪で叩くようなささやかな声音。こちらまではっきりと聞こえているのが不思議なくらい繊細な声だった。
『白兎』は心持ち首を傾げた。艶やかなストレートの髪がふわりと揺れる。
「オマエなんかアタシたちだけで充分なんだよ、ふりふり」
ミイナは挑発的に言葉をぶつけた。が、『白兎』に変化はない。
「安い挑発には反応しないようデス。無駄口は不要でスネ」
言うと、ミイナは「あ?」と不機嫌そうに顔を歪めた。
ハルは内心でため息をつく。ミイナは変わらない。なんでも噛みついて、なんでも蹴散らそうとする。いつだって生傷と喧嘩が絶えない。忘れていた盗賊時代の記憶が、いくつもハルの胸を過ぎ去った。
「文句ならフリフリにぶつけてくだサイ」
「……それもそうだな」
ミイナの顔が再び『白兎』に向く。その鋭い眼光は線の細い少女を射た。
『白兎』はミイナを意に介さず、ぽつりと呟く。「本体がいないのにどうして動いているの? 死体さん」
ハルは心の奥が段々と冷えていくのを感じた。ネロのことを『本体』と呼び、こちらを『死体』と言ってのける。随分と無神経な奴だ。
「マスターとはどれだけ離れても繋がっていマス」
恥ずかしげもなく口にすると、『白兎』は傾げた首を逆方向に傾けた。
「視覚共有が繋がっているだけでしょう? 死体さんの本体は優秀な魔術師なのね」
言って、彼女は時計塔の方角を指さした。
異様なまでに鋭い奴……ハルはそう思わずにはいられなかった。『白兎』の示した通り、ネロは時計塔まで避難している。さすがの彼女も時計塔まで魔力の玉を飛ばすことは出来ないだろう。――そう思いたい。
「そうでスネ。マスターは大魔術師デス」
『白兎』は首を戻し、小さく頷いた。「そうみたいね」
おや、とハルは意外に思った。素直な肯定が返ってくるとは予想していなかったのだ。ミイナとは大違いである。現に彼女は『白兎』の呟きを聞いて「ネロはへなちょこでビビりなガキだけど、案外勇気があるからな」なんて的外れなこと言って胸を張っている。
どうしてミイナが誇らしげなのだ。それに、ビビりと勇気は矛盾していないだろうか。もっと言えば今は勇気の有無を問題にしていない。
あれこれ返しても仕方がないことを知っていたので、ハルは感情をひと固まりのため息にして吐いた。
『白兎』の腕がゆっくりと上がる。聞くべきことは聞いた、とでも言うように彼女の周囲にぽつぽつと魔力が固まっていった。ハルに魔力は感知出来なかったが、それが塊となっていくのは見て取れた。
それを合図に、騎士たちが鬨の声を上げて一斉に迫る。ミイナと二人でも全員を相手にすることは出来ない。それに『白兎』を一番警戒しなければならないのだ。だからこそ彼らの力が必要になる。
騎士と同様に声を張り上げて前線へと上がる連合。剣を構え、勇んで進む彼らをハルは頼もしく思った。味方がいるというのは、気持ちの面でも助かる。
ハルは最前線に躍り出ると、迫り来る騎士たちを相手にした。ネロから随分と離れているので動きに鈍さがあったが、それでも、武装した身体から繰り出される緩やかな斬撃なんて全く問題にならない。迫る刃を避け、鎧越しに腹を殴りつける。手加減をしたつもりだったが、騎士の身体は後方へと吹き飛んだ。
クロエのお蔭でネロと向き合えて以来、ハルは自分でも驚くほど力のコントロールが効かなかった。グール相手ならそれでいいかもしれないが、人間と対峙するなら加減は必要である。
横目でミイナのほうを見ると、彼女は意気揚々と金棒を振り回していた。ミイナは手加減など一切する気がないらしい。吹き飛ばされた騎士が次々と宙を舞う。そのなかのひとりが崖下へと落ちていった。可哀想に。骨折で済んだら御の字だ。
『白兎』の周囲の魔力は、拳よりひと回り大きいサイズまで成長していた。計四発。いつ放たれてもおかしくはない。だが、準備は出来ている。
彼女の瞳がハルを捉えた。
ハルは攻撃に備え、ステップの速度を上げて周囲の騎士を蹴散らしていく。動きの激しい相手か、それとも金棒を手にした敵か。どちらを選択する?
『白兎』は半ば予想通り、レジスタンス連合へ魔力の塊を放った。彼らには事前に、狙われる可能性をミイナが伝えている。つまり、心構えは出来ているというわけだ。
後方で苦しげな呻きが上がったが、ハルは拳を止めなかった。速やかに騎士たちを全滅させ、『白兎』に集中出来る状況を作らなければ、と。
『白兎』は次々と魔力の玉を作り上げ、連合に攻撃した。時間をかけて魔力を練っていたのは最初だけである。となると、とハルは考えた。となると『白兎』の一旦の狙いはレジスタンス連合の殲滅であろう。騎士の被害を抑え、城へ到達する敵を少しでも減らす目的である。
「行けえぇぇぇ!!」
騎士の数が目に見えて減った頃、ミイナの咆哮が空に響き渡った。合図だ。振り向いたハルの目には『中央街道』へなだれ込むレジスタンス連合の第二波が映った。
連合を二分し、段階的に攻める。その作戦はクロエの提案したものだった。第一波で騎士との乱戦を繰り広げる。『白兎』を含めた敵は当然ながら連合の数が減っていることに気が付くが、女王の城へは二つのルートが存在する。崖下の横道から急坂を登る『横道』と呼ばれるルートと、この『中央街道』。約半数で攻めてくる連合を見て、敵は『残りの半分は横道に向かった』と判断する。潜伏勢力を警戒することなくぶつかり合い、乱戦を繰り広げているさなかに第二波を投入する作戦だ。
しかし、戦力を増やすだけでは『白兎』にとっては的が増えただけになる。だからこそひと工夫が必要だった――。
『白兎』へと、矢が次々に射られる。建物の影や街路樹に隠れて、弓兵が援護しているのだ。想定通り、『白兎』は防御魔術で矢を弾く。まるで小虫を払うような様子だったがそれで充分だ。
その間に最前線は連合勢力でほとんど満たされた。騎士の間を抜け、宙に浮く『白兎』の下を潜り、連合の数人が『中央街道』を進行した。
『白兎』は咄嗟に城へ向かったレンジスタンス連合を振り返り、そちらへと手をかざす。瞬時に魔力の塊が作られた。
相変わらず矢は射ち続けられていたが、全てが薄い壁に――『白兎』の展開した防御魔術に阻まれている。だが、それで構わない。
『白兎』はこちらから目を離している。
ハルはミイナの傍へ寄ると、彼女に目で合図を送った。するとミイナの口元が挑戦的に歪む。遥か昔、良く見た表情だ。
金棒に手をかけたハルは、グン、と身体が引っ張られる感覚を得た。
――風を切って宙を行く。クロエもこの風を感じていたのかと思うと、なんだか笑えてきた。ミイナの金棒の力で宙へ弾き飛ばされ、敵へと迫る……なんて粗雑で直線的な策だろう。案外ミイナとクロエは近しい感情を持っているのかもしれない。直情的な無謀さと、危険を貫いて意志を通す強情さ。ハルにはどちらも理解出来ない感情だった。
けれど、とハルは思う。
けれど、今だけはその真っ直ぐで、熱く燃え盛る情熱がわたしにも宿っているかもしれない。死んだはずのこの身体に。止まった心臓の奥底に。
異変を感じて振り向いた『白兎』の、ぎょっと見開かれた目。――ハルは彼女の顔目がけて、思い切り拳を振り下ろした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『視覚共有』→その名の通り、視覚を共有する魔術。ここでは盲目の少年ネロのためにハルが視覚共有を使用していることを指している。詳しくは『9.「視覚共有」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。




