166.「女王の城へ」
正門から真っ直ぐ進んだ泉の広場を、貴族街区方面へとひた走る。足音は四人分。このペースなら日暮れ前に城に辿り着くことが出来るだろう。
ミイナ、ジン、ハル、そしてレジスタンスと二つの盗賊団の連合は『中央街道』へと向かった。目的は退却した騎士団の無力化及び『白兎』の撃破である。首尾良くいけばそのまま女王の城を攻める手筈となっていた。
わたしとウォルター、アリスとケロくんは女王の城へと続くもう一本のルートを通って進行する予定になっていた。『白兎』に足止めされないための算段である。アリスの指摘通り、わたしたちは最短ルートで女王の城へ侵入して子供たちを救出しなければならなかった。ただでさえビクターという邪悪の塊がいる。一分一秒の遅れが子供たちの運命を捻じ曲げてしまうのだ。効果的な作戦を取りつつ、早急に辿り着くのがベストである。
貴族街区を進むにつれ、ざわめきが強くなった。住民たちは皆、武器になりうる物――鍬やのこぎり、あるいはスコップや短剣――を手にして城へと歩を進めている。服装も様々で、明らかに貧民街区出身と見える者もいた。
全員が団結して女王に挑もうとしている。この状況を見る限り、ハルキゲニアは確実に変わるだろう。問題はどれだけ速やかに、かつ犠牲を最小限にとどめて女王たちを打倒出来るかである。
もし、と考える。もし女王側がグレキランス侵攻への準備を完成させているとしたら。たとえばビクターの研究成果である人造の魔物や、死体を魔物として動かす技術が実行段階に入っているとしたら。考えても仕方がないことではあったが、疾駆する力を得るには充分だった。
『なにを見ても揺らぐんじゃないよ』――出発前にアリスが口にした言葉である。
年長者らしい言葉の重み、というよりも彼女が潜ってきたであろう容赦のない残酷な世界を思わせる説得力だった。確かに、わたしはまだ揺れやすい。騎士として王都で戦ってきたのだが、その経験は盤石なものではないのだ。ハルキゲニアに来てから嫌というほど味わった教訓である。
王都の危機を回避するためには、きっとこれ以上の苦難が待ち受けているだろう。だからこそ、今は全力でハルキゲニアの悲劇を終わらせるのだ。今味わっている苦痛は、ニコルに至るための必要な経験に違いない。活かすか殺すかは自分次第だ。
街路は壮麗華美な印象をどんどん強めていった。建ち並ぶ邸は敷地面積も広く、庭と街路を隔てる門は曲線の多い鉄製の造りである。永久魔力灯も洒落ていた。真っ直ぐに伸びた柱が頂点で緩くカーブし、雫のように灯明部が付いている。
まだ夕暮れ時だというのに、永久魔力灯は煌々と辺りを照らしていた。石畳の目は細かく、欠けも少ない。頑丈な素材を使っているのだろう。
やがて道は緩やかな下り坂になった。このまま真っ直ぐ進むと『中央街道』から逸れた横道に至るはず。既に邸はまばらになり、点々と続いていた街路樹も坂の途中で途切れていた。そこからは舗装されていない道である。
踏みしめる地面は、やがて石畳から土へと変わった。歩みの邪魔になるような石は取り除かれているようだったが、極端に人通りの少ない道であることはすぐに把握出来た。地面は柔らかい。往来があれば踏み固められているだろう。
周囲の景色もがらりと変化していた。右手には切り立つ崖。左手は、右ほどの絶壁ではないが同じように崖が続いている。大型馬車が一台通過出来るか出来ないか、といった幅だ。
なんとなく『関所』を思い出す。あの場所も崖に挟まれていた。その高さや道のりの長さはあちらのほうが大規模だったが……。『関所』と違って、この道には侵入者用の仕掛けは設置されていないようである。見張りの横穴も見られない。
ハルキゲニアでは、そもそもならず者は貴族街区に立ち入ることさえ出来なかった。そして貴族街区の人間は女王に決して逆らおうとしない。この道に至るまでのあらゆる区画が、レジスタンスにとっての障害となっていたのだ。だからこそ、横道に神経質な警戒は必要なかったのだろう。
今は状況が一変している。住民は女王の味方ではない。レジスタンスと盗賊団の連合が正門を破壊し、女王の城へとなだれ込もうとしている。横道も当然警備対象のはずだ。しかし、騎士たちの姿は一切見えない。何度か騎士に阻まれるかと思ったが、不気味なほどすんなりと進行出来ていた。横道の存在を忘れている……とは考え辛い。急坂付近に警備を固めているのか、あるいは城自体に警備を集中させているのか。それとも――。
前方に魔力が見えた。そして小さな人影も。
ひとりだ。おそらくはこの横道を守りきるために遣わされたのだろう。その正体が分かるのと同時に、前方の人影は手にした魔具を振った。何度も、何度も。
次々と繰り出されるナイフを回避する。複製されたその刃の痛みは身体が覚えていた。
『黒兎』だ。
やっぱり生きていたか。彼の動きを見る限り、時計塔から落下した傷も恢復しているようである。
出発前にアリスが口にした『作戦』を思い出し、足に力を込めた。
――もし『黒兎』に遭遇したら、あたしがやる。あんたらは先に進みなよ。
通路は決して広くない。『黒兎』から離れて進もうにも彼の魔具――魔力写刀から無傷で切り抜けることは難しい。
「久しぶりじゃないか、クソガキ」とアリスは駆けながら挑発する。
「ああ、馬鹿なオネーサンだね。生きてたんだ」
「あんたこそ、時計塔から落ちてぺしゃんこになったかと思ったよ。良かったわあ、また弱い者いじめが出来る」
アリスが速度を緩め、視界から消えた。わたしとウォルター、そしてケロくんはそのまま駆け続ける。なんとかナイフを回避していたが、そろそろ危険な距離に入るだろう。
「相変わらずの減らず口だね。オネーサンのほうが弱っちいじゃんか」
「クロエお嬢ちゃんにいじめられてピーピー泣いてたのは誰だっけぇ? で、あたしの弾丸を全身に受けて塔から落っこちたのは誰だっけぇ?」
『黒兎』の眉間に皴が寄るのが見えた。彼にとって、時計塔での敗北は屈辱だったに違いない。
「なあ、あたしと一対一でやろうじゃないか。リベンジしたいだろう?」
『黒兎』はいかにも見下すように嘲笑した。「馬鹿じゃないの? 誰ひとり通すわけないじゃんか」
ふ、っとアリスの笑いが聴こえた。
「怖いのか? クラウス。姉貴の金魚のフンだもんな」
沈黙が降りた。クラウス、というのが『黒兎』の本名なのだろうか。
出発前にアリスはとっておきの作戦があると言っていた。まずひとつが、『黒兎』の過去に迫る方法。アリスがどんなルートで知ったのかは分からないが、どうも彼女には『黒兎』の正体について心当たりがあるらしい。魔術に長けた天才少女と、不出来な双子の弟。コンプレックスを刺激して『黒兎』をアリスへ集中させる算段だ。
そして、二つ目。これが重要だった。ケロくんの反響する小部屋によって『黒兎』の憎悪を煽り、奴をアリスに釘付けにする。
「オネーサン……どこでその話を聞いた?」
ナイフがぴたりと止み、わたしたちは『黒兎』の横を通過することが出来た。わたしとウォルターと――あれ? ケロくんはどこにいった?
足を止めずに後ろを振り向くと、アリスの隣にケロくんが佇んでいる。本来の作戦では、『黒兎』の相手をするのはアリスひとりだったはずだ。
考えても仕方がない。結局ケロくんはアリスの横にいることに決めたのだ。作戦会議の段階でそれを口にしなかったのは、彼女に拒絶されるのが分かっていたからだろう。全く、アリスへの恩義がどれだけ深いのやら。
背後の三人がどんな会話をしているのかも聞こえなくなった。とにかく、足を止めるわけにはいかない。
やがて急坂に差しかかった。想像していたよりも角度がある。足に力を込めて進んでいく。
「ウォルター! 大丈夫?」
「問題ないさ」
彼は間違いなくわたしより体力面で劣るはずなのに、遅れることなくついてきていた。思うに、精神力の働きだろう。タソガレ盗賊団の次期ボスを決める集会で見せた執念は明らかに、内面の力によるところが大きい。今もまた、ジャックとの再会という原動力を得て普段以上の力を発揮しているのだろう。
坂を登り終えると、遠く右方向で白いドレスの少女が宙に浮いていた。既に戦闘は始まっている様子である。上手くいくことを祈って、左の方向――女王の城を見据えて走り続けた。
横幅が広い石造りの建築。中心に太い尖塔が一本伸びている。グレキランスの王城をかなりコンパクトにした様相だ。豪奢には違いなかったが、王都と比較すると随分粗末に感じてしまう。前庭は良く手入れされた芝と、赤い花の咲き乱れる花壇。城の背面には背の高い針葉樹が、その天辺を僅かに覗かせていた。城門は巨大でいかにも堅固である。
正面突破はさすがに困難だろう。城の裏手に回り、どこかに侵入できそうな場所はないだろうかと探していると、窓のひとつが開いているのが見えた。
息を潜めて、ウォルターに頷きかける。そして城の二階に位置するであろう高さに造られた窓を指さして見せた。彼は察したのか、頷きを返す。窓のひとつが開いているのだ。
針葉樹のひとつによじ登り、窓へと飛び移った。一歩間違えれば骨折して終わりの方法だったが、手段を選んでいる暇などない。
上手く侵入すると、呼吸を殺して周囲を見回した。どうも書斎のようだ。女王の私的な部屋なのだろうか。
棚に書物がいくつかあり、机の上にはペンが転がっていた。足を忍ばせて向かいのドアへと寄る。遠くで物音がしたが、すぐ近くに人の気配はない。ゆっくりとドアを開け放つと、前方に柵が見え、その先は吹き抜けになっていた。
吹き抜けの上にも下にも魔力が視えたが、上部の魔力量は尋常ではない。思わず見上げると、豪壮な永久魔力灯が下がっていた。金色に輝くシャンデリアの灯明部のみ永久魔力灯となっている。その上から魔力が溢れていた。
おそらく、そこが魔力維持装置の設置場所なのだろう。吹き抜けをぐるりと囲むように廊下が続き、左手には下へ降りる階段が、右手には登り階段がそれぞれ確認出来た。
慎重に下を覗くと、思わず息を呑んでしまった。口元に手を当て、呼吸を整える。
階下にレオネルがいたのである。そして老魔術師の向かいには、ねずみ色のローブを羽織った男が立っていた。二人はなにやら話し込んでいるらしいが、敵対関係にあることは雰囲気から察知出来た。レオネルは勿論だが、向かいの男も並以上の魔力を帯びている。まず間違いなく魔術師――とすると、彼がグレイベルなのだろう。
加勢したい気は山々だったが、向かうべきは上階である。わたしたちは右回りに進み、上階へと通じる階段を慎重に登った。
登り切ると、そこは広間となっていた。広間の先には大扉が設置され、その先から巨大な魔力を感じる。
しかし、扉の先へと向かうことは叶わない。あと少しで目的の場所まで到達するというのに、最大の邪魔者がいた。
シルクハットに燕尾服。腰から下げたレイピアが灯りを反射して輝いている。青と碧のオッドアイに、怜悧な表情。
『帽子屋』――もとい、タソガレ盗賊団の元頭領ジャックがそこにいた。
【次回から視点を変更しての戦闘になります。】
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『関所』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。防御魔術の使い手。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『グレキランス』→クロエの一旦の目的地。通称『王都』。
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照
・『魔力維持装置』→ハルキゲニアを囲う防御壁に魔力を注ぐための装置。女王の城の設置されており、子供の魔力を原動力としている。詳しくは『151.「復讐に燃える」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』にて
・『グレイベル』→元々レオネル同様、ハルキゲニアの防衛を担っていた魔術師。女王の軍門に下った。詳しくは『111.「要注意人物」』にて
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。『タソガレ盗賊団』元リーダーのジャックに酷似している。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』にて




