164.「ふりふり」
宙に佇む白いドレス姿の少女。ハルキゲニアの魔術師『白兎』。数日前の戦闘を思い出し、精神が張り詰める。奴の魔球を弾くべくサーベルを振るったのだが、予想外の場所から攻撃を食らった瞬間に全てが崩れたのだ。
ミイナもジンも、勿論ハルも『白兎』を見上げていた。レジスタンスと盗賊団の連合も同様である。
『白兎』を知る者は彼女の出現に身を震わせ、彼女を知らない者は天に立つその姿に目を見張る。
「なんだアイツ」とミイナがいかにも不機嫌そうに零した。
「『白兎』よ。ハルキゲニアの厄介者のひとり」
「なんだその名前。本名じゃねえだろ」
ミイナは至極真っ当な不満を漏らす。彼女の言う通りだ。双子同士で『白兎』と『黒兎』。実態とかけ離れた可愛らしさだ。
ハルはネロの前に出て、『白兎』を見つめていた。その顔には表情らしい表情はない。「あれは敵でスネ?」
「ええ、そうよ」
直後、ジンが弓を構えた。弓弦に矢をつがえ、ドレスの少女を睨む。「敵なら射っちまっていいんスよね?」
わたしの返事を聞く前に、矢が飛んだ。『白兎』は自分の身体の中心へと向かって来る矢を見下ろし、指先を前方に向ける。
ぱしん、と弾ける音がして矢がジンの矢筒へと戻った。彼女の前方に展開された半透明の防御魔術に弾かれたのである。
防御魔術。魔球。そして天の階段。分かっているだけでもこれだけの魔術を彼女は使う。そしてそれぞれに安定感があった。防御魔術は適切なタイミングで展開され、天の階段は揺らぎなく、魔球は数も速度も申し分ない。
ここまでなら造作なくあしらえるが、問題は謎の一撃である。一度彼女と戦闘した際、全て見切ったはずの魔球だったが、魔力もなにも感じなかった場所から攻撃を受けたのだ。そのときは『黒兎』がなにか仕掛けたのかと思ったが、彼とも一度戦っている。わたしが知る限り『黒兎』の魔具による不意打ちではないはずだ。そうなると『白兎』が仕組んだ攻撃ということになる。
『白兎』はまだ底を見せていない。そんな気がした。
不意に彼女の周囲に魔球が練られた。ひとつ、ふたつ、みっつ――合計六発の魔球が彼女の周囲に浮く。サーベルを構え、放たれるのを待った。
『白兎』の指先が微動した瞬間、六発が順番に放たれた。標的はジンである。咄嗟に彼の前に出ると、わたしの前にミイナが割って入った。
「ォウラァ!!」
ミイナの咆哮とともに執行獣 が振られる。コンパクトな動きで魔球を次々と弾き、計六発を凌ぎ切ると金棒を肩に担ぎ直した。そして非常にガラの悪いことに、『白兎』を見据えて中指を立てる。
「しょっぱい攻撃してんじゃねえよ、ふりふり」
ふりふり、というのはドレスのことを指しているのだろう。ミイナの言語センスに疑問を覚えた。
理由は分からないが、ミイナは『関所』のときよりも強くなっているように思える。わたしの知る彼女は魔球のスピードに合わせられるよう、コンパクトに武器を扱うようなタイプじゃなかった。したたかになったのだろうか。あるいは『関所』での戦闘を経験し、ハルと再会し、彼女自身に変化が起こったのかもしれない。
『白兎』は小首を傾げて、「ふりふり……」と呟いた。揶揄されることに鈍感なのだろう、おそらく。『黒兎』とは大違いだ。それにしても、儚げな声量なのにこちらまで聴こえる不思議な声である。
彼女は『ふりふり』の意味を考えるのを諦めたのか、再び魔球を練った。――が、それは中断される。
――より正門に近い方角から発砲音が響き、一発の魔弾が『白兎』目がけて放たれたのだ。ただ、それは彼女に命中する寸前でバチンと音を立てて消えた。防御魔術は展開されていない。
以前戦ったときに見た技術である。『白兎』は自身に迫る攻撃の質と速度を瞬時に判断し、相殺出来る魔力量の魔球を即座に創り上げることが出来る――そう考えるのが自然だった。
魔弾は間違いなくアリスの援護だったが、彼女の姿は見えない。未だに騎士たちと乱戦を繰り広げるレジスタンスたちに隠されてしまっている。
アリスが見えないほうが却って余計な混乱を生まなくて済むだろう。ミイナとジンにとって、彼女は敵なのだから。
乱戦の中、アリスとケロくん、そしてトラスは確実にいるだろうが、ヨハンとレオネルは混ざっているのだろうか。二人がいれば『白兎』の討伐もぐんと楽になる。ヨハンの遅延魔術。そしてレオネルの防御魔術。どちらも遠距離からの攻撃に対しては有効な対策だ。
不意に、隣で巨大な打撃音がして地面が揺れた。ミイナが執行獣 で地を思い切り叩いたのである。その証拠に石畳が無残に割れていた。
「あの音には聴き覚えがある……なあ、ジン」
「そうッスね……忘れたくても忘れらんねえ」
まずい。アリスがこの場にいることに気付かれたようだ。この二人を放置しておくと仲間割れになりかねない。説得出来そうな雰囲気ではなかったが、なにも言わずにおくことは厄介事しか生まない。
「ミイナ、ジン。落ち着いて聞いてほしいんだけど、アリスはこっちの協力者なのよ……少なくとも今は」
ミイナはこちらを鋭く睨み、舌打ちをした。「今は、か。なら、全部終わったらケジメつけてもらおうじゃねえか」
言葉に窮してジンを見る。彼なら冷静に判断を下してくれると期待したのだが、彼は首を横に振るだけだった。
ひとまずは『全部終わったら』というミイナの言葉を信用するしかない。革命がひと段落するまでに面倒を起こさないでくれるだけで充分だ。
『白兎』はその間も魔球を練り続け、計七発分を創り上げていた。先ほどより一発多い。
身構えて、『白兎』の動きに注視する。先ほど同様、彼女の指が微動して魔球が放たれた。
――しかしそれらは、わたしたちを無視してレジスタンスと盗賊団の連合へ向かっていく。
「避けて!」と叫んだときには遅過ぎた。魔球は次々と連合を襲っていく。彼らの悲鳴と、騎士の歓声。『白兎』が空中から攻撃するだけで地上の乱戦は騎士団が有利になっていく。
ジンは咄嗟に矢を射たが、結果は同じである。彼女に到達する前に防御魔術に阻まれてしまう。
こちらの遠距離攻撃要員はアリスとジンくらいのものだ。この場面でケロくんが役に立ってくれるとも思えない。レオネルがいれば天の階段を使って彼女を追いつめることも出来そうなのだが……。
魔球は次々と練られ、放出可能な密度になるや否や連合に放たれた。命中した者は倒れ、どんどん士気が下がっていくように思える。
なんとかしなければ。
「ミイナ。『関所』の崖を越えたときのことは覚えてる?」
「あ? ああ」
「あのときと同じことは出来るかしら?」
ミイナは口角を上げて頷いた。今出来る攻撃手段は限られている。そのなかでも、『白兎』の意表を突かなければならない。
ミイナは執行獣 を大きく引いた。サーベルを鞘に納め、金棒の棘を掴む。
執行獣 の風切り音と、ミイナの咆哮が響く。そしてわたしは、ミイナが思い切り振った執行獣 に力を借りて宙へ跳び出した。このままの速度と角度なら丁度『白兎』をサーベルの有効範囲に入れることが出来る。
『白兎』は心底つまらなそうな無表情のまま、空中でステップを踏んだ。本来わたしが到達するはずだった箇所から退いたのである。
不発。結局『白兎』のほうが何倍も冷静に周囲を見ている。
着地と同時に受け身を取り『白兎』を仰ぎ見た。彼女はこちらに背を向けていたが、そう迂闊な攻撃が通用する雰囲気ではない。たとえば、サーベルを投擲したとしても楽に避けられてしまうだろう。
なにか。なにか方法はないか。
必死で頭を回転させているさなか、『白兎』は呟いた。
「貴女、珍しいね」
ハルを見下ろして、『白兎』は続ける。
「貴女は死体で、その男の子が死霊術師なのね。視覚共有まで繋いでるんだ……その子が盲目だから」
ぞくり、と背を悪寒が走る。『白兎』はハルを一瞥しただけでその正体と、ネロの魔術、そして視覚共有で繋がっていることまで看破した。おそろしく鋭い魔術師……。
『白兎』の周囲に魔球が現れる。先ほどよりも練度が高く、そして数も多かった。合計八発。それだけの魔球が彼女の周囲に浮いている。
「ゴーストノーツ」
『白兎』の呟きが聴こえ、無我夢中で走った。このままじゃまずい。わたしが察知できない攻撃を受けたときも、『白兎』は「ゴーストノーツ」なる言葉を口にしたはずだ。
「ハル!! ネロを庇って!!」
ネロの幼い身体には魔球一発でも致命傷だ。たとえ攻撃が見えていても、全てハルが庇うしか方法がない。
ハルはネロを抱き、その前面にミイナが立つ。数発魔球を弾いたところでわたしも追いつき、加勢した。ミイナと協力し、ひとつずつ魔球を弾く。
まだ全弾凌いでいない状態だったが、一発もハルのほうへは漏れていないはずだった。
しかし、畏れていたことは現実になる。
背後で苦しげな息の漏れる音と、魔球らしき着弾音が聴こえた。咄嗟に振り向くと、ネロを抱き締めたハルの背に痛々しい傷痕がついていた。それはやはり、魔球が直撃したような、赤く腫れた火傷のような傷である。
「ハル!!」
叫びながら、胸には後悔と安心が渦巻いた。ネロに当たらなくて良かったという安堵と、ハルが傷付いてしまったことに対する不甲斐なさである。
「ワタシは……大丈夫デス……」とハルは息を整えつつ返した。
残った数発の魔球は全てミイナが弾いたので、一旦、魔球の連発からは解放されている。
『白兎』の周囲に再び魔力が満ちる。
――刹那、それは消滅した。
『白兎』は片耳に手を当てて首を傾げている。そしてはっきりと「どうして中央街道を私が守らなきゃなの?」と呟いた。
それから不承不承といった様子で何度か頷く。
ようやく耳から手を離すと、『白兎』はわたしたちに一瞥さえ送らず、女王の城の方角へと、天を歩いて去っていった。
ひとまず助かったのだろうか。しかし、依然として乱戦状態は続いている。まずは正門周辺で剣を振るう騎士団を無力化するのが先決だ。
騎士たちをサーベルで攻撃しつつ考える。先ほどのひと幕はきっと交信魔術だろう。それも双方向の魔術だ。相手が誰なのかは知らなかったが『白兎』の配置が変わったに違いない。女王は支配魔術に魔力を割いているので他の魔術は一切使えないとの話だ。そうなると、思い当たる相手はひとり。
元々はレオネルとともに都市防衛を担っていた魔術師であり、女王側に寝返った人間。
ハルキゲニア騎士団、グレイベル。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『天の階段』→空中に透明な足場を作る魔術。初出は『112.「ツイン・ラビット」』
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『執行獣 』→アカツキ盗賊団団長のミイナが所持する武器。詳しくは『22.「執行獣」』にて
・『関所』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『トラス』→レジスタンスのメンバー。髭面で筋肉質。豪快な性格。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。防御魔術の使い手。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて
・『遅延魔術』→ヨハンの使用する魔術。詳しくは『69.「漆黒の小箱と手紙」』にて
・『支配魔術』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。詳しくは『117.「支配魔術」』にて
・『グレイベル』→元々レオネル同様、ハルキゲニアの防衛を担っていた魔術師。女王の軍門に下った。詳しくは『111.「要注意人物」』にて




