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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」
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154.「本当の目的地」

 ヨハンが部屋を出ていくと、わたしはひとりで気味の悪い手記に向かうこととなった。精神衛生上よくない内容ではあったが、読み進めないわけにはいかない。


『アカデミー』で対峙したメアリーについて、知れる限りのことは知っておかなければならない。三日後には再戦するかもしれない相手だ。成り立ちのどこかに突破口が隠されている可能性は充分にある。だからこそヨハンも、ビクターの手記を手渡したに違いない。


 深呼吸をひとつして、再度手記に向かった。



『メアリーの身体はひとつだ。失敗は許されない。私は魔物の血を維持する技術を持ってはいる。しかしながら、それを人間に吸収させるような実験はおこなってこなかった。まずはメアリーの前段となる実験相手を見つけなければならない。望ましいのは死んだばかりの人間だが、そう簡単に発見は出来なかった。


 数をこなして成功率を高めるのが一番である以上、生きた人間でも構わない。しかしながら人体実験に協力してくれるような相手は一切思い当たらなかった。そうしているうちに時間だけが経っていく。防腐処理をしているとはいえメアリーの死から日数が経過してしまうのは望ましくない。私が手をこまねいている間も、エリザベートは着実に地位をつけていった。全く、領主の息子を籠絡(ろうらく)してしまうとは……。


 ハルキゲニアの人間で私が頼れるのは彼女だけである。早速相談すると、なかなか()えた提案を授けてくれた。直情的なエリザベートらしいアイデアではあるが、急ごしらえの考えにしては上等である。


 彼女は政治的な手腕を生かして絶好の場面を作り上げてくれた。


 疫病(えきびょう)。それがエリザベートの出した提案である。他地域からの交易(こうえき)品に魔物の血を微量だけ混ぜ込み、口にした者に消化させ、そうして血肉に変えてしまう。エリザベートはハルキゲニアの政治の中枢(ちゅうすう)に食い込むため、外交に問題を生じさせることを望んでいた。つまり、交易品に混ぜ込んだ魔物の血液で問題が起こるのは彼女にとって理想的なのである。


 私としても、そうして問題の起きた人間を治療の名目で隔離(かくり)し、実験材料として扱うことが出来る。双方に利益のあるプランだった。』



 立ち上がり、部屋の中を少し歩いた。落ち着いて読み続けることが難しい。苛立(いらだ)ちや憎悪に足を取られ、冷静さを乱されてしまう。


 窓を開け、夜気(やき)を吸い込んだ。冷たい空気が身体の隅々(すみずみ)まで洗っていくような気分。


 薄々勘付(かんづ)いてはいたが、疫病が女王とビクターの仕業だとはっきりした。本当に、人を人と思わない邪悪な連中だ。自分の目的のためならいかなる犠牲が出ようとも涼しい顔をしていられる。どんな大義名分(たいぎめいぶん)があったとしても決して納得の出来ない行為だ。


 窓を閉め、再び机に向かった。



『実験の成果は上々だった。エリザベートの予測した通り、疫病という名の人体実験は隔離施設を作るに(いた)った。ハルキゲニアのスラム街の一角に存在していた廃墟を病棟とすることに成功し、生者に対する実験を(すみ)やかに実施することが出来たのである。あとは新鮮な死者を作って、それをメアリーの前段実験として試せれば言うことはない。しかしながら、病棟にいるのは一度魔物の血を身体に受けた人間たちばかり。彼らを死なせて再度魔物の血を射ち込んだところで有効なサンプルとは成り得ない。是非(ぜひ)とも、純粋な死者が必要だった。


 そんなある日、絶好の出来事が起きた。病棟に侵入者が現れたのだ。()らえてみると十歳そこそこの少年だから驚きである。彼は、私が医者でもなんでもなく、病棟で治療が行われていないことに勘付き、自分の力ひとつで侵入したのだ。


 捕縛(ほばく)されてなお、彼――ボリスは私の不正を叫んだ。大した正義感だ。涙が出る。私だって、彼くらい純粋な気持ちでメアリーを死の(ふち)から救い出してあげたいのだ。


 加えて、これは魔物と人間について今まで以上に深く知る目的も()ね備えていた。人類を魔物の脅威や、あるいは死の絶望から解放するための偉大な実験なのである。歴史を変える者は、いつだって犠牲や批判を恐れなかった者だ。しかしながら、彼には理解してもらえなかった。


 決して分かり合えなかった彼も、私は愛することが出来る。なぜなら、(いしずえ)となってくれたからだ。


 正直に記すと、興奮した。彼は死の淵から見事に這いあがったのだ。記憶は断片的で自我も薄かったが、それでも素晴らしい成果を出してくれた。()しいことに脱走されてしまったが、有効なサンプルとなってくれたことには大変感謝している。


 ボリス! 私は君を両手で抱きしめてやりたいほどに愛している!


 死後の経過日数から換算し、私はボリスにおこなった以上に高濃度の血液を、愛する妻に()ち込むことにした。ボリスの場合は怪鳥(かいちょう)ルフの血だったが、メアリーの場合はより人間に近いグールの血液を煮詰めた特別製である。ボリスのときと条件が異なっているのは承知の上だ。しかし、魔物の血と人間の血の親和性が見られ、かつ、命を蘇らせることが出来た以上、私に迷いはなかった。』



 少し落ち着こう。何度か深呼吸を繰り返し、再び手記に目を落とした。



『実験は成功したはずだった。しかし彼女はボリスとは異なり、記憶や自我を一切持たなかった。非常に残念な結果ではあるが、メアリーは自己を(うしな)ったのである。恐らくは永久に。


 しかし、だ。妻を生前の通り復活させることには失敗したが、彼女もまた未来への礎となるに足るサンプルである。肉体の強度や反応は申し分ない。人間を超えていると言っていい。いや、多くの魔物をしのぐ強靭(きょうじん)さを兼ね備えている。


 それからはメアリーに、魔物との戦闘を教え込むための日々が続いた。(つら)く哀しい日々だった。嗚呼(ああ)、妻が傷付く姿を見るのは大変心苦しい。


 それでも、苦しみは(むく)われた。彼女は確かな戦闘技術を身につけたのだ。


 次は、敵を敵と認識する方法に関してである。詳しくは割愛(かつあい)するが、脳を切開して敵対意識を持たせることに成功した。素直に打ち明けると、妻の脳を見るというのは実に興奮するものだ。世の何人の夫が、愛する妻の脳を切り開いて確認し、そして元の通り愛することが出来るだろうか。絶対の自信を持っているのだが、私の場合、妻に対する愛はほんの一ミリさえ揺らがなかった。いや、(むし)ろさらに深い愛情を(いだ)いたと言うべきか。


 脳は人間の究極の秘密である。私は妻の最大の秘密を目にしてなお、彼女を心から愛することが出来る。


 こうしてメアリーは私の、そして人類の、最大の叡智(えいち)となった。どんな魔具よりも、どんな魔道具よりも、禁魔術(きんまじゅつ)(いま)だ解明されていないどんな呪術よりも優れた存在である。


 彼女に類する存在を量産することはコスト面で非常に困難ではあるが、いずれ誰しも死を克服(こくふく)し、守護者となった死者によって生かされる日々が訪れるに違いない。


 私の愛は妻を通して、全人類の希望と成り得るのだ。


 嗚呼(ああ)、メアリー。君は意思や言葉を(うしな)ってなお、この世界に対して献身(けんしん)している。君はいつだって慈愛(じあい)に溢れていた。


 よそう。これ以上はセンチメンタルになってしまう。止めどない愛の告白は彼女に囁いてやればいい。


 この手記を結ぶべき言葉はひとつだ。


 私は、きたるべき未来を愛している。』



 読み終えると、紙束を裏返しにした。もう文面を目にしたくなんてない。


 よろめく足取りでまたも窓を開け放つ。夜風は今度も身体を撫でたが、先ほどのようにわたしを落ち着かせてくれはしなかった。


 未来。


 ビクターは繰り返し書いていた。彼が思い描くのは、魔物の血を流し込んだ自我のない死体に守られる世界だろうか。それが彼の理想郷なのだろうか。


 メアリーに意思も自我もないことは触れられていたが、魂はどうなるのだろう。その肉体に染みついた往時(おうじ)の記憶は。歩んできた過去は。


 死が安らぎだなんて考えるつもりはない。それはいつだって恐ろしいし、望むべきものではない。


 けれども、肉体を単なる(うつわ)として駆動させるのは、正直に言って醜悪(しゅうあく)極まりない。


 ふと、『最果て』に飛ばされてからの数日を思い出した。ハルとネロ。皮肉屋のメイドは、確かに意思を持っていた。笑うことだってしたのだ。それは死霊術師(ネクロマンサー)であるネロの力を借りてのことではあるが、ハルにはハルの人生が今も存在している。なにひとつ心に浮かべることのない完全な入れ物であるメアリーとは根本的に違う。


 夜の街路を見下ろした。永久魔力灯のぼんやりとした灯りが、整然と敷き詰められた石畳を照らしている。


 ビクターは意思や自我を蹂躙(じゅうりん)して、生命を嘲笑(あざわら)っている。彼が支配魔術(ドミネーション)の影響下にあったとしても、その悪辣(あくらつ)な思考は許しがたい。


 手記から得られたのは、彼に対する(いきどお)りくらいのものだった。ヨハンがなにを期待して見せたのかは分からなかったが、そこにメアリー打倒のヒントは見出せない。


 三日後。いずれにせよ、対峙(たいじ)するかもしれない。そのときは全力で、彼女をビクターの支配から解き放ってやらねばならない。その意志だけは固めることが出来た。


 ふと時計を見ると、既に午前二時を回っていた。


 ヨハンめ。夜更(よふ)かしは乙女の肌の大敵ってことも知らないのか……。


 その晩は、ベッドに入ってもなかなか寝付くことが出来なかった。




 翌日、目を覚ましたのは昼前だった。


 寝ぼけ眼で部屋を出ると、丁度ヨハンに出くわした。


「昨晩は楽しめましたか」


「お蔭様で随分と夜更かししたわ。……で、なんであんな物見せたわけ?」


 ヨハンは肩を(すく)めて困り顔を浮かべて見せる。「ビクターとメアリーは厄介な相手ですからね。情報は多いに越したことはありません。それがどんな種類のものであっても」


 確かにそれはそうだが。


「言いたいことは分かるけど、いくらなんでもあれは酷いわ。気分が悪くなるだけよ」


 するとヨハンは急に真剣な表情になった。


「お嬢さん。勿論メアリーの組成(そせい)やビクターの意志について知っておくのも目的ですが、それ以上に重要なことも手記に書いてあったはずです」


「どういうこと?」


 ヨハンは人さし指を立てて、真っ直ぐこちらを見つめた。「お嬢さんの目的地はハルキゲニアではないでしょう?」


 言われてハッとした。今は女王やビクターに気を取られているが、彼の言う通り、この魔術都市は通過地点でしかない。次に待っているのは海峡であり、そして『鏡の森』と『岩蜘蛛の巣』だ。


「『鏡の森』での現象については、確かに興味深かったわ」


 ヨハンは頷いた。「お嬢さんはお嬢さんの目的を失わないことです。物事を冷静に(とら)えるコツは、目標地点から目を離さないこと」


「全く……本当に」


 本当に、ヨハンには(かな)わない。


(きも)(めい)じておくわ」


「それじゃ、食事でも()ってのんびり過ごしてください。あと二日ですから、短い期間ですよ」


 そう残して去っていくヨハンの背を眺めた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて

・『怪鳥ルフ』→鳥型の大型魔物。詳しくは『37.「暁の怪鳥」』にて

・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて 

・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて

・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師(ネクロマンサー)。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照

・『ハル』→ネロの力によって蘇った死者。メイド。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照

・『支配魔術(ドミネーション)』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。詳しくは『117.「支配魔術」』にて

・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』

・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。クロエは『鏡の森』へと続いていると推測している。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』

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