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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」
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153.「鎮魂と祝福、祈りと愛~博士の手記~」

 その晩、ヨハンが部屋に訪ねてきた。


「なにか用事でもあるのかしら?」


「手持ち無沙汰(ぶさた)から妙な気を起こされたりしたら困りますからね……」


 そう言って、彼は(ふところ)から紙束を取り出した。


「なによ、それ」


「退屈しのぎの読み物ですよ。眠気も吹き飛ぶ斬新な物語です」


 机の上に紙束を置いて、ヨハンは窓越しに外の様子を覗いた。小さな部屋とはいえ、貴族街区寄りの(やしき)である。装飾も洒落(しゃれ)ており、ランプの灯りも(まばゆ)いくらいだ。そんな部屋にいる不健康な骸骨顔の男は、どうみても泥棒である。


「ひとつ聞いていいかしら」


「なんです」とヨハンは外を覗いたまま返す。


「あなたはレジスタンスの一員なのよね? なら、ハルキゲニア出身なわけ?」


 彼は(しば)しの間沈黙していた。暗い街路を見下ろしている。


 やがてぽつりと答えた。「違います」


「なら、どうしてハルキゲニアに肩入れするの? それも、かなり神経を使っているように見えるけど」


 ヨハンはこちらに身体を向けて、肩を(すく)めて見せた。「気まぐれです」


 思わずため息が漏れる。なにが気まぐれだ。間違いなく理由があるだろう。素直に教えたくないとでも言えばいいのに。毎度のことながら彼の秘密主義にはうんざりする。


「別に無理やり聞き出すつもりはないわ。ふと思っただけよ」


「いつもの好奇心ですか」


「そう、好奇心」


 それから彼はまた窓の外へと視線を移した。その横顔にはどこか(うれ)いが見えたが、どうせ聞いても正直に答えないだろう。諦めて机の上の紙束を手に取った。


「熟読をおすすめしますよ……刺激的なストーリーですからね。作者はビクターです」とヨハンは呟いた。


「ビクターが?」


「そうです。研究資料は膨大(ぼうだい)でしたので持ってくることは出来ませんでした。しかし、それはビクターのごく個人的な手記です。目を()く内容でしたから、それだけは()りました」


 抜け目のない奴。


 ふと、疑問が湧いた。


「セシルと一緒に資料を見つけて、それを読んだのよね? なら、(あらた)めてビクターに子供の行き先や魔物実験のことを()く必要もなかったんじゃない?」


 ヨハンは首を横に振った。「厳密には違います。資料室では手記を盗ることしかしませんでした。じっくり目を通している暇なんてありませんでしたよ。エントランスが騒々しかったのでね」


「なら、いつ資料を読んだの?」


「お嬢さんたちと合流したあとです」


 ああ、なるほど。「二重歩行者(ドッペルゲンガー)を資料室に置いてきたってことね」


「ご名答」


 すると、ヨハンは本体で得た情報と分身の得た情報を同時に処理していたことになる。頭が混乱しないのだろうか。『アカデミー』で起きたことはあまりに衝撃的だったが、それでも彼は冷静に二つの情報を区別して記憶したのだ。恐ろしく器用である。


「たまにあなたが恐くなるわ……。冷静過ぎるし、わたしの知らない変な魔術も使えるし……」


 ついつい弱音を(こぼ)すと、ヨハンはけらけらと笑った。「年の(こう)ですよ」


 もし彼が裏切ったとしたらレジスタンスは壊滅するだろう。もしかすると、わたしも含めて。今はヨハンを信用してはいるが、彼は本来功利的(こうりてき)な人間のはずである。ギブ・アンド・テイクを信条とした仕事人。ならば、いつ立場が変わるかも分からない。


 きっとレジスタンスとも(しか)るべき契約を交わしているのだろう。だからこそ全力で助力してくれている。


 けれど――。


 もし、女王やビクターがレジスタンスよりも旨味(うまみ)のある提案をしたら。そのとき、ヨハンはどちらに転ぶだろう。考えて、背筋が寒くなった。


 わたしは不吉な考えを振り払うように紙束へと目を落とし、一行ずつ読み始めた。


鎮魂(ちんこん)と祝福、祈りと愛。一切をメアリーに(ささ)ぐ。』


 冒頭を読んで、思わず拳を握った。ビクターの語る愛なんて目に入れたくもない。悪臭を放つ(けが)れた言葉だ。


 読みやめようかとも思ったが、思い直して紙面に視線を(そそ)いだ。そこに重大な情報があるかもしれない以上、簡単に放り出すわけにはいかない。

 

 手記によると、ビクターは妻のメアリーとともに王都を追放されたらしい。『岩蜘蛛の巣』に放り込まれ、その先で女王と会い、三人で王都に戻るため、巣をさまよったのだという。


 巣の内部については一切触れられていなかったが、ひとつ重要な箇所(かしょ)があった。『岩蜘蛛の巣』を抜けると『鏡の森』に辿り着いたというのである。やはり『岩蜘蛛の巣』は『鏡の森』に通じていたのだ。つまるところ、ビクターが辿った道を反対に進めば王都へ行けるというわけである。困難な道であることは容易に想像出来たが、一筋の希望だった。


 しかし奇妙だ。レオネルの手記やドレンテの話では、『鏡の森』で救出されたのはビクターと女王の二人だけだったはず。メアリーはどうなったのだろう。


 読み進めると、息が詰まった。



『メアリーは森を進むたびに衰弱していった。やがて励ましても返事をしなくなり、濾過(ろか)した水を口に含ませても全部(こぼ)してしまう始末。原因を探ろうにも全く分からない。一刻も早く森を抜ける必要があった。しかし、先を急げば容態が悪くなる一方である。


 彼女を背負って歩くうち、ひとつ気付いてしまったことがあった。この森は進めば進むほどに彼女を(むしば)んでいくのだ。その証拠に、立ち止まればメアリーの状態に変化はない。しかし、引き返しても恢復(かいふく)するということはない様子である。いずれにせよ、彼女はこのままでは死んでしまいかねない。苦渋の決断であったが、私とメアリーはこの森に残ることにした。しかし、エリザベートはそれを聞き入れず、口論になってしまったのだ。先に進むにはどうしてもメアリーが必要だと、彼女は言うのである。』



 エリザベート、というのは女王のことだろう。仰々(ぎょうぎょう)しい名前だ。しかし、なぜメアリーが必要だったのだろう。衰弱した彼女でも出来る特別な魔術でもあったのだろうか。


 次の(ページ)をめくって震撼(しんかん)した。



『エリザベートは残酷だ。私が薄々気づいてはいた可能性を告げたのだ。メアリーは森を進んで数時間経ってから様子がおかしくなり、それからは進むごとに体調が悪化していったのである。しかし、崖などのどうしても迂回せざるを得ない場所を遠回りして進んでいる最中だと容態(ようだい)に変化はなかった。エリザベートは次のように告げたのである。遺憾(いかん)ながら、それは事実だった。


「森の中心部から離れるほどにメアリーは衰弱していくのよ。つまり、彼女の体調が悪くなるのは森を抜けるための正しい道を進んでいるからなの。メアリーはコンパスとして私たちを導いてくれている」


 酷い扱いだ。血も涙もない。人の妻をコンパスだなんて。しかしながら、それを否定出来るほど鈍感ではない。それは明らかな事実であろうし、本心をさらせば私もメアリーを頼りにしていたのである。だが、これ以上の進行は無理だ。メアリーが死んでしまうかもしれない。


 嗚呼(ああ)、しかしエリザベートは残酷にも私に詰め寄ったのである。


「科学者として、この結末を知りたくないの?」


 私は肯定も否定もしなかったはずだ。この森で起きている現象は確かに興味深い。胸に小さく探求心が意識された直後、エリザベートは私にとどめを刺した。


「欲望に従いなさい。あなたは探求心の奴隷なんだから」


 頭を打たれるような衝撃だった。彼女の言う通り、私は探求心に魂を捧げている。だからこそ、危険人物として王都から追放されたのだ。自分自身に素直になることは決して簡単ではない。良心や倫理観(りんりかん)のバイアスが必ず歯止めをかけるのだ。


 エリザベートのひと言で、私はタガが外れたように感じた。メアリーには悪いが、この結末が見たくてしょうがない。森を抜けてしまえば全快するかもしれないのだ。これは、有意義な実験である。』



 思わず机を握りしめていた。ビクターの性格もそうだが、もしかすると、と思ったのだ。


 もしかすると、女王はこの瞬間ビクターに支配魔術(ドミネーション)をかけたのかもしれない。良心や倫理観、道徳心といった人間感情を突き破って探求心を満たすように彼を支配した。



『結果、私たちは森を抜けることに成功した。喜びのあまり背負ったメアリーに声をかけたが、彼女は。』



 この一行は末尾の文字が乱れていた。次の行からの内容も飛んでいる。



『私はハルキゲニアに保護されてすぐ、彼女を維持出来る装置を造り上げた。造作もない。防腐処理くらいなら今まで何度も経験している。』



 やはり、メアリーは『鏡の森』を抜けたところで命を落としている。彼女の亡骸(なきがら)がビクターの要望でハルキゲニアに持ち込まれたのだろう。だからこそ、救出されたのは二人、という話だったのだ。二人の生者と、一人の死者。


 更に読み進める。



『当時の私は研究への好奇心と、妻を(うしな)った哀しみに(おお)われていた。だからこそ、彼女を取り戻す方法を考え続けたのだ。死体を動かすだけの死霊術を使える人間がいれば、意思を持ったメアリーにすることは出来るだろう。が、それは生きていない。駄目なのだ、生きていなければ。


 決して認めたくないことだったが、事実として私の心の陽が当たらない場所で、彼女を死なせた後悔と、新たな技術への好奇心が手を取り合っていた。彼女を生き返らせる。どのような技術を使ってでも、魂を入れる。


 ときに、私は王都で魔物に関する研究を長らく行っていた。魔物と魔力の相関性や、魔力と呪力の相違点、あるいは魔具や魔道具の仕組みに関して誰よりも深く食い込んでいた自信がある。


 その経験ゆえだろう。メアリーに魔物の血を注ぎ、駆動させることが出来はしないかと思いついたのは。』



「実におぞましいでしょう?」


 ヨハンの声がして顔を上げた。「ええ、本当に」


 そして、まだ手記は半分程度しか進んでいないのだ。


「私は地下へ引っ込んでいますから、お嬢さんはじっくり読むといいです」


 言い残して、ヨハンは去った。ドアが閉じる音を最後に、部屋は静寂に包まれる。空気は不穏に(よど)んでいた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて

・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの魔術。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて

・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。クロエは『鏡の森』へと続いていると推測している。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』

・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』

・『レオネル』→かつてハルキゲニアを魔物から守っていた魔術師。レジスタンスのメンバー。詳しくは『104.「ハルキゲニア今昔物語」』にて

・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダー。詳しくは『107.「トラスという男」』にて

・『支配魔術(ドミネーション)』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。詳しくは『117.「支配魔術」』にて

・『死霊術』→死者を蘇らせる魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照

・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて 

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