152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」
作戦会議が終わり、ベッドに横たわって天井を眺めていた。焦りに囚われないよう意識するのは思いのほか難しい。ふと気が付くとノックスとシェリーのことを考えている。
ヨハンは充分な休息を取るよう告げて会議を締めくくった。三日後、女王の城を叩く。戦略としては、盗賊を動かすらしい。
広間に集まっていた盗賊たちの人数が少なかったのは、単に眠っていたわけではないらしかった。彼らはヨハンの指示で外部のタソガレ盗賊団とコンタクトを取り、三日後にハルキゲニア正門を襲撃するべく出発したらしい。『魔の径』を逆行してハルキゲニアから脱出し、上手くいけば今頃ハイペリカムに到着しているという話だった。
なぜか住民がわたしたちを警戒しなくなった今なら、街なかを歩いても深刻な問題はない。ゆえに盗賊たちを貧民街区の以前のアジトまで戻らせることも可能だったというわけだ。そこから先、上手く『魔の径』を通過出来るかどうかは彼ら次第である。夜明け前に出発したとなれば、通常の魔物に遭遇する危険はない。脅威といえば例のスライムくらいのものだろう。
ハイペリカムに盗賊たちが集まっているはずだ、と居残りの盗賊は教えてくれた。元々タソガレ盗賊団は大々的にハルキゲニアを襲撃するつもりではあったらしい。怒りに駆られて独断で先走った盗賊たちが、なんの因果かレジスタンスのアジトにいるというわけだ。
ふと、ウォルターの顔を思い出した。細目の狡猾な男。夜会服のようなフォーマルなスーツ姿は、血が迸る闘争には似つかわしくない。しかし、彼が次期ボス決定集会で見せた根性を想うと、案外無茶を厭わないかも……なんて考えてしまう。
作戦は上手くいくだろうか。
騎士たちが盗賊の陽動に惑わされているうちに、主戦力を城に注ぎ込む。そしてノックスとシェリーをはじめとする子供たちを救出し、その上で女王を叩く。
厄介者揃いの騎士団をレジスタンスの勢力で倒すことなんて可能だろうか。誰かひとりでも女王のもとに辿り着き、彼女を討ち取ってしまえば革命は半分成功との話だった。あとの半分というのは、無論ビクターである。ハルキゲニアを支配出来るような奴はその二人くらいのものだろうとヨハンは語っていた。
問題は、その二人に至るまでに騎士団の厄介な敵に遭遇するのが間違いないこと。そして、ビクターが自身の妻であると紹介したメアリーの存在である。ほんの一分にも満たない戦いだったが、彼女が異常な強さであることは身を持って理解出来た。『帽子屋』と同程度に厄介な敵である。
三日後。おそらくは大量の血が流れる。革命とはそういうものだとドレンテは静かに語っていたが、どうにも納得したくなかった。これもわたし自身の甘さだろう。出来ることなら犠牲を出したくない。敵も味方も最小限の被害で全てを丸く収められたら、なんて考えてしまう。それが出来ないからこんな状況になっているのに。
ベッドに横たわっても憂鬱な気になるだけだった。起き上がり、昨晩の裁縫の続きを始めた。
チクチクやりながらまだ見ぬ女王について想像する。彼女は復讐と、娘の救出のためにグレキランスに侵攻するつもりだとヨハンは言っていた。追放者の家族がどうなるかは様々だったが、概ね壁外の村や町に追いやられる。女王の娘が当時いくつだったのかは知らないが、幼かったならどこかの孤児院が引き取ってくれている可能性も充分にあった。
娘のために都を潰そうと考えるだなんて、常軌を逸した愛情である。やはり女王も狂気的な人間なのだろうか。
裁縫を続けていると、ドアがノックされた。
「どうぞ」と呼びかけると、小ぶりの籠を提げたトラスが入ってきた。相変わらず筋肉を見せびらかすような服装だ。
彼はわたしが服を縫っているのに気付くと、目を輝かせた。「お! やってるな! 今日もクロエさんは器用だな」
前夜、小唄を聴かれたことを思い出して頬が熱くなる。「あんまりからかうと怒るわよ」
トラスはからからと爽やかに笑った。「からかっちゃいねえよ。尊敬してんだ」
そう真正面から返されると反応に困ってしまう。怒っていいのかどうか分からない。
「昨日のこと、誰にも言ってないでしょうね」
「ああ、勿論。俺は口が堅いからな!」
聞かれればなんでも喋っちゃいそうに見えるけど、と思ったが口にするのはやめておいた。
「そうそう、腹が減ってると思ってパンを持って来たんだ」と彼は切り出して、籠を手渡してきた。受け取ると、中にはみっしり丸パンが詰まっている。もう少し丁寧な入れ方があるだろうに……。とはいえ、ありがたい。
「ありがとう」
「どういたしまして。……いよいよ三日後だな」
トラスは急に真面目な口調で呟いた。そういえば、時計塔や『アカデミー』ではわたしたちしか戦っていない。レジスタンスはずっと潜伏している状況だった。
けれども、今度の城攻めは安穏と留守番しているわけにはいかない。総力をあげての戦いになるのだ。レジスタンスは勿論、タソガレ盗賊団まで動く。どう考えても過酷で悲惨な戦いになるだろう。
「……死なないでね」
そう呟くと、トラスは引き続き真面目な調子で返した。「……生き死にについては分からん」
意外な答えだった。てっきり腕組みして笑いを爆発させ、心配するなと言ってのけると思っていたのに。
きっと、トラスにも思うところはあるのだろう。ハルキゲニアに住む人間として、文字通り死力を尽くして戦うつもりであることは充分伝わった。たとえいかなる傷を負っても武器を手放さず、獣のごとく敵に食らいつくつもりなのかもしれない。いや、きっとそうだ。
「レジスタンスが負けたらなにもかも終わりだ。ハルキゲニアに未来はない。だから、生きるだの死ぬだの考えちゃいねえよ。俺が死んでも革命が成功すればいい。……ちゃんと笑顔で生活出来る街になれば、それでいいんだ」
彼の言い分は分かった。そうまでして守りたい気持ちも理解出来る。けど。
まち針をトラスに向けた。「未来を作って、あなたも生きて頂戴。いい?」
トラスは困ったように頭を掻いた。「……そんな迫力で言われちゃしょうがねえや」
「綺麗事だと思ってくれて構わないわ。……こんなに酷い現実を見てるんだもの、綺麗事のひとつでも信じたってばちは当たらないわ」
あまりにも醜悪で、どこまでも人を馬鹿にしたこの現実を塗り替えてやらなきゃならない。そして、生きて新しい景色を見るのだ。
運命は信念にまで干渉出来ない。そして強い信念は惨状を変えていく。トラスの言うように、ちゃんと笑える未来がハルキゲニアに訪れなければならない。そして、そこにトラスがいないのは寂しいではないか。
「尊敬するよ、クロエ。あんたは色んな意味で強いな」
「当たり前よ。元グレキランスの騎士だもの。弱気になって勝てる敵なんていないわ」
トラスは不器用な笑顔を浮かべて立ち上がった。「……励まされるよ。ありがとうな」
「どういたしまして。パンのお礼には足りないくらいだけどね」少し気恥ずかしくなって誤魔化すように付け加えた。「わたしは器用だから、励ますのも得意なのよ」
トラスは豪快に笑い声をあげた。そうだ。それでこそトラスだ。
「それじゃ、おいとまするぜ。……器用な~、器用な~――」
「調子に乗らないで。次歌ったら引っぱたくから」
トラスはいかにも楽しそうに肩を竦めて出て行った。
結局わたしは三日の間、焦りを押し殺すことに決めた。レジスタンスの未来、ハルキゲニアの未来、そしてグレキランスの未来が丸ごと今回の作戦にかかっているのなら、ヨハンの指示通り適切に動く必要がある。ノックスとシェリーの命を天秤にかけたわけでは決してない。わたし自身の選択として、ヨハンの言葉を信じたのだ。悔しいけれど、彼はわたしよりも数倍正しい判断を下すことが出来る。彼は状況に則し、最前の道を選んでいるのだ。
騎士時代も自分の意志を曲げてでも耐え忍ぶ場面は山ほどあった。何度経験しても慣れる感情ではなかったが、焦りに任せて行動することで余計な悲劇を生んでしまうのは理解している。
今のわたしに出来るのは、三日後に万全の状態で戦えるようにすること。たとえ人間相手であろうとも、全力で刃を振るえるように甘えを捨て去ることだ。
『黒兎』戦でも『帽子屋』戦でも、決定的な場面で攻撃の手を緩めてしまった。道義としては間違っていないが、それによって周囲の仲間が余計な傷を負うのは許せない。
けれども、心の中で問う声があった。それで本当にいいのか、と。お前は人を殺す覚悟があるのか、と。その問いに答えることは今のところ出来そうにない。
『黒兎』や『帽子屋』を前にして、彼らを殺さねばならないとしたら、どうなるだろう。
分からない。倫理的には殺すべきではない。論理的には殺さねばならない。困難な問いはわたしをぐるぐると混乱させる。まるで自分が分裂するような感覚だった。
『帽子屋』の顔を思い浮かべた。あの涼しげな顔。確かな剣術。全力でやらなければこちらが殺されるのは間違いない。
どうすれば彼を突破出来るだろう。それも、殺さずに。
彼の瞳が蘇る。綺麗なオッドアイ。そういえば――。
瞬間、身体がびくんと跳ねた。心臓が強く脈打つ。
突破口はある。三日後、タソガレ盗賊団がハルキゲニアを襲撃するのなら、その中にウォルターもいるだろう。彼なら、『帽子屋』を止められるかもしれない。
マルメロの一室。ウォルターの隠れ家。そこにかかっていた肖像画を思い出す。
怜悧な顔付きに、特徴的なオッドアイ。ウォルターが心酔する、タソガレ盗賊団元頭領のジャック。
その肖像と『帽子屋』の顔が重なった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて
・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『魔の径』→『吶喊湿原』、『毒瑠璃の洞窟』、『大虚穴』からなる、ハルキゲニアと外部と結ぶ秘密の経路。詳しくは『第四話「魔の径」』にて
・『ハイペリカム』→ハルキゲニアの手前に位置する村。第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」の舞台
・『例のスライム』→ここでは『毒瑠璃の洞窟』に潜む巨大なスライムを指している。詳しくは『103.「毒瑠璃とスライム」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』にて
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダー。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『トラス』→レジスタンスのメンバー。髭面で筋肉質。豪快な性格。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて




