150.「三日」
早朝にもかかわらず地下広間は革命を望む人々でひしめいていたが、盗賊たちは半数未満しかいなかった。まだ寝ているのだろう。
丁度ヨハンが一晩の報告をしたところだった。彼はわたしが『帽子屋』と戦闘したことも知っており、その詳細だけはわたしに語らせた。あまり深く話したくはなかったが、やむを得ない。王都出身と告げた際に『帽子屋』が撤退したことを主軸に報告した。
あとを引き取ったヨハンはビクターの陰惨な実験と、その結果としての『アカデミー』崩壊を語った。
これだけの人数なのに、ざわめきは殆ど起こらない。緊迫感のある静寂が広間を覆っていた。ランプの光に照らされた地下は夜明けを感じさせない薄暗さを湛えている。
普段は豪傑気質で静寂など知らないようなトラスも、さすがに黙りこくっている。彼の気持ちはなんとなく理解出来た。衝撃的で残酷なことばかりだ。ヨハンの報告だけでもどれだけ悲惨な現場だったか分かるだろう。
そんな中、沈黙を破ったのはドレンテだった。
「まずは、お三方を讃えましょう。決して勝利とは呼べないかもしれませんが、確実に前へ進んでいます。ここで歩みを止めてしまうわけにはいきません」
「ええ。なにがあろうとも、です」
断固たる口調で返すヨハンに引っかかりを覚えた。ハルキゲニアを救うことは彼にとってどれほどの意味を持つのだろう。詳しくは聞いていなかったが、もしかして故郷なのだろうか。すると彼にも人並みに、故郷を想う心があるということになる。それを物珍しく感じたりするような気は、もはやなかった。彼には彼なりの衝動や情動がある。ザクセンを蹴り飛ばしたその姿で充分伝わった。冷静で功利的に見せかけていても、身の内で感情が渦巻いているのだ。
「それを聞けて幸いです。ときに――」ドレンテは真っ直ぐにヨハンを見つめる。「『アカデミー』で価値ある資料は見つかりましたか?」
ヨハンはやけに神妙な顔付きで頷いた。「勿論です。実物を回収する暇はありませんでしたが、ざっと読むことは出来ました。断片的でしたが、女王の目的について触れた箇所がいくつか」
ドレンテはやや身を乗り出した。「それは――」
彼の言葉を遮るように扉が開け放たれた。そして、高圧的で不満の籠った声が響く。「クーローエーちゃーん!? あたしを置いてけぼりにするなんて薄情なんじゃない!?」
アリスの後ろでケロくんがぴょこぴょこと「アリス、傷に響くケロ」なんて言っている。全く、緊迫した状況に似合わない奴らがやってきた。
「あなたは傷の治癒が最優先だったでしょ?」と返すと、アリスは広間のテーブルに飛び上がり、銃口をわたしの額に向けた。
「ほら、ぴんぴんしてるわぁ」
アリスの口元から白い歯が覗く。彼女の強情で我儘で、決して弱みを見せない態度は直視したくなかった。わたし自身を煮詰めたらアリスみたいになってしまうかもしれない。そう思うとため息が出てしまう。
「元気そうに見せかけるのはやめたほうがいいわよ、アリス」
「なら試して見る? クロエお嬢ちゃぁん」
銃口を見つめる。確かに魔弾は装填されているようだった。脅しなのは分かっていたが、やけに入念だ。
「はいはいはい、その辺で終わりにしてください。アリスさんを同行させなかったのは私の判断です」
瞬間、銃口がヨハンに向けられる。
「ヨハン……あんたがあたしをハブいたんだね?」
「ええ。あなたにはまだまだ働いてもらいますから、昨晩は休ませたんですよ」
アリスはテーブルの中心に胡坐をかいた。銃口は相変わらずヨハンに向いたままだ。
「ああ、そう。お蔭様でじっくり休めたわ」
「それは良かった。今暫く休んだら、次の作戦が待っていますからね。それまで力を蓄えていてください。無論――お嬢さんも同様です」
言われて、思わず立ち上がった。椅子が音を立てて倒れる。
「暫く、ってどのくらい? わたしは今すぐにでも――」
「三日です」とヨハンは遮った。
三日?
ノックスとシェリーがその間に危機的状況になるかもしれないのに。ヨハンだってビクターの性悪さは嫌気が差すほど味わったはず。にもかかわらずそんな悠長な提案を出来る彼が憎らしかった。
「三日も待てない。それだけの時間が経ったら、ノックスとシェリーが生きていたとしても……!」
それ以上は言葉にならなかった。息が詰まり、声が上擦った。
「今、ノックスって言ったね。あの坊やがどうかしたのかい?」
アリスに問いかけられてはじめて気が付いた。そうだ、彼女はノックスが『アカデミー』に収容されていたことを知らないのだ。
「ノックスは『アカデミー』に引き取られたのよ……。『ユートピア号』の使者をしていた男の二枚舌と、わたしの……愚かな判断で」
アリスは、じっとわたしの瞳を覗き込んだ。咎めるでも、追求するでもない。ただただ見つめている。
やがて彼女は「そうかい」と呟いた。その声には僅かに影が差していた。「そんなら、急がなきゃだねぇ。一度守った奴に死なれるのは寝覚めが悪いから」
雑な言葉ではあったが、口調は真剣そのものだった。
「そういうわけよ。ヨハン……悪いけど三日も待つようなことは出来ない。たとえひとりだろうと乗り込むわ」
「お嬢さん……いいですか。女王の城にはどれだけの戦力が結集していると思っているんですか。『帽子屋』だけじゃ済まないんですよ。圧倒的に戦力が足りません……今は」
「だとしても、大人しく待っていることなんて出来ない。一秒遅くなっただけでも結末は変わってしまうわ。……ビクターを見たでしょ? あいつがどういう奴か知って言ってるの?」
ヨハンは苦悶の表情で頷いた。「重々承知しています。しかし……しかし、です。勝算のないまま突っ込んで成果を上げられる相手ではありません。こちらが焦って行動するだけ敵は利益を得るんですよ? ひとりずつ排除出来るなんて、奴らにとっては願ってもないことでしょう」
「つまり、ノックスとシェリーを見捨てるってことね?」
直後、机を叩いてヨハンが立ち上がった。「いい加減にしてください。私だって一刻も早く救い出したいんですよ。しかし、闇雲に戦って勝てる相手ではないから準備期間が必要なんです。……それと、私だってお嬢さんと同じ情報しか知らなければ全く同じ判断をしたかもしれません。納得しないと言うのなら、伝えましょう。私が資料でなにを見たか」
面食らって彼を見上げる。その顔には明らかに怒りが浮かんでいた。
「『アカデミー』に集められた子供たちはいくつかの方向に分けられます。これはビクターに言質を取った通り、『アカデミー』に残ってグール実験の素材にされるか、貴族街区に行くかです。貴族街区にあるのは、なにも女王の城ばかりじゃない。……ビクターがより邪悪な魔物実験をおこなっている『ラボ』と呼ばれる施設があります。資料に記載されていた立地では、城から少し離れた場所です。そこで実験材料にされるか、あるいは女王の城で別の素材になるか、です」
「……別の素材?」
「ハルキゲニアを囲う防御壁――そのシステムがどうなっているのか、資料に詳しく載っていました。曰く、壁には硬度の高いパイプが張り巡らされており、そこを流れる魔力によって壁の外側に設置した魔物除けの魔道具を作動させる。……そのパイプは女王の城に設置された魔力維持装置へと繋がっています。その装置はどこから魔力を吸い上げているかというと……子供からです。彼らの身体にチューブを通し、魔力のみを吸入している……そう記載されていました。つまり――」
ヨハンはぐっと堪えるように目を瞑り、それから見開いた。
「つまり、ノックスとシェリーが『アカデミー』にいないとなると、魔力維持装置に繋がれているか、より凶悪な実験を既に施されているか、です。前者なら三日後でも間に合う。後者の場合は――」言いかけて、ヨハンは弱々しく首を振った。「……これ以上は言いません」
ヨハンの言いかけた内容が、胸に突き刺さる。
より邪悪な実験がおこなわれているとすれば、既に助かる見込みなんてない。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『トラス』→レジスタンスのメンバー。髭面で筋肉質。豪快な性格。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダー。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて
・『ユートピア号』→子供を乗せてハルキゲニアへ向かう馬車。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて




