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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」
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147.「博士のテスト・サイト」

 (やいば)を向けても、ビクターは(ひる)む様子を見せなかった。それどころか、まだ独白を続ける。


「実際、哀しいものだ。あと少しで魔物について見えて来るところだったのだが、侵入者のせいでご破算だ」


 魔霧装置(ゴースト・フォッグ)を起動したのは自分なのに、ビクターは平然と責任転嫁(てんか)している。彼の思考がどのように(つむ)がれているのかは知りようがないし知りたくもないが、破滅的な考えに満ちているのは明白だ。


「魔物は一体どこから来るのか……そして我々は魔物を駆逐することが出来るのか……。連中のことを隅から隅まで知り尽くせば、きっと見えてくるに違いない。価値ある研究だ」


 ビクターはぶつぶつと続ける。この研究の果てに人類の平和や幸福があるとしても、ビクターのような人間は絶対に許容出来ない。あまりに醜悪な手段は、目的すらも濁らせる。大言壮語(たいげんそうご)を吐こうとも現在の醜さが全てだ。


 集中なんて到底出来ない。けれど、怒りの方向性をコントロールすることは出来る。


 サーベルを握り直し、ビクター目指して一直線に駆けた。


「ビクター!!!」


 刃を目の前にしても、ビクターの表情は変わらなかった。依然(いぜん)、狂気的な自分の世界に閉じこもっている。


 迷いはなかった。振り上げたサーベルを渾身(こんしん)の力で振り下ろす。


 これでなにもかも終わってくれれば、と心から願った。涙も、悲鳴も、諦めも、虚しさも、全部――。


 それは一瞬のことだった。


 ビクターの背後の暗がりに白い(ころも)がちらと(ひらめ)いたかと思うと、サーベルはビクターを斬る寸前で停止した。


 刃は一ミリたりとも進まない。


 魔術ではなかった。


 ビクターの背後から人影が現れ、彼を守るべくサーベルを握ったのである。どれだけの力で止められたのかは分からなかったが、少しも刀身が進まないことから(かんが)みるに、尋常ではない握力であろう。


 ビクターの前に現れたそれ(・・)は、白衣を(まと)った女性だった。ひたすら無表情だったが、様子がおかしい。


 すらりと高い背。腰まである真っ直ぐな黒髪。美しい顔立ちには違いなかったが、その肌は一面紫色で、片手に銀のアタッシュケースを提げている。


 そして、それまでは曖昧にぼかされていた魔物の気配が一層濃くなった。


黒の血族(・・・・)』――その単語が思考を(おお)う。統一された紫の肌は血族の特徴を表し、尋常でない力は人ならざる存在を示すに余りある説得力を持っていた。


 魔王の一族がどうしてここにいるのか。それともスパルナ同様、『黒の血族』とは異なる未知の存在なのだろうか。


 サーベルを振り下ろすのを諦め、力を込めて刃を引いた。


 手のひらを裂いたような手応えはない。傷付けられぬよう、即座に手を緩めたのだろう。


 腕の力を適度に抜き、斬撃を繰り出すべくサーベルを引いた。同時に、彼女の指からアタッシュケースが抜け落ちて音を立てる。


 息を止めて斬撃を放った。銀の刃が永久魔力灯の光を受けて(きら)めく。


 と、それは彼女の()によって弾かれた。二撃、三撃と速度を上げて攻撃を続けても女性は無表情で弾き続ける。その指先には、いつの間にかグールのごとく鋭い爪が表れていた。


 速く、もっと速く! 奴が対応出来ないほどの速度を――。


 斬撃を繰り出し続けたが、しかし、弾かれるばかりで肌を裂くことは叶わない。


 風圧は激しく、しかし、わたしの怒りは決して冷めなかった。腕に余計な力が入っているのは気付いているけれど、制御するのは難しい。頭のなかでは子供の血飛沫(ちしぶき)が繰り返し再生され、耳にはビクターの醜悪な声が(こだま)する。


 もっと速く――!!


 力も速度も上げようとした瞬間、嫌な予感が肌を覆った。けれども、動きを止めることは出来ない。


「お嬢さん!」


 ヨハンの叫びが聴こえ、身体がぐっと後ろに引き倒された。自然、天井を見上げるかたちになる。わたしの真上数センチのところに、ひと(すじ)の線が伸びていた。


 それが彼女の伸ばした爪だと気付くと同時に、寒気が背を這った。


 ヨハンに引きずられるようにして二人と距離を取る。


 彼女の真っ直ぐ伸びた爪が一瞬で引っ込んだ。伸縮自在の爪……。それはわたしのサーベルを弾くほどの強度を持っている。そしてきっと、鋭さも申し分ないだろう。


 ビクターの手が彼女の頭を撫でるのが見えた。


「うむ、上々だ。……紹介しよう。私の妻のメアリーだ」


 妻?


 一瞬にして頭に大量の疑問符が()く。


「混乱しているな……。まあ、いい。ノッポの侵入者よ、お前は状況を理解しているだろう? 自分たちがメアリーに決して勝てないことを」


 耳元でヨハンが囁く。「ビクターの言う通りです。奴は異常だ。隙を見て逃げますよ」


 どうして。


 ここでビクターを倒さなければ犠牲は増える一方じゃないか。メアリーが異常なことはわたしが一番理解している。全ての斬撃を弾かれ、その上でヨハンの助力がなければ爪で貫かれていただろうから。けれども、撤退するわけにはいかない。


 そんな抗議の感情を込めてヨハンを見上げたが、彼は首を横に振るばかりだった。


「駄目です。貴族街区でノックスとシェリーを救い出す役目があるでしょう?」


「けど!」


 思わず声を張り上げてしまった。


 決して考えたくないことで、おそらくはヨハンも口に出すまいとしている一事(いちじ)がある。もしかしたら――ノックスとシェリーは手遅れなんじゃないか。


 呼吸が乱れる。視界が(にじ)む。一度心に(きざ)した予感は、そう簡単に消え去ってはくれない。往々(おうおう)にして希望よりも絶望のほうが説得力があるのだ。


 わたしの想いを察したのか、ヨハンはビクターを睨みつつ呟いた。


「私は決して諦めていません」


 一拍置いて続ける。「最善を尽くすんです。今は奴と戦闘して致命傷を負うわけにはいきません。万全の状態で次の一手を打つんですよ」


 どこまでも感情的な自分が悔しくなった。彼が正しいと知っていてさえ、衝動から抜け出すことが難しい。


 全力で呼吸を整え、絞り出すように、そして自分自身に言い聞かせるように返した。「分かった……あなたの言う通りにする」


 ヨハンは引きつった笑みを返し、即座にビクターへと向き直った。メアリーの一挙手一投足に注意を払っているのが傍目(はため)にも分かる。


 しかし、恐れていた追撃はいつまで()ってもやってこなかった。


「君たちに朗報(ろうほう)だ。私はここでメアリーに戦闘させる気はない。見逃してやろう」


 どういう風の吹き回しだ。べらべらと自分の研究について喋った揚句(あげく)、ただで見逃すとは到底信じられなかった。なにか裏があるに違いない。


「疑っているな……。当然のことだ。正直に言うと『アカデミー』――(いな)実験場(テスト・サイト)はもはや私の関心事ではないのだよ。愛すべき子供たちも死んでしまったし、侵入者までいる。ハルキゲニアへの反逆者と()(こう)からぶつかってメアリーに傷がつくのも困る。なにせ、愛する妻だからね」


 言って、彼はメアリーの紫色の頬に接吻(キス)をした。彼女は凍りつくような無表情のまま。ぞくり、と嫌悪感に全身が震える。


 なにが愛だ。ビクターは自分の研究と、研究対象しか見ていないではないか。


「……それに、まだ試したいこともある。それを実行したらこの場所は捨てざるを得ないからな。良い機会だ」


 ビクターは足元に転がったアタッシュケースを開き、中から小瓶を取り出した。目を()らすと、その中には小さな白い粒が入っている。小指の先くらいの大きさだろうか。


 ビクターは瓶の蓋を外して粒を取り出し、酷く慎重な手つきで()まんだ。


「君たちは爆弾胞子(ばくだんほうし)を知っているかな?」


『爆弾胞子』――確か森に生える菌糸類(きんしるい)の一種だったはずだ。衝撃を与えると爆発する珍妙な性質を持つ。爆発する理由は胞子を飛ばすためだとかなんだとか、そんなことが図鑑に書かれていたことを思い出す。王都時代に詰め込んだ知識のひとつだ。


「『鏡の森』に群生(ぐんせい)していてね、潰れた際に小さな爆発を起こす(きのこ)の一種だ。通常は拳大(こぶしだい)の大きさで、潰れたとしても人が打撲する程度の衝撃が起こるだけ。……爆弾胞子も私の研究対象でね……こんなに小さな胞子を作り出すことにも成功した。可愛らしいだろう?」


 息を呑んで次の言葉を待つ。


「実は爆弾胞子には主従関係があるのだよ。各エリアごとにひとつ、主格となる爆弾胞子がいる。女王胞子(じょおうほうし)と呼んでいるが、それは潰れても爆発しない代わりに、従属関係にある他の爆弾胞子が一斉に起爆する。爆弾胞子自体は潰れてもいないのに、だ。……私は従者の胞子を爆発させないまま粉末状にすることに成功した。どんな衝撃を加えても粉末になった胞子は爆発しない。ただ、主格となる女王胞子が潰れたときだけは例外だ」


 この建物一帯に爆弾胞子が仕掛けられているのだろうか。しかし、その爆発はごく軽微なはず。倒壊に(いた)るなんてありえない。


 ビクターは私の疑問を察したかのように、人さし指を立てて続ける。


「無論、これだけではパーティ用品になるだけだ。……もうひとつ、私は重要な研究をしている。それは――魔物の瓶詰めだ」


 セシルの嗚咽(おえつ)が一段と強くなった。もはや聞いていられないのだろう。


「私は特殊な瓶を開発していてね……。縮小吸入瓶(プラナ・ボトル)と呼んでいるが、ひとたび蓋を開ければ付近にあるものを縮小させ、吸入してしまうのさ。で、蓋を閉めれば小人の完成だ。(うるわ)しいね。ただ、瓶が破壊されれば等身大に戻ってしまう。それが非常にユニークで使い勝手が良いのだよ。――キュクロプスが突如出現した理由も察しがつくだろう?」


 なるほど。


 小瓶にキュクロプスを閉じ込めて、それをタソガレ盗賊団のアジトに設置したのだろう。マルメロで感じた異様に微弱な魔物の気配も説明がつく。小瓶に詰まった分、気配も同様に縮小されたのなら、今まで感じたことのない違和感たっぷりな気配の出来上がりだ。


 その小瓶の内部に爆弾胞子の粉末を塗り込めば、女王胞子をトリガーとして瓶を破壊することが出来る。本来ありえない場所に大型魔物を出現させるのもお手のものだ。


 キュクロプスが足首を失っていたのは従者の胞子の衝撃だろうか。


 いや、おそらくは違う。衝撃で足首が吹き飛んだのなら、残骸も本来のサイズになって出現しなければ道理に合わない。すると、キュクロプスを捕らえた段階で動きを制御するべく切り落としたのだろう。おぞましい研究意欲……。


「さて、この実験場(テスト・サイト)には縮小吸入瓶(プラナ・ボトル)が五つ設置してある。女王胞子を潰せばどうなるか分かるか?」


 なるほど。五体の大型魔物を出現させれば施設の倒壊は(まぬか)れない。わたしたちの潜入により価値を失った施設となればいっそのこと崩壊させて魔物を放つという算段だろう。


 どこまでも邪悪で卑怯な考え。


 不意に、後ろからセシルの悲鳴が聴こえた。「嫌! お願い、ビクター! やめてぇ!」


 絶望的で、尋常でない叫び。


「セシル嬢。君が侵入者を導いたことは別に(とが)めるつもりはない。ザクセンは勇気ある犠牲者だったが――君はどうだ?」


 思わず振り向くと、彼女は真っ青な顔をして再び甲高い悲鳴を上げた。


「嫌ぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!」


 ビクターのほうから、ぷち、と微かな破裂音が聴こえた。


 刹那――セシルの身体は(はじ)け飛び、巨大な翼と鋭い(くちばし)が現れた。


嗚呼(ああ)! セシル! セシル、セシル、セシル!! 素晴らしい! 心から君を愛そう!! ……それでは、アディオス! (たの)しんでくれたまえ!」


 ビクターの残した台詞は、もはや耳に入らなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・『黒の血族』→魔物の()と言われる一族。詳しくは『90.「黒の血族」』にて

・『スパルナ』→人型魔物。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』にて

・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照

・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明。

・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて

・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』にて

・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』

・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場

・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「(くびき)を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて

・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて

・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有。詳しくは『98.「グッド・バイ」』にて

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