145.「ストレンジ・ラブ」
「……お嬢さん。二度は言いません」
ヨハンの声がして、ハッと我に返る。噛み締めた奥歯と、強く握ったサーベルを緩めた。彼に注意されなければビクターへと迫っていたかもしれない。
ヨハンの冷静さを苦々しく思った。
彼が正しいのは頭では理解出来たが、どうしたって感情が猛反発してしまう。
広間に散ったグールの亡骸から漂う生臭さが、霧と混ざり合って鼻を刺激した。セシルが泣くほど怯える気持ちも、ザクセンが壊滅的な思考に囚われていた理由も、なんとなく分かった。ビクターのような奴の下で働いていて正気を保てるはずがない。
ぼさぼさ頭の丸眼鏡で、平凡な顔。そんな冴えない外見を補って余りある狂気が、ビクターから溢れ出している。
「マルメロのキュクロプスもあなたの『実験』ですか?」とヨハン。
「おや、君はマルメロにいたのか。キュクロプスを知っているということは盗賊団の人間か?」
ヨハンは静かに首を振って否定する。言葉は加えずに。
「盗賊団ではないがキュクロプスを知っている、と。……大して追求する気にはならんな。まあ、いい。あの魔物は試作品でね……簡単に倒されてしまったようで酷くがっかりしたよ。ねえ、そこのお嬢さん?」
ビクターに呼びかけられて、またも全身に力が入る。脱力なんて出来る状況ではなかった。
奴がタソガレ盗賊団のアジトにキュクロプスを放ったとなれば、わたしが討伐したことも把握しているだろう。
「素敵な笑顔をありがとう。良いサービスだったよ。お蔭で失敗もどうでもよくなった。……いつか直接お会いしたい思っていたが、いやはや、素晴らしい。私の箱庭まで飛び込んで来てくれるとは思っていなかった」
巨人のひとつ目にかけられた視覚共有。それはビクターと繋がっていたのだろう。嫌味のつもりでキュクロプスの瞳に笑顔を向けたのだが、こんな狂った男に見られていたと思うと腹立たしい。
それにしてもビクターの目には、キュクロプスが簡単に倒されたと映ったのか。盗賊たちが犠牲を出しながらも必死で戦ったあの一幕が、ビクターにとっては物足りなかったのか。……人の痛みをなんだと思っているんだ。
「さて、これで合計二つの質問に答えたことになる。最後のひとつを言いたまえ」
キュクロプスについては最初の質問の派生だからカウントするのは卑怯――そう思ったが批判の通用する相手ではないだろう。ヨハンも同様の認識と見えて、暫し沈黙していた。
今のところビクターは回答を濁してはいない。はっきりと答えてくれるのなら、あと一度きりのチャンスを活かすべき問いは決まっているはずだ。
やがてヨハンは、ゆっくりと口を開いた。「最後は子供についてです。……『アカデミー』にいない子供はどこでなにをさせられているんですか?」
ビクターは拍子抜けしたように首を傾げて目を丸くする。「そんな質問でいいのかね?」
ヨハンは黙って頷く。するとビクターは天を仰ぎ、やや考え込むように顎に手を当てた。
数分後、彼は諦めたように首を横に振る。「意図が読み切れんな。まあ、いい。子供について言えることは限られている。残念ながら、そっくりそのまま答える気はないからそのつもりで」
一拍置いて、ビクターは人さし指を立てた。
「子供たちの進路は主に二つ。貴族街区か、『アカデミー』か。いずれの場所でも我々の役に立っている。以上が答えだ」
貴族街区――確か、女王の城があるエリアだ。そこでどう扱われるのかは想像も出来なかったが、役に立つという言葉には薄ら寒い現実が潜んでいるように思えてならない。ビクターに導かれる先は、とんでもなくグロテスクな破滅なのではないか……。
これ以上黙って聞いていることなんて出来ない。耐え切れなくなって声を張り上げた。「ノックスとシェリーはどこなの!!」
ビクターの口角がゆっくりと上がる。「ノックス! 嗚呼、勇気ある少年だった! そしてシェリーは我々と手を取り合ってハルキゲニアのために尽くしてくれるだろう!」
全身の毛が逆立つような感覚を得る。今あいつはなんと答えた? それはなにを意味している?
直後、ヨハンが振り向いた。「煽っているだけです。大量にいる子供の中でノックスとシェリーまで記憶していると考えるのはナンセンスですよ」
しかし、彼の言葉はビクターに砕かれた。
「記憶していないわけがない! ひとりひとりを我が子のように愛しているのだから! たとえば、そう! ここで安眠していた子たちについて話そうか。ストレイン、トビィ、レア、アンドレイ、ニッキ、グレッグ、エドガー。ライ、オットー、ヴェル、エグリア。ヴァール、イシュレ、カール、セロニアス、オシアン、ラウド。……まだ半分にも満たない人数だが、たとえばセロニアスはやんちゃな子だった。物は壊すが、他の子に暴力を振るうような真似はしない。レアは本気で魔術師を目指してハルキゲニアまで来た健気な女の子だ。カールは魔道具職人に憧れていたよ。なんでも、故郷の永久魔力灯が力を失ったので作り直したかったらしい。オットーは元々孤児で、随分と甘えん坊だった。エグリアは――」
ビクターは延々と続けた。わたしは言葉を発することが出来ず、その偏執狂的告白を聞いたのである。ビクターは細部のエピソードも交えて語った。それは現実感に覆われており、疑問や否定を曇らせるほどの迫力を持っていた。
恐ろしい。純粋にそう感じた。
自分が関係した全ての子供の名前と個々の特徴や性格、エピソードまでも事細かに記憶している。にも関わらず、彼らを残虐で血の通っていない『実験』にかけるビクターの精神構造がひと欠片も分からない。ただただ吐き気を催すような歪な魂がタクトを振っているのだ。
「彼らは皆、私の『実験』の糧となってくれた。私はひとりひとりの魂を背負っている」
もはや限界は近かった。これ以上奴の独白を聞いていたら怒りに身を焼かれる。
しかしビクターは興が乗ったかのごとく、左右に歩きながら問いかけた。「ときに、君たちは魔物と夜の相関性についてはどう考えている? 一般的な魔物は夜間に出現するものだが、その理由について疑問を感じたことはあるかね?」
答える気になんてならない。ビクターのペースに乗ってしまったら精神が根こそぎ食い散らかされてしまいそうだ。
「関心ないですね」とヨハンは素っ気なく返す。
するとビクターは大げさに首を横に振った。
「無関心は知性を衰えさせる。……私は夜と魔物について長らく研究していた。なぜ魔物は夜に現れるのか。夜間に魔物を捕らえても朝になれば消滅してしまう。暗がりに閉じ込めても、閉鎖空間に押し込めても同様。きっちり夜明け前には消滅する。では、なんだ? 夜とは? 朝とは? 現象には必ず理由がある。――私はそれを突き止めた!」
ビクターは足を止め、ぎらついた眼差しで人さし指を立てた。
「ヒントは我々の肉体にある。……我々が夜を過ごすとき、身の内にある魔力はどうなる? 高まるのか、それとも弱まるのか。……私は徹底的に検証した。あらゆる装置を造り上げ、二十四時間魔力を計測し、大量のサンプルデータを回収して、だ。その結果はこうだ」
奴は恍惚とした表情で天を仰いだ。その目に薄暗い天井が映っているとは思えない。別のなにかを捉えているようだった。
「魔力は夜が深くなるにつれ、穏やかな広がりを見せる。決して人間には感知出来ないささやかな広がりだ。身体から溢れ出した魔力は外気に溶け出して、夜のしじまと手を結ぶ。……大気中にごくごく微量な魔力が漂っている状態だ。まるで目に見えない霧のように、ね。それが魔物にとっての夜なのだよ。――そして私は、夜を再現した!」
悪寒が止まない。
『吶喊湿原』、『アカデミー』庭内、そしてこの広間。どの空間にも霧が存在した。
それが一体なんなのか。今ようやく気が付いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有。詳しくは『98.「グッド・バイ」』にて
・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明。
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』にて




